第3話 様子のおかしい相棒

 篠突く雨が降り注ぐ夜の街を、漆黒のバンがひた走る。雨煙が舞う中を、無数の自動車のヘッドライトが切り裂いていった。

 夜の街は、眠らない。まばゆいライトとネオンが闇を縁取り、毒々しい花を咲かせる。

 ビルの屋上には、赤い航空誘導灯が灯っており、航空機事故を減らす努力をしていた。

 そうして立ち並ぶ摩天楼の一角に目指すべき場所があった。レイヴンの拡張現実投影された視界には、そのポイントがミニマップに映し出されている。


「レイヴンは可愛らしいですね」


 ハウンドが唐突にそんなことを言ってきた。銃をいじくり回しながら、なんの気負いもなく。

 レイヴンも自分の銃をいじりながら、耳を傾けていた。銃なんて握ったこともないのに、使い方も、分解掃除のしかたも全部理解できているのが、奇妙な気分にさせられる。


「可愛い? 俺は男だ」

「だからなんですか? 可愛いものは可愛いではありませんか。私は可愛いものが好きです」

「そうかよ。ハウンドも……まあ、色っぽいよ」

「それは……どうも」


 犬フェイスのモニターに恥ずかしいという表情のドット顔を浮かべて、ハウンドは素直に肯定した。

 無機質な性格を予想していたが、いざ喋ってみるとそんなことはなかった。意外なほどに、少女らしいというか、人間味に溢れている。

 外見はどう見てもアンドロイドだが、彼女もサイボーグ——元人間なのだろうか。

 聞きたいが、そこまでの関係にはなっていない。レイヴンは黙って準備に取り掛かった。

 バンに用意されていたジャケットを着た。チャックを閉めようとしたが、胸が大きくて収まらない。


「大変えっちですね。素晴らしいと思います。是非その豊かなおっぱいにむしゃぶりつきたいです」

「ハートを浮かべながら言うな。同僚だろうと殴るぞ」

「同僚ではなく相棒バディです」

「どっちでもだ、馬鹿」

「相棒、私のおっぱいにもむしゃぶりついていいですよ」

「黙ってろ」


 ジャケットは黒い外装と青いインナーカラーのそれだ。ショルダーホルスターとレッグホルスター、腰に巻くベルトなどに雑多な装備品を取り付け、レイヴンはレグルス-71という長方形のブルパップ式PDWを握る。

 ハウンドはブルパップ式のアサルトライフル——サビクー73を装備していた。

 と、揺れるバンが停まった。


「猥談に花を咲かせたいところですが、行きましょう。時間です」

「俺はそんなことに花を咲かせたくない」


 おふざけは終わりなようだ。ハウンドが短く告げ、レイヴンも適当に応じながら開け放たれたリアドアから降りて、地面を踏む。

 そこはありふれたマンションだった。中流階級の家族向けのものだろう。全十七階建てで、目的地は十六階の部屋だ。

 二人はエレベーターは使わなかった。敵に万が一気取られれば、電力を止められる可能性があったからだ。こちらも監視システムをハッキングして、カメラの映像を書き換えているとはいえ、油断はできない。

 なるべく監視カメラの死角を通って進んでいく。


〈レイヴン。新入りのあなたにいうべきことは躊躇うなということです。敵はこちらの事情などお構いなしに撃ってきます〉

〈わかってる。孤児院出のペアレントレスだったからな、そーいう荒事には慣れてるよ。人の命の値段が安い時代だからな〉

〈ペアレントレスなら尚更安いでしょうね〉

〈よくわかってるじゃねえか〉


 無線通信で会話をして、目的の十六階。

 ハウンドが一六〇四号室のロックシステムに、一枚のカードを差し込んだ。ロックハッカーというアイテムだ。軍用のそれは、民間のセキュリティなら容易く突破してしまう解読アルゴリズムが仕組まれている。

 がちゃ、とドアが開いた。

 先頭をハウンドが進み、レイヴンもすぐ後ろに続く。

 室内は3LDKの間取り。ハウンドが前方を警戒し、レイヴンは側面と後方を伺う。洗面所やトイレには何もない。

 ほぼ無音で、リビング前まで来た。

 室内から、声が聞こえる。


 ——「このセクサロイド、マグロだな」

 ——「中古品の穴は緩いわ。駄目だな」

 ——「とか言ってガッチガチにおっ勃ててんじゃねえかよ」


 どうやらセクサロイドと行為の真っ最中らしい。

 ハウンドがドア越しにライフルを構えた。

 レイヴンが彼女の肩を叩く。

 無線通話で三カウント後、ハウンドが発砲。タン、タタタン、と乾いた炸裂音を響かせ、六・七ミリ弾がドア越しに敵を撃った。


「なっ、なん——」

「くそ、ジミー! 畜生ふざけやがって!」


 ドアを蹴破り、ハウンドが声を発した。


「ディオネア軍です。抵抗を辞めて投降しなさい」

「ふざけやがって! くそっ、なんで勘づかれた!」

「撃て撃て!」


 部屋にいたのは合計五人。一人は脳天を撃ち砕かれて脳みそと頭蓋骨の破片をぶちまけた物言わぬ骸となっており、残る四人は拳銃やらサブマシンガンを構えて発砲。

 ハウンドは瞬時に壁を背にし、レイヴンは素早く横に寝そべって発砲。心理的な抵抗が薄いのも精神医療のおかげだろうか、それとも自分が淡白な人間だからだろうか。おそらく後者だ。ペアレントレス・チルドレンは、周りから軽視される。その命も含めて。

