第6話 『お姉さんとドキドキ』

 ……。


 真っ暗な視界の中に、ピピピッ、という甲高い機械音が響く。


 今日は休日だというのに、心底スマホのアラームを切り忘れたことを後悔した。


 瞼を擦りながら、薄めを開けてスマホのタイマーを切る。


 時刻は早朝5時30分。


 早くも梅雨のじめっとした暑さに、俺の部屋はクーラーが稼働していた。


 ん〜っと背伸びをして、ゆっくりとベッドから起き上がる。


 ふぁ、とあくびをしながら部屋を出て、リビングのドアのぶを握り。


 そしてドアを開けた瞬間、聞こえてきたのは。


「ふんににに〜っ!」


 みたいな、なんか可愛らしい声を少し絞ったみたいな唸りだった。


 俺は思わず、はぁ、とため息を吐きソファの方へと目を向ける。


 するとそこには、髪の毛を後ろで結び、ジョギング用の黒いタイツと半袖ハーフパンツ姿の茅柚さんが腹筋をしていた。


 しかし、足を引っ掛けているソファがガタガタと動いているのを見る限り、きっと太ももと腕の勢いを使って上体を起こしているのだろう。


 視界の先の茅柚さんは、中途半端な位置で姿勢をとどめていると、最後には力尽きたようで、


「んっ……。くっ……ふにゃ……」


 なんて、情けない声を出しながら床に仰向けになった。


「はぁ……はぁ……あ、おはよ、日向くん」


 小刻みに漏れる薄い吐息。それに合わせて上下する、汗染みの水色のTシャツの胸の膨らみに思わず視線を逸らす。


「……おはようございます、茅柚さん」

 

「うん♪  今日も休日なのに随分早く……あ、もしかして、私がうるさくて起きちゃった?」


「いや、スマホのアラーム切り忘れてて。なんで気にしないでください」


「そっか。ありがと♪」


 茅柚さんはそうやってやんわり微笑むと、「あ、そうだ!」と、手をポンと鳴らす。


 黒いタイツと白色のハーフパンツの包まれた、柔らかそうなお尻で座り直し、こちらに顔を向けると、彼女は言った。


「日向くんも一緒にやろうよ! トレーニング!」


「いや、俺はいいですよ。寝起きだし、顔も洗ってないし」


「え〜、釣れないなぁ〜……じゃあ、少しだけで良いから足押さえてよ」


 すると茅柚さんは、体育座りのような姿勢になり、こちらに小さく小首を傾げて見せる。


 別に何かが見えてしまったわけでは無いのに、その黒いタイツに包まれた肉付きのいい太ももに思わず心臓を早くした。


 え、いや……。と彼女の下半身から視線を外した俺に、


「ね? あと20回だけで良いから」


 そう茅柚さん、上目遣いを見せる。


 亜麻色の綺麗な前髪の奥、優しそうなおっとりした目に俺は小さく息をつくと、


「……わかりました、20回だけですからね」


 俺は彼女にそう返した。


「うんっ! ありがと日向くん♪ それじゃよろしくね♪」


「はいはい……そんで、足はどうやって抑えれば良いですか」


 腹筋トレーニングを手伝うため、彼女の方へと足を進める。


 その時に気がついたのだが、茅柚さんが近くなればなるほど、彼女の柔軟剤のような匂いが強くなっていることに気がついた。


 Tシャツに染みるぐらい汗をかいているのに、なんでこの人はこんなにも良い匂いがするのだろか。


 なんて、浮かんできた思考に小さく首を鳴らす。


「ん〜。そうだね〜……それじゃ、私の足の上に座っちゃってもらっていい?」


「え、座るんですか?」


「うん! 私の足の上によいしょってしてもらってぇ〜」

 

