第八話 Ash 1/6
「だ、か、ら! 『胸』が進化すると『乳』になるって言ってんだよ!」
──また、コイツらは馬鹿な話をしているのか。
僕ははぁぁ、とため息をつく。
「そんなワケあるか。どっちもおんなじだ」
──高田ダイキ、鈴木ヨシアキ。僕の親友であり、悪友。
「いいかヨシアキ、男のこの、腹の上の部分はなんて言う?」
「……『胸』だ」
「そうだ。ここは胸部だ。だが、『乳』とは言わない」
「……まあ、うん……男だしな……」
「さて、今度は胸の大きい女性を想像してほしい。彼女の胸についているモノはなんだ?」
「『乳』……?」
「そうだ。男の胸は『胸』だが、女の胸は『乳』なんだ。ではその違いとはなんだろう。──その違いとはなんだろう! その違いとは! そう、大きさだ!」
「性別だろ」
「つまりだ、平らな胸は『胸』と呼ばれ、ある程度の大きさになった時に『乳』へと名前を変える。まるで出世魚のように」
「ンなワケあるか。じゃあなにか、平らな女性の胸と男の胸が一緒だって言いたいのか」
「一緒だろが」
「一緒じゃねぇよ! 貧乳は希少価値だって、ステータスだって、偉い人が言ってんだ!」
「うわ出た。はい、それ言ってるヤツ全員バカね。貧乳の方が世の中には多いでーす。巨乳の方が希少価値でーす。ヨシアキくんダッサー」
「謝れ! 今すぐクラスメイト全員に謝れ!」
はぁぁぁぁぁ、と、僕は長いため息をつく。
何をバカな事を話し合っているんだ、この二人は。しかも大声で、クラスのど真ん中で。
「先生どう思います!?」
かわいそうに、ダイキの質問の矛先は授業の片付けをしていた池内先生へと向いた。
「お、俺かっ? いや、まあ……」
──先生に訊くなよ。困ってるだろ。
「お、俺は…………まあ、大きい方が……」
──先生、答えるなよ。気持ち悪い。
「先生キモっ!」
ダイキが大声で罵る。そもそもお前が訊いたんだろ。
……まあ、いつも通りといえばいつも通りだった。
『一年A組のバカ』と言えば、高田ダイキの事だ。『一年A組の2バカ』と言えば、ダイキとヨシアキの事だ。
少なくとも、いつも彼らと一緒にいる僕は『バカ』扱いされていない。それは不幸中の幸いだった。
「……行くか」
ダイキにからまれる前に──というワケではないが、僕は席を立った。後ろの席の鴨ちゃんが「あ、委員会?」と訊いて来たので、頷いてから教室を出る。
階段を上り、廊下の奥へと歩を進め、突き当りの角を右に曲がると『会議室A』が見えてくる。そこが僕の所属する生活委員会の委員会室だ。
生活委員会とは何だ、と、思う人もいるかもしれない。実は、僕も自分でも何をやっているのか分かっていない。先輩に言われた事をただ機械的にこなしているだけだ。
今までやった事と言えば生徒の身だしなみのチェックと手洗いうがいの促進、それから自転車置き場の整理。『生活委員会』という名前の通り、学生の生活をより良いものにするのが目的なのだろうが、あまりこの活動に影響力があるとは思えなかった。
「こんにちは」
扉を開け、中に入る。まだ時間が早かったのか、会議室の中には先輩が一人いるだけだった。
「や、マナブ」
椅子に座っている長髪の女性、花岡ユイ先輩が気さくに手を上げる。生活委員会の副会長だ。
「早いですね」
「他の子たちが遅いの。もう10分前だってのに」
「10分前行動する高校生はアンタくらいのものです」
「先輩に向かってアンタとはなにさ」
「ア、ア、ごめなさい。アタシ日本語まだ下手ね」
「嘘つけ」
花岡ユイ先輩──気さくな人だ。それでいて規則には厳しい。自分に厳しく他人に優しく、の権化みたいな人。それ故に後輩からの人気も高い。
「結城、遅いねぇ……」
花岡先輩は窓の外を見てため息をつく。僕は彼女の正面の椅子に座りながら「まだ一分しか経ってませんよ」と言った。
「それに委員長はいつも遅刻してくるじゃないですか」
「生活委員会の長として、それで良いのか……」
「先輩が連れてくれば良いじゃないですか」
「クラスが違うの。それにめんどくさい」
「じゃあ文句言わないでください」