 弾丸が一人の黒人女性の胸を貫いた。後ろにひっくり返ったそいつから狙いを外し、隣にいた東洋系の男を撃つ。しかしその男はバリアスキンを起動し、弾丸を防いだ。


「くそっ」

「構いません、釘付けにしてください」


 壁から素早く身を出し発砲。一人をヘッドショットで仕留め、弾幕を軽減する。

 レイヴンはハウンドとは反対側にカバーポイントを取った。撃たれまくったドアが外れ、倒れる。室内は跳弾でぐしゃぐしゃに荒れ、クラッキングに使っていたであろう機材ははちゃめちゃに火花をあげていた。


「グレネード、投げます」

「了解!」


 ハウンドが腰から手榴弾を取り出し、ピンと安全レバーを外して室内に投げ込んだ。


「野郎っ——逃げろ! 行け! 出るんだ!」


 敵が叫ぶ。数秒後、その怒号も爆発音にかき消された。

 粉塵と爆煙が立ち込め、レイヴンは暗視モードを起動する。

 死体が転がっていた。当たり前だ。今、自分たちが撃ったのは人である。死体が出るのは当然だった。

 ベッドの上のセクサロイドは機能を停止し、全裸で横たわっている。股の間からは、精液が溢れていた。量からして、一人分ではない。無抵抗のセクサロイドとはいえ、輪姦なんてのは品がないとしか言えなかった。


「死体が四体分しかない……」


 レイヴンは、敵は五人いたはずだと思い窓に目を向けた。ハウンドも、気づいている。顔のドットモニターに怒りの顔文字のような表情を浮かべていた。


「逃げられました。行きますよ」

「飛び降りろっていうんじゃないだろうな」

「その通りです。説明が省けて助かります」

「だと思ったよ、クソ!」

「バインバインの乳揺れ、期待してます」

「うるせえ!」


 ハウンドがにっこりとしたドット顔を浮かべて、躊躇いなく地上十六階から飛び降りた。

 迷っている暇はない。レイヴンも意を決して、窓から飛び降りる。

 ゴウッ、と空気が全身を叩いた。この程度の高さから落ちたとて軍用のサイボーグが死ぬわけもないが、人間だった頃の根源的な恐怖は拭えない。

 ハウンドがそうするように、レイヴンもまた壁面に爪を突き立てて速度を殺した。

 火花が散り、爪が赤熱化する。コンクリートの破片をパラパラ降らしながら、二人は地上に着地した。


「恐らくあのバリアフィールドの男はサイボーグでしょう。スキャンを欺瞞していましたが、あそこから飛び降りて無事な以上生身ではありません」

強化人間ブーストマンって可能性もある」

「ふふ……馴染むのが早くて助かります、レイヴン。便利に使える肉オナホにしたいくらいです」


 ハウンドがどこかうっとりした声音でそう言った。


「あとでぶん殴る」

「敵を?」

「お前をだ、馬鹿!」


 敵がどこへいったのかは、残された足跡が示している。どうやら地下駐車場に移動したらしい。

 二人は走り、後を追う。しかしハウンドが、またしてもくだらないことを口走った。


「ご安心を、ペニスなら移植済みです。女の喜びを教えて差し上げます」

「ほんっっっと……今すぐぶん殴りてえ」

「性欲は時に行動力に直結しますが」

「今は必要ないだろ!」

「モチベーションになると思いましたが……」

「気が散るんだよ! ションボリ顔したって許さねーからなコラ!」


 地下駐車場に入る——直前、ハウンドがレイヴンのジャケットの首根っこを掴み、引っ張った。


「ぐおっ」

 

 目の前を、一台の四脚式装輪車が飛び抜けていった。


「あれですね。違法改造されています」

「どうするんだ」

「これはディオネア軍の公務です。車を拝借しましょう。市民には公務に協力する義務がありますから」

「だから嫌われるんだろうな、企業軍って」


 言うや否や、ハウンドは近くの四駆に駆け寄ってうなじからコードを伸ばし、接続。ハッキングしたそれをロック解除し、運転席に乗り込んだ。

 レイヴンも思わず閉口しつつも、補償金を打ち切られたくないので車に乗り込んだ。

 ハウンドはエナジースタートを押して、すぐに発進する。


「荒い運転になりますが、おっぱいを揺らしてお楽しみください」

「それしか言えないのかお前!」

「じゃあおまん——」

「黙れってほんと!」


 ものすごい速度で四駆が飛び出した。時速メーターは限界の二七〇キロまで振り切れている。自動車をごぼう抜きにしていくと、接触事故も厭わぬ四脚装輪車が見えた。

 四つ足の先端にある車輪で素早く走行し、アメンボのような動きで邪魔な車に体当たりしている。中央分離帯から弾き出された軽自動車が、対向車線のマイクロバスと激突し、吹っ飛ぶ。

