第3話 『いってらっしゃい♪』
「今日の夜はオムライスがいいなぁ〜♪」
午前7時。
気持ち、じめっとした湿気が混ざり始めた初夏の風に、ふと額の汗を誘われる。
学校のブレザーを脱ぎながら、隣を歩く茅柚さんにため息を吐いた。
「あのさ茅柚さん。毎回言ってますけど、これじゃ立場が逆なんですよ」
「ん? んー、そうかなー? でも私もしっかり、日向くんのお世話してるよ!」
例えば、サボテンに水あげたりとか! と、自信満々に言い放った茅柚さん。
「いや、その自信はどこから来るんだよ……」
……つーかそれ、俺じゃなくてサボテンのお世話じゃね?
と、ため息を吐いて、もう一度気分の良さそうな茅柚さんへと目を向ける。
こうしてスーツを着ていればちゃんとした大人なのに、どうして私生活ではあんなにもポンコツなんだろうか。
でも本当に、美人なんだよな、この人。
すると、こちらに顔を向けた茅柚さんと目があって、
「ふふっ♪ もしかしてお姉さんのスーツ姿に見惚れちゃったのかな?」
なんて、その優しそうな目を、いたずらに細める。
思わずどきりとしてしまった俺は、鼻から息を吸って視線を逸らす。
……ずっと昔から、茅柚さんに見惚れてますよ。
なんて、言える訳もない俺は、
「そんなバカなこと言ってると、また遅刻しますよ」
そう言い返して足を進める。
「あー! 日向くん照れてる〜!」
「照れてないし。てか、ツンツンすんなし」
「あははっ。日向くんかわいい♪」
そんなことをしているうちに、いつもの駅へと到着した。
「それじゃ茅柚さん。仕事頑張って」
「うんっ! 日向くんも頑張ってね♪」
駅前のバスのロータリー。
すでに数人が並んでいる中で、茅柚さんは俺の頭に手をポンと乗せる。
「そういうのいいですから……もう子供じゃないんで」
でも、やっぱり子供扱いされたことが悔しくて、俺は彼女の華奢な手をゆっくりと離す。
昔から変わらない、柔らかくてスベスベな白い手を。
「あはは。どうしても昔の癖が抜けなくて……それじゃあね」
「はい。それじゃ、また夕方」
お互いに手を小さく振って、背中を向ける。
茅柚さんは市役所へ向かうためにバスに。
俺は、学校に向かうために電車へ。
まだ、人の少ない改札を潜って、ふと後ろを振り返る。
その瞬間、茅柚さんと目があって。
「っ……。ふふっ。なにしてんだよ」
そう鼻を鳴らした。
視界の先では、幼さを残した満面の笑みで、茅柚さんが手を大きく振っていたから。
だから、俺も。
「行ってきます。茅柚さん」
そう呟いて小さく手を振り返る。
きっと俺の声は聞こえてないだろう。でも、その後に。
「いってらっしゃい♪」
って、茅柚さんが言った気がした。
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