そんな事をだらだらと話していると、突然、背後の会議室の扉が開いた。噂をすればなんとやら、委員長がそこに立っていた。
「よっ」
「結城。珍しいな、こんな早く来るなんて」
「ム、失礼だな。今日の議題は教頭からの直々のお願いなんだよ。遅刻するわけにはいかなくてさ」
「議題関係なく遅刻はするなよ」
「あ、マナブくんも居たんだ。じゃあこれで全員かな」
──結城レイ先輩。花岡先輩と同じく三年生。それから男子バスケ部の部長。自分に優しく他人に優しく、の権化みたいな人。それ故に後輩からの人気も高い。
「全員って。まだ二年が来てないでしょ」
「二年は──っていうかあの二人は今日アウェイで試合だろ? だから今日は三人だ」
「……? あ、野球部か。そっか」
「そうそう。……んで、今日の議題だけど」
結城先輩はバインダーを机に置き、僕と花岡先輩が見える位置に椅子をずらして座った。
「小田原市の連続殺人についてだ」
ぴく、と僕は眉を動かす。一週間ほど前からニュースになっているヤツだ。
「犯人が捕まってない……どころか、姿すら分からないヤツですよね、それ」
「そう。真昼間に堂々と殺人をしているのに、監視カメラの映像にすら映っていないらしい。肝心なところはデータごと消えていた、なんてこともあったみたいだ」
「変、ですね……」
──いや、変ではない。僕はもう理由を知っている。何故犯人が罪に問われないのか、何故白昼堂々犯罪を犯せるのか。
『文字』を持っている者は、罪に問われない。
「──被害者は今までで四人。全員男だ」
「……んで、なんでそのニュースがウチと関係あるワケ? 生活委員会だよ?」
「注意喚起をしてほしいんだってさ。小田原の小中学校、一時的に学級閉鎖してるところもあるみたいなんだ。それくらい深刻なんだよ」
「ふーん……」
「ここは小田原とは遠いから学級閉鎖とまではいかないけど……でも、週末に小田原に遊びに行くのは避けろ、って、注意してほしいんだって」
「教頭がやればいいのに」
「教頭先生も話はするみたいだよ。でも念のため俺らも、ね」
──小田原市の連続殺人……『文字』所持者であることはほぼ確定だけど……。
僕は話に入っていけないので、一人で考え事をしていた。
──『文字』の悪用なんだろうか……。どうもそれが引っかかる。『文字』なんて、悪用しようと思えば国一つ消せるくらいの力を持っている。『N』を持っていれば『Nuke(核)』を作れるし、『E』を持っていれば『Earthquake(地震)』を起こせる。
──それだけの力がありながら、やることが4人の連続殺人……? もちろん、殺人自体は重罪だ。それは承知している。しかし、『文字』の力の強大さに比べれば、殺人すらスケールの小さいものに思える。
──本当に無差別なのか? 本当にただ文字を悪用しているだけなのか……?
僕にはどうも、そう思う為のきっかけが足りなかった。
「──じゃあ、そういう事でいいかな。マナブくんも、いい?」
「ん? あ……はい。いいんじゃないですか」
「君、話、聞いてた?」
「聞いてませんでした」
「正直でいいね。じゃあもう一回言うよ。お知らせを書いた紙を廊下に貼るんだ」
「…………」
「…………」
「……それだけ、ですか?」
「それ以外に何しろってのさ、むしろ」
花岡先輩がやれやれといった様子で椅子の背もたれに身体を預けた。
「クラスを全部回ってお知らせしようか、とも考えたけどね。ウチの学生もそんな馬鹿じゃない。一回言えば分かるだろう」
「そもそも、週末に小田原市に遊びに行くような人もいないだろ、って花岡も言うし。そんな深刻に考える必要もないと思う」
「なるほど」
「ってワケだから、貼り紙は俺が作っておくよ。今度みんなで集まったら分担して貼ろう。じゃ、解散」
あっという間に、結城先輩と花岡先輩は会議室から出ていってしまった。相変わらず『生活委員会』などという名前のわりにユルい。
僕は携帯を取り出し、時間を見た。16時10分。会議はたったの10分で終わってしまった。
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