 と、四脚が銃眼から筒先を覗かせた。


「おいあれ、機関銃だぞ!」

五〇口径キャルフィフティーですか。気をつけてください」


 ドドドッ、と五〇口径が火を噴いた。ハウンドはハンドルを切って、機銃掃射を回避。アスファルトが小爆発を起こして弾け散り、的を失った弾丸が背後のトラックの運転手をひき肉に変え、それが派手に横転。爆発、炎上する。


「めちゃくちゃしやがる」

「レイヴン、飛び移れますか」

「……やるしかないんだろ。任せてくれ。ここまできたらヤケクソだ」

「判断が早くて助かります」


 車が四脚に接近。レイヴンはフロントガラスを蹴り付け、窓枠ごと砕いて外に出た。

 敵が体当たりを仕掛けてきて、その瞬間に車が左に降られた。レイヴンは姿勢を崩すがドアの窓を殴りつけて叩き割り、なんとかしがみつく。


「安全運転してくれよ!」

「十分安全でしょう」


 レイヴンは呆れ果て、しかしなんとか車上に這い上がった。チャンスはそうない。

 車が四脚に近づいていった。相手も確実に潰そうと、勢いよく横面で、サイドに寄せて突進してくる。

 思い切って、屋根を蹴った。四脚の真上に飛び乗り、しかし突進を回避しきれなかった四駆が派手なスピンをして横転、宙を舞った。


〈ハウンド!〉

〈平気です。脚部にエラーが出ていますが。あとは任せます〉

〈わかった〉


 レイヴンは四脚のハッチを掴んだ。外部からのハッキングを受け付けないことはわかり切っている。ならばどうするか——簡単だ。物理的に破壊する。

 足で踏ん張り、両手でハッチの取っ手を掴み、全力で引っ張る。高分子導電性人工筋肉が稼働限界の悲鳴を上げた。ナノマテリアルを加速させて経絡回路に流し込み、さらに出力を上げる。

 ハッチがバチン、ガコン、と金属音を上げた。それが四脚の悲鳴であることは、火を見るよりも明らかである。


「ぐっ……ぉおおおおおおおおおおお!」


 雄叫びをあげ、レイヴンはハッチをひっぺがした。

 ぽっかりと空いたコクピットで、東洋系の男が驚愕の表情を浮かべている。レイヴンはすかさず腰からグレネードを取り出し、ピンとレバーを外した。


「あばよ」


 ごろん、と手榴弾がコクピット内に落とされる。

 レイヴンは四脚から飛び降りた。アスファルトの上をゴロゴロ転がって派手にバウンドしながら、敵の最後をしかと見た。


 爆発。

 四脚が内側から爆散し、一瞬でスクラップになった。

 赫々と炎と黒煙が上がり、雨足が強まる夜空を染め上げる。


〈どうだ、やってやったぞ〉

〈さすがです、レイヴン。さすが私の肉オナ——〉

〈マジでそれやめろ! 他人に聞かれたらどうすんだよ!〉

〈すり込んで事実にしていきます〉

〈人生史上最悪な女だ、お前〉

〈トランスですが〉

〈うるせえ!〉


 無線漫才しながら、レイヴンはなんとか起き上がった。

 痛覚が働いているが、ある程度の抑制は自動的にされるらしい。ジャケットも専用の特殊繊維でできているのか、ほつれひとつなかった。

 道路は混乱と混沌が振り撒かれ、あちこちからサイレンの音が響いている。


〈ハウンド、お前は無事か?〉

〈ええ。エラーもなんとか処理しました。ご心配ありがとうございます〉


 レイヴンはとんだ職場に来てしまった——と思いながらも、これまでの地味でうだつの上がらない日々がアグレッシブに変わっていくのを感じた。

 自分が、圧倒的な力を持った実感。そして、これまでにない高揚感。

 不思議な、熱い鉛のようなものが込み上げてくる興奮。


〈帰投しましょう。博士がお待ちです〉

〈リリア、か。……あいつって、偉いのか?〉

〈彼女は第七世代フルサイボーグの研究主任で、ディオネア軍アサルト・ストライカー部隊『ネペンテス』の実質的な指揮官です〉


 レイヴンは思わず、ぽかんと口を開けてしまった。


〈マジ? 俺普通にタメ口だったんだけど〉

〈給料日が楽しみですね、レイヴン〉


 肝が冷えることを言われ、レイヴンはどうやって謝ろうか、そんなことを考え出すのだった。

 何はともあれ、初陣は無事成功に終わり、レイヴンとハウンドは基地へ帰還するのであった——。

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