第8話 値引きシール。

「それじゃ、ばいばい、日向」


 またね。そう、唇の端を心地良さそうに持ち上げた梓は、くるりと背中をこちらに向けて、ゆっくりと歩き出す。


 その一挙手一投足がまるで、何かのドラマのワンシーンのように見えて。


 今日はやけにフィルターがかかってるな。


 そう、息を吐いて、俺も梓に背中をむける。


 さ、家に帰ろう。きっともう茅柚さんも家に戻ってきている頃だろう。


「……っと、その前に何か買っていってあげたほうがいいか」


 きっと茅柚さんのことだ、仕事の疲れでビールしか飲んでないのだろう。


 そんなことを考えると一層、彼女がお世話係としてウチの部屋の鍵を持っている理由が霞んできてしまうけど。


 ……。


「まぁでも、なんだかんだで楽しいんだよな、毎日」


 幼い頃からずっと思いを寄せてきた人との、願ってもいなかった、ちょっとした同棲生活。


 一生は愚か、いつまで続かないこんな生活だから、少しでも茅柚さんの笑顔が見たいなって、そう思った。


 浴衣姿がちらほらと見当たる、街灯の灯る帰り道。


 その途中にあるコンビニに入ると、俺は食品の棚の方へと足を進める。


 茅柚さん曰く、明日は休日らしい。そうなると九分九厘彼女はビールを飲みまくっているのだろう。


「ってことは、つまめて、かつそこそこ栄養のあるものだな」


 そうと決まれば俺の行動は早い。


 小さいパックのキムチとサラダチキン、冷凍の枝豆を手に取りレジへと向かっていく。


 まぁ、ウチの冷蔵庫には色々と残ってるわけだし、とりあえずはこれで……。


 と、おそらく同年代の女性スタッフさんに「とちらにどーぞー」と言われ、レジに商品を置いた瞬間。


 ふと、レジ横に陳列してあった、とあるものが目に入った。


 これからシーズンがやってくると言うのに、誰も手に取った様子もなく、さらに値引きのシールがすでに貼られている。


 なんでこんな物がここに。と言うよりも、正直なところ、なんでこれしか入荷しなかったのだろう。


 なんて疑問が優ってしまうような、夏の風物詩。


 でも、なぜかそれを見た瞬間、頭の中には今日のお祭りの事と、仕事終わりで少しやつれた茅柚さんの顔浮かんで。


「こちら3点で620円になりまーす」


「……あ、すみません、これも1つ追加でいいですか?」


 そう言って、レジ横のそれを取ってレジの上に置く。すると目の前の女性スタッフは物珍しそうに眠そうな目を少し見開く。


「これ、買っていく人初めて見ましたー」


 そう言いながらスキャナーでバーコードを読み取るスタッフさん。


 それでふと気づいたのだが、このスタッフさんのネームプレートに『まつり』とひらがなで書いてあって、なんだか今日に相応しい名前だなって思った。


「まぁなんていうか、今日の七夕、一緒に行けなかった人がいるんで」


「へぇー、それでこれを一緒にやろうって事ですか〜。うんうんいいね〜お兄さんもロマンチックだね〜」


 腕を組み、得意げに頷いたスタッフ……いや、まつりさん。


 すると。


「ちなみに、その人って彼女?」


 そう言われて、思わず言葉に詰まった俺。


 なんて言うか、その優しそうな目の奥にちょっぴり期待のような物が見えたから、ここで彼女じゃないですって、言いにくいなって思った。


 でも、嘘もつきたくないとも思った。


「いや……彼女ではないんですけど」


「あ〜そうですか〜」


「でも、なんて言うか……ずっと好きな人……なんです」


 ……。


 シーンと流れた沈黙に、俺の頬にホッと熱が籠る。


 やばい、自分で言っておいてあまりにも恥ずかしすぎる。


 すると。


「……ふふっ。そっかそっか〜それじゃー」


 そう口を開いたまつりさんが、レジのパネルを触り始める。


 一体何をするのだろうと思っていると、どうやら金額を一度リセットしたらしい。


 そして、もう一度商品をスキャナーで読み込み、


「それじゃ改めて、3点で620円になりまーす」


「え、いや。これ読み込み忘れじゃ……」


「うちにそのよーな商品はございませーん」


 そう言ってふへへ。と笑い、「お支払い方法を選んでくださーい」と言葉を続ける。


 でも、値引きのシールが貼ってあるとはいえ、それは商品であって。


 と、そんなふうに彼女の方へと視線を向けていると。


「も〜、みなまで言わせないで下さいよ〜。実はここ、私の親戚がテンチョーしてるんですよ〜。だから、売り上げのことは気にしないで下さいー」


 そう言って、再びにへらと笑ったまつりさん。


 そんな彼女の言葉に、俺も思わずふふっと鼻を鳴らす。


「そうですか。ありがとうございます」


 そう彼女に返し、お金を精算機に入れる。


 やがて、出てきたお釣りとレシートを財布に入ると、「お品物です〜」と袋を渡された。


「また来てくださいね〜」


 そう、小さく手を振ったまつりさんに、会釈をしてドアの方へと歩き出す。


 その時すれ違いで入ってきた、浴衣姿で長い金髪の女性が。


「茉莉まつりっ! この後、隼人くんと紗季で花火するの! それで花火を……って、線香花火しかないじゃん!」


「品揃え悪いーみたいな言い方されたので、詩帆には売りませんー」


「え〜! 茉莉ぃ〜」


 そんな会話をしていて、なんだか面白い人たちだなって、そう思った。

 

 

 

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