第十六章 Indisputable 5/5

「──さて、とォ……」

セイジは壁から身体を離し、ストレッチを始めた。これから何が起こるか分からない。そういう意味で、準備運動は肝要と言えた。

「ギンジさん」

「なんだぃ」

「もしかすると、これから他の人と会うかもしれません。もしそうなった時に──」


──ガチャリ、という音がした。


セイジは言葉を止め、即座に後ろを振り向く。そこには彼が上ってきた階段があり、そして……


──壁……が動いてる……!? いや、あれは隠し扉か……!


右側の壁がこすれるように動き、やがて壁と壁の間に隙間が空いた。その『扉』の向こうに誰かが居て、こちら側に来ようとしているのは明白だった。

「ギンジさん、立ってくださいっ!」

セイジはとりあえずギンジの身体を起こし、すぐに逃げられるように彼を階段の近くに位置取らせた。そうこうしている間にも壁は動き続け、やがて本物のドアのように90度開いて、あちら側とこちら側を繋げた。


ぽっかりと開いたその空間に、1人の青年が立っていた。

否、『立っていた』という表現は非常に間違っている。何故なら、その青年は車椅子に座っていたからだ。


──もしかしたらマナブと鴨川かも、と思ったがハズレだな……。何だコイツは。大学生か……20代前半くらいだろうな。

セイジは悶々と考えを巡らせつつ、ギンジの方を見た。彼もまた、車椅子の青年を見ながら黙りこくっている。


「──初めまして」

ふと、その青年が言った。とても物腰柔らかな声だった。

「戦闘中……というワケではなさそうですね。お二人は、仲間ですか?」

「……あァ、そうだ」

セイジは右手を構えながら答える。「お前、見たところ1人だな。こっちには数のアドバンテージがある。今引き返せば追ったりはしない。戦闘は出来る限り避けたいんでな」

「いやぁ、お気遣いありがとうございます」

青年はそう言いつつ、引き返す様子を見せなかった。セイジはそんな青年の反応に、どこか不気味なものを感じていた。

「……聞こえなかったのか?」

「聞こえましたよ。返事したじゃないですか」

「じゃあ何故引き返さない……!」

「そんなの、決まってるじゃないですか」

青年は車椅子の車輪に手をかけ、力を加えた。車輪は前に回り、青年の身体も前に進む。この時、彼の身体は完全に部屋の中に入った。

「今からお二方を殺害するからです。そこまで難易度は高くないでしょうし」

「……そうかい?」

セイジは答える。「弱そうな仕草はしなかったつもりなんだがな」

「本当に強い人は、情けなんてかけませんよ。闖入者が来れば話しかけずに攻撃を加え、引き返そうとしても絶対に逃がしたりしません。その点、アナタは甘すぎます」

「……よく言われるよ」

「それに、戦闘を出来る限り避けてきた人間の強さなんてたかが知れてる。アナタは、殺し合いをするには優しすぎるのでしょう」


青年はさらに前に進み、開いたままの扉に手をかけてゆっくりと閉じた。そしてセイジとギンジの方に車椅子を向けると、微笑みながらこう言った。

「改めまして……私、桐生イオリと申します。華能国立大学四年、21歳。藤沢市に居を構えており、休日は生徒の身でありながら別の大学やセミナーなどで講義をさせていただいております……。生憎先天性の下半身不随で車椅子生活を余儀なくされてはおりますが、その分頭脳が発達しているのであればやむなしと言ったところ……。先日新聞の一面を飾った際には『令和の朝永振一郎』などと呼ばれまして──」


そこで青年はいったん言葉を区切り、自分の胸に手を当てて言った。


「──恐らく26人の『文字』所持者の中でもっとも、『才』と『文字』に恵まれた人物です」

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