 そう彼女の誘導通りに体を動かす俺。


 足の上に座るってどういうこと? なんて最初は思っていたのだが、最終的には、


「茅柚さん、足痛くないですか?」


「うん。大丈夫だよ」


 茅柚さんの足の甲にお尻を乗せ、自分の足は茅柚さんのふくらはぎの方へ回す。


 うまく説明ができないが、彼女の足の甲の上であぐらをかき、そのまま茅柚さんの足を抱え込むような、そんな体勢になった。


「それじゃ、早速始めるね」


 すると、「んっ」という吐息とともに、茅柚さんの上半身が持ち上がってきた。


 瞬間、ふわりと強くなった茅柚さんの匂いと、お尻が浮くような感覚に、彼女の足に回した腕をキュッとする。


「いちっ……んっ……にぃいっ……」


 茅柚さんは上半身を起こそうとするたび、苦しそうに声を絞り出す。


 きっと彼女はいたって本気なのだろう。


 でも俺は正直それどころではなかった。


 これだけ体の距離が近いというのも十分あるが、俺の顔のすぐ目の前で豊満でタワワな胸が揺れているのだ。


 しかもそれに追い打ちをかけるように、


「んっ……はぁ……んっ〜っ」


 いつしか回数を数える余裕がなかなった彼女は、そんなふうに唸り声をあげていた。


 でも、そんな彼女の華奢な吐息はまるで、喘ぎ声のようにしか聞こえなかった。


 考えるな……これはただのトレーニングだから……。


 そうやって気を逸らしていても、じわじわと反応時てきたそれに、俺は心の中でため息を吐く。


 あぁ、俺ってほんと最低だな……。


 すると、そんなことを考えていた時。


「ひ、日向くん……手、手ぇ、握ってっ〜!」


 苦しそうな声と同時に、茅柚さんが頭の後ろで組んでいた手を、こちらに伸ばしてきた。


 俺はこくりと唾を飲みこみ、彼女の手を握る。


 なんだかんだで初めて握った茅柚さんの手は、小さくて柔らかくて。


 少しだけ汗でしっとりとしていた。


 やがて俺の握った手をリードにして、ゆっくりと上半身を起こし切った茅柚さんは、


「はぁ……はぁ……んっ。えへへ、20回終了〜♪」


 白い頬をほんのりと上気させた彼女は、おっとりとした目を少し恥ずかしそうに細める。


 本当にちょっと顔を近づければ、キスさえできてしまいそうな距離で。


「……っ!」


 俺がこんなにも心臓を早くしていることなんかに、気づかずに。


 茅柚さんは無邪気な笑みを浮かべていた。


「日向くん、ありがとね〜♪ 日向くんのおかげで、腹筋20回もできちゃった」


「そ、そうですか……それは何よりです」


「うんっ! だからね……その……」


 すると、少しずつ語尾を小さくしていった茅柚さんが、キョロキョロと視線を逸らし始める。


 いつもの様子じゃない彼女に、一体なんだろうか? なんて小首を傾げていると、


「……そろそろ、手……離してくれると……嬉しいな」


 茅柚さんは恥ずかしそうに、ボソリと呟く。


 すると、カムバックしてきた恥ずかしさにハッとした俺は、咄嗟に彼女の手を離してしまった。


 その瞬間、「あっ」という声と同時に、茅柚さんの顔が離れていく。


 そうだ、彼女はもう腹筋に力が入らないんだ。


 だけど、それに気がついた瞬間、


「茅柚さん!」


 俺の手が咄嗟に彼女の頭へと伸びた。


 そして。


「いっ……茅柚さん、大丈夫ですか?」


 腕の感触的に、なんとか彼女の後頭部を守ることに成功したのだろう。

 

 彼女に引き摺り込まれるようにして倒れた俺は、自分の体を浮かせ、茅柚さんへと視線を向ける。


 するとその瞬間だった。


「んっ……」


 仰向けのになった茅柚さんから、艶めかしい声が漏れた。


 え、なに今の?


 なんて思いながら、ゆっくり下に目を向けると、口元を手で押さえ、トロリとした目の茅柚さんと視線がぶつかる。


 そして彼女は頬を真っ赤にしながら、ぼそりと呟いた。


「日向くん……その……当たってる、かも」


 茅柚さんの言葉に一瞬思考が停止した俺。


 いや当たってるって何が?  


 だが、今現在のお互いの体制や、彼女の反応を考えた時。俺の思考はある一つの考えに辿り着く。


 それは……。


「……っ! あ、ごめんっ!」


 咄嗟に、彼女の後頭部から腕を抜いて、バネのように俺は立ち上がる。


 一方で、茅柚さんは開いていた足をすぐに閉じると、ゆっくり上体を起こす。


 恥ずかしそうに視線を逸らしたまま彼女は、


「……そ、そうだよね……日向くんだって……男……の子だもんね」


 そうしおらしい声で、ボソリと呟いた。


 赤く上気した頬の上、おっとりとした目がウルウルと揺れて。


 やがて差し込んできた朝日に、その綺麗な亜麻色の髪の毛が照らせれる。


 だから、その隙間から覗いた小ぶりで、熟した桃のような耳に。


「っ! ……茅柚さん、本当にごめん……」


「……ううん。気にしないで」


 また、どきりとしてしまった俺なのであった。


 

 

 


 





 

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