第十一話 Apotheosis 3/6

「もう……」

彼の右手は、身体の横にだらりと下ろされた。

「もう、分かんねぇよ……!」

その右手の先がポケットに向かったかと思うと、灰原アキトはそこからナイフを取り出した。


「『Agony』……!」

彼は、言った。まるで自分を奮い立たせるように。

「他人にどうこう言われて止まるような恨みじゃねぇんだ……! もう……もう、俺にも止められねぇんだよ!」


灰原アキトの目が変わったように見えた。今まではどこかおどおどしていたその目は、もう迷うような素振りは見せなかった。


「──マナブ! 鴨川!」

「鴨ちゃん、バリアを!」

セイジが僕らの方を振り返り、僕が鴨ちゃんにそう指示するのと、

「『Animal』!」

灰原アキトがそう言い、彼の正面にガンガゼが出現したのが、ほぼ同時だった。


ガンガゼとは、毒針を持ったウニの事である。20cmを超える長くてもろい針を持ち、刺した人間の体内に針を残す。いわゆる危険生物である。

灰原アキトはガンガゼを自分の正面に具現化させ、右手のナイフを横向きに持った。そして

「『Accelerate』ッ!」

と言い、まるでナイフをテニスラケットのようにしてガンガゼを「打った」。


本来ならば力も乗らず、自重でガンガゼは地面に落ちる。しかし、アキトはその毒ウニに『Accelerate』、つまり『加速』を使用した。

真っ黒な棘付きのボールは時速100kmを超える速度で真横に飛び、セイジら三人の元へ一瞬で到達した。

「──っ!」

三人が反応するよりも早く、ガンガゼは鴨川ダイヤのバリアに当たって散った。透明な体液を飛散させ、身体はバラバラになって地面に落下した。


「…………」

──見えなかった。

アキトがウニのような生物を『Animal』で作り出し、それをナイフで後ろから叩く。その初速に『Accelerate』を使う事で、圧倒的な速さでそれを撃ち出す。

理屈は分かるが、反応が出来ない。鴨ちゃんの『Defence』が無ければ、あのウニは今頃セイジの顔に突き刺さっていただろう。


「……誰か、ガードしてるな」

アキトはそう呟き、ナイフを左手に持ち替えた。そして「『Animal』」と言った。

アキトの正面に、水牛が現れる。


「何あれ……」

「ヌーってやつ?」

「……でけえな」

水牛は大きな角をこちらに見せつけるように振るい、ひづめをコンクリートにぶつけて音を立てた。

次の瞬間、水牛は鼻息を荒くしてこちらに向かって走ってきた。


──マズい……!

僕は咄嗟に逃げる事を考えた。鴨ちゃんのバリアは遠距離の攻撃を無効化するが、近づかれると全く意味をなさない事は『E』との戦いで判明している。要するに、体当たりのような攻撃は防げないという事だ。

ヌーの最高速度は時速80kmを超えるという。アキトがあの水牛に『Accelerate』を使っているとしたら、その速度は150kmをゆうに超えるだろう。

あんな大きさの筋肉の塊が、時速150kmでぶつかりでもしたらひとたまりもない。その場で身体がバラバラになるか、角に身体が突き刺さって商店街の壁にぶつけられるか。

とにかく、少しでも身体に当たりでもしたら致命傷になりかねない。


──よけられるか……? でも水牛が方向を変えたらどうする? それに、下手に避けて鴨ちゃんのバリアから出たら、今度はあのウニが……。

一瞬のうちに、思考は何度も何度も巡った。どの方法を取っても、一歩間違えれば重傷を負う。そんな不十分な可能性を何度も検討した。

しかし、そんな必死の思考は鴨ちゃんのこの一言で打ち砕かれた。


「──『Death』」

僕の右側からそんな声が聞こえた。見ると、鴨ちゃんが水牛を指さしていた。

正面に向きを変えると、視界に映ったのは既に息絶え、光の粒となって消えていく水牛の姿だった。

「鴨川……!」

「私が守ります……! セイジさんとマナブくんは、話を続けて!」

「……分かった! ありがとう!」

セイジはそう言い、アキトに向かって「おい!」と話しかけた。

「アキト! 話がしたい!」

「あ?」

アキトはナイフを下ろし、右手も収めた。「どうしたよ……!? 命乞いか!?」

「アキトっ!」

セイジはそこで膝をつき、コンクリートの地面に向かって頭を下げた。

「謝らせて欲しいッ……! 俺は……俺は、最低な教師だった!」

「ンな事、俺が一番分かってんだよ!」

「でも……! これだけは分かってくれ! お前は俺の、お気に入りの生徒だったんだ……!」

「そうかよ! お前、お気に入りのオモチャは壊して遊ぶタイプか!?」

「違う! 俺は俺なりに頑張ったんだ! 島津とも何度も話したし、校長先生にも伝えた! 警察にも事情を話した!」

「信じられるか! じゃあユキはどうなんだ!? アイツの為に、お前は何かしたか!」

セイジは顔を上げ、膝の上で拳を握った。

「ユキの両親と何度も何度も話した! 定期的にユキの家に行って、何度もドア越しに会話した! いつかまた学校に来てくれと、繰り返しお願いした!」

「でも!」

アキトが、セイジの言葉を切り捨てるように手を振るった。

「ユキは結局死んだ! お前の言葉なんて響かずに、首を吊って自殺したんだ! お前は……お前は、誰も救えないん──」

「──だからこそだ! だから俺は今、アキト──お前を救おうとしているんだ!」

「──っ!」

「俺を殺してお前が満足するなら、それでいい! だが……俺にも償いをさせてくれ! お前の人生を奪った罪を、俺に一生かけて償わせて欲しいんだ!」

「…………」

アキトは数秒、動きを止め──


──ナイフを、ポケットにしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る