第2話 大鴉と猟犬

 結論から言おう。

 自分が組んだバディは、俺のカラダに欲情する駄犬だったと。


×


 最初に感じたのは、鼻の粘膜をツンと刺す消毒液の匂いだった。

 体を、ふわっとしたものが覆っている。

 目覚めなければ——仕事に遅れる。今日も早出だったはずだ。

 そう思って瞼を開けて、まずそのクリアな視界に驚いた。

 昨日、アスハに七・〇の視力をからかうようなことをいったが、まさにそんな感じの視界なのだ。くっきりと、天井の継ぎ目の汚れさえ見える。それでいて、脳が疲れない。良すぎる視力は脳に負荷をかけるというが……。


「おはよう、ドローメル君」


 突然視界に顔が現れた。赤い髪のユニセックスな顔の人物が、覗き込んできたのだ。


「六ヶ月七日の眠りからおはよう。君は一度死に、見事蘇った。いや、医学的にはミオ・ドローメルの記憶を引き継いだ別人かな?」

「なんだアンタ……何言って……」

「六ヶ月と七日前、君が勤務する工場で火災事故があった。君は友人を庇い、全身の八割を焼かれた。脳を回収できてよかったよ」


 そういえば——そうだ。自分は炎に包まれ、焼かれ……。


「半年前、だって?」

「そう。……脳をホロスキャンしたんだが、その段階で君の脳は限界を迎えたよ。まあいずれにせよフルサイボーグにする際の脳はスキャンの負荷で死ぬんだが……どうかな、新しい体は」

「新しい体——そうだ、俺……」


 そこで、自分の声が高くなっていることを自覚した。高くも低くもない、女性のような声になっている。

 ガバッ、とシーツを跳ね除け、上体を起こした。

 視界に飛び込んでくるのは豊か過ぎる胸。臀部には、明らかに不要と思える脂肪の肉感を感じる。全体的にムッチリとした肉付きで、ミオは赤い髪の女——確かリリアとか名乗った、両性トランスを睨んだ。


「なんだこれは!」

「気に入ってもらえたかい?」

「気にいるか! なんで女になってんだ、俺は!」

「男の体だと不都合だったんだよ。まあトランスが普通の今、それでもよかったんだが、私の趣味でそうした」

「なんだよ趣味って!」


 リリアが低く喉を鳴らして笑った。


「アバターを作るときは女だろ? 何十時間も男のケツを追っかけて着せ替えるなんて、せっかくのゲームが台無しじゃないか」

「アンタの趣味だろそれ! 戻せよ! なんだこの無駄な肉は!」

「その体を作るのにいくらかかったと思っているんだ。まあ何か? 君が孤児院への支援を再手術に充てるというなら考えてやらんでもないがね」


 この野郎……。

 ミオは差し出された鏡を覗き込んで、そこに写る美貌を前に閉口した。

 好みか否かでいえば、好みだ。凛々しい顔のイケメン美女である。青灰色の髪はサイドと後ろは長く、前髪は目にかからない程度で切られている。瞳は美しい藍色。きめの細かい肌は雪のように白く、もしこんな美女が歩いていれば二度見は余裕だ。だがそれは、他人に求めるものであって自分に必要とするものではない。

 肉体には生身由来の生体パーツも多いが——胸やら尻やら太ももはまさにそのスキンで覆われている——、機械化されている部位も多い。

 表面は全てバイオスキンによって生身らしさを保っているが、左右の腕と膝から下の両足は完全に機械だ。


「くそっ」

「眠っている最中に深層心理に精神医療を施した。受け入れるのも早いだろう?」

「確かに急に自分の外見が変わったらもっとパニック起こすだろうな。……畜生、なんだこのスケベボディは」

「エネルギーの効率上必要なんだよ。……さて。戸籍上の君はあの火災で死んだことになっている」


 ぞわ、と背筋が粟立つのを感じた。

 自分が死んだ——実際、そうだろう。ホロスキャンを受けた以上、定義の上ではそれ以前の己は死んで、記憶を引き継いだ別人となるのだ。

 それに八割を焼かれたと言っていた。そんなの、サイボーグになる以外に助かる道はない。

 しかも彼女はこう言っていた——兵士としてではなく兵器という扱いになる、と。


「レイヴン。今後は君をそう呼ぶ。ミオ・ドローメルは死んだものと受け入れたまえ」

大鴉レイヴン? ふん、大層な名前だな」


 リリアはスツールに腰掛けた。


「君はディオネア・インダストリーズが運用する独立傭兵部門の専属兵器になってもらう」

「この体でか? セクサロイドの真似事をしろってんなら、ここで暴れてやる」

「いや。色仕掛けが武器になることはあっても、そんなちゃちな仕事はオーダーしないよ。このエルトゥーラ企業連合の状況は知っているね?」

「国家解体戦争後、企業が統治するようになった連合組織。企業が統治する街とその周辺の都市圏、それ自体が小さな国のような状態だ。争いの火種はあちこちにある」


 満足そうにリリアは頷いた。


「つまるところ、群雄割拠の戦国時代というわけだよ。我らがディオネアは決定的な突撃打開者アサルト・ストライカーを欲している。君にはその戦力になってもらうというわけだ」


