第7話 『七夕、頬色の提灯』

「ひーなた♪」


 そんな落ち着きのある声と同時に、うなじにあてがわれたツンと冷たい感覚に思わず体が跳ねる。


 地元の公民館前、視界の先の浴衣姿の女性から視線を外すと、俺は背後に体を向ける。


 するとそこには、ラムネの瓶を持った梓がクスクスと鼻を鳴らしていた。


「日向、相変わらず敏感だね。もうどこ触られても、ビクってなっちゃうんじゃないの?」


「言い方に悪意がある。てか、いきなり冷たい物押し付けられたら、誰でもそうなるっての」


「えー。私はそうならないけどなぁー」


 彼女はそういうと、飲みかけの瓶をこちらに伸ばし、


「ほら、私で試してみなよ?」


 そうやってふふっと微笑む。


 俺は半ば押し付けられるように瓶を持たされると、梓はくるりと背中を向け、後ろで縛っていた髪の毛を持ち上げる。


 久々に見た幼馴染のうなじは、なんていうか説明のしがたい色気と、大人っぽさを醸し出しているような、そんな気がした、


 飲み口が西陽を反射してこくりと唾を飲み込む。


 水滴の滴る瓶を、そっと彼女の白い頸に近づけていって……。


 ……。


「……バカな事やってないで行くぞ」


 でもその途中、俺は彼女の背中を向けると、先ほど浴衣を着た女性が歩いていった方向へと足を進める。


「えー、日向の育児なし。てか、それ私のラムネだから返してよ」


「うるせぇ。つーか俺の分のラムネはないのかよ」


 横に並んだ梓に瓶を向ける。


「あるわけないじゃん。私のお金だもん」


 そう言って俺の手からラムネを抜き取った梓。


「……でも」


 そう梓がボソリと呟いたかと思えば、肩をコツンとぶつけ、


「さっき、私をビクってさせてたら、買ってあげたのにね」


 残念でした〜♪ そう、何かに勝ち誇ったように梓はにこりと笑った。


 俺は一方、その至近距離でのやり取りに思わずどきりとして顔を背ける。


「別にいらねえっての」


 しかし、


「あ、日向照れてる」


 そんな風に、また幼馴染には勝てない俺であった。




 

 七夕祭り。


 なんてどこにでもありそうなお祭りは、俺たちの住む地元にも存在する。


 いつもは無機質に車が行き交う商店街。


 でも、今日だけはイエローラインの真ん中をいくつもの神輿が練り歩く。


 怒号と歓声。提灯を揺らすガソリンの匂いの風。


「あー、あっつ〜」


 肩と肩がぶつかってしまいそうな人混みの中、隣を歩く梓の声が妙にはっきり聞こえた。


「やっぱり浴衣って暑いのか?」


 彼女の方に視線を向ける。


 梓は片手に持ったうちわをパタパタと顔の前で仰ぎながら、気怠そうに口を開いた。


「そりゃ暑いでしょ。夏のイメージがついてるだけで、フツーのTシャツよりも生地が厚いんだもん」


 ほら、触ってみ? そう言われて差し出された浴衣の袖を摘んでみる。


 確かに生地としてはTシャツよりもだいぶ厚く感じた。


「ね? これやばいでしょ?」


「確かに。でも、なんで浴衣着てきたんだよ」


「え、だって日向と……」


 しかしそこまで言いかけた瞬間、梓は不自然に口を止めた。


 そんな彼女の様子に、「どうした?」と小首を傾げる俺。


 梓はううん。と首を横に振っては、


「なんでもないよ。それよりほら、かき氷食べに行こ」


 そうにへらと微笑んで、列を横切るように足を進めていく。


 俺の右手首を掴みながら。


 その後、金魚掬いや謎のインスタ映え必須のドリンクの屋台を巡りながら、お祭りに浸った俺たち。


 正直、いつもなら高いと思ってしまう1パック600円のたこ焼きも、こういう時にはなぜかするりと財布から小銭を取り出してしまう。


 そして、


「うん。お祭りのたこ焼きって、なんか美味しいんだよね」


 そんな風に、たこ焼き4つもたこ焼きをたいらげやがった梓にも、なぜか怒りが湧いてこなかった。


 でも、


「まぁ、確かに美味いんだよな、こういう時のたこ焼きって」


「お、さすが日向わかってるね。それじゃもう1パック……」


「アホか、次は自分で買え」


「ふへへ」


 そんな風にいつも通りの会話をしているだけなのに、どうしてか屋台の明かりに照らされた梓は、魅力的に目に映った。


 そんなこんなで、お祭りを楽しんでいると、いつしか遠くでフィナーレの太鼓のパフォーマンスが始まった。


 ということは、時刻は20時15分。


 お祭りの終了まではあと15分だ。


「太鼓始まったな」


「……だね」


 俺の言葉に梓が小さく反応する。


 でもその反応はどこか、今から帰ることを宣言された子供のような、そんな感じだった。


 でもその反応は、実のところ正解だったりするのだ。


 みんなが太鼓の音の方へ足を進める中、俺はくるりと背中をむける。


「終わりの時間になると混むから、早めに帰るか」


 いつも通りな。そう付け加えて、梓の顔を見る。


 すると彼女は一瞬視線を逸らして。


「そうだね。混んじゃうから先に帰ろっか」


 どうせ、来年も見られるし。そう言って、大人っぽく唇の端だけを持ち上げた。


 そうやって2人歩き出す。


 いつも通り、『地元の祭りだし、来年も見られるから』。


 そんなことを言っておいて、最後に太鼓を見たのはいつのことだったっけ?


 まぁでも、これが俺たちのいつも通り。


 今年も、来年も。


 ……なんて、考えてた瞬間。


「あのさ、日向はまだ……」


 そんな梓の声に、俺は思わず足を止める。


 そして後ろに振り返ると、梓と目があって。


「……っ。」


 梓はなぜか気恥ずかしそうに視線を逸らす。


 一体どうしたのだろう。


 いつもよりしおらしい彼女に「梓?」と声をかけると、


「……あのさ、今日は……もうちょっとだけ一緒にいようよ」


 そう、ボソリと呟いて、彼女はその華奢な手で俺の俺の右の手のひらに触れる。


 しっとりとした梓の手の感触に思わずどきりとして。


 何よりも、目の前のしおらしい幼馴染を前に、帰るなんて言えなくて。


「……まぁ、なんだかんだいつも見てないし。今回は見て帰るか」


 そう言って、触れていた梓の手を引いた。


「……うん。ありがと」


 そう言って、小さく微笑んだ梓の頬が赤く染まっている気がしたのは、きっと提灯のせいなのかもしれない。



 


 

 



 


 

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