 アサルト・ストライカー。企業勢力が持つ、切り札のような存在だ。


「俺は戦ったことなんてない」

「眠っている間に、睡眠学習を行なった。最低限戦えるよ。無論、実戦経験の多寡には及ばないが……少なくとも素人に戦わせるよりはずっといい」

「抜かりないんだな」


 ミオは——レイヴンは己の手を見た。黒い機械の、スマートな印象の義手が、滑らかに動く。


「孤児院の援助は、本当だろうな」

「この半年、既に毎月送金している。年間で一二〇〇万ロガの送金になる計算だ。前の年収の三倍はあるんじゃないか?」

「……ならいい。先生が、子供たちが少しでも楽に暮らせるなら」

「家族思いだね」

「その家族のために、俺は人を殺すんだ」


 感傷的な感情だ。振り切るようにかぶりを振る。リリアはふっと微笑んで、


「どのみちもう選択肢はない。ホロスキャンをしてフルサイボーグになった今、君は実質不老になったんだ」

「兵器としての義務を壊れるまで全うしろ、だろ。……いい、わかってる。俺は思い切りがいい方だ」

「だろうね。じゃなきゃ、あんな取引には応じないだろうし」


 レイヴンはベッドから降りた。

 身長体重の体感的な数値は、一七五センチ、一三八キロといったところか。男だった頃は一七一センチ六八キロだったので、随分と大きくなったものだ。違和感がないのも、睡眠学習のおかげか。


「ここはどこだよ」

「ディオネア・インダストリーズの企業軍基地だよ。早速で申し訳ないけど、君には仕事を受けてもらうつもりでね」

「本当に早速だな」

「長たらしい説明は飽きるだろう? 歩きながら説明するよ」


 病室を出た。歩いているのは軍服を着たディオネア軍の兵士や、アンドロイドたちである。

 すれ違うたびリリアが挨拶をされる。いずれも敬語だ。ひょっとして、地位があるのだろうか。


「君は上等兵からのスタートとなる。二等兵最下層よりはいいだろう?」

「兵器扱いなのに階級はあるんだな」

「指揮系統ははっきりさせたいからね。さて、早速任務の話になるが……」


 通路を曲がり、エレベーターに乗り込む。どうやらここは地下らしい。リリアは地上一階のボタンを押した。


「この街にいる不穏分子を始末してほしい。度重なるクラッキングを行い、不当な技術情報の閲覧を行おうとしている」

「ありがちなデータ泥棒だな。……俺一人で?」

「いや、上に一人、お仲間がいる。彼女と協力したまえ」


 彼女……女か、とレイヴンは納得した。が、女性的な外見のトランスという可能性もある。

 ややあって、高速で移動するエレベーターが止まった。ケージから出て、リリアについていき裏手の駐車場に出る。

 搬入路のようになっているそこには、無数の軍用車両や輸送トラックが並び、作業用のパワーローダーが稼働していた。


「あそこにいるよ。おおい、ハウンド」


 ハウンド、と呼ばれた女が振り返った。

 そいつは、まさに『猟犬』だった。

 首から下は、やはりというかムチムチの女体だ。けれど機械パーツの比率がレイヴンより高く、胴体はヘキサグラムの模様が浮かぶ灰色のスキンで覆われている。生身なのは唯一太ももだけ。

 加えて頭部は犬のような形状のフルフェイスパーツであり、ドットで表示される表情が、彼女がサイボーグなのかアンドロイドなのかを曖昧にしていた。


「なんでしょう、博士」

「さっき言っていた新入りだ。いろいろ教えてくれると助かる」

「わかりました。——レイヴン、ですね」

「あ、ああ。ハウンド……さん」

「呼び捨てで構いません」ハウンドはぴしゃりとそう言った。


 リリアがウェアラブルのホロモニターを見て、「そろそろだ。行きたまえ」と命じる。


「行きましょう、レイヴン。あのバンです」

「わかった。……その、よろしくお願いします」

「こちらこそ。作戦を成功させましょう」


 ハウンドは事務的にそう言って、案内したバンの後部に乗り込んだ。レイヴンも、黒塗りのバンに乗り込む。

 自動でドアが閉じられ、見えない運転席の何者かがバンを発進させるのだった。

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