断章「真実と、一回目と、恋のはじまり」 3


***


 ベッドに運ぶまで時間がかかった。有馬ありま清史郎せいしろうはほっと息をく。

 なんだかまた別人みたいな姿になっていた気がするが、やはり制服姿の女の子だ。やけに苦しそうで眉間みけんに強くしわを刻んでいる。

 いきなり窓から飛び出して行ったと思ったら、彼女はあの巨体を倒した。すごかった。かっこよかった。

 どう見ても、ふつうの女の子なのに。

「うぅー……ごほっ」

 うなってから、彼女がき込む。その咳の仕方は清史郎のものとは違う。彼女はのどまった血液を吐き出したのだ。それを見て、清史郎は慌ててタオルで彼女の口元をぬぐう。

 看護士や医者を呼ぶべきかとナースコールに一瞬手を伸ばしかけたが、彼女は、そういうものではない気がする。

 入退院を繰り返していた清史郎は、この一か月で病状が悪化し、この大きな個室に居ることとなった。なにが原因かは不明。その検査結果に両親も両祖父母もなんの関心も示すことはなかった。

「み、みず……」

 まただ。彼女は先ほども、この病室の外の壁にめり込んでいたのを助けた時もやたらそう言って……ペットボトルを片手に近づいたらキスをされたのだ。そもそも彼女の言う「すごいやつ」というのは、すでにされていると、清史郎は思った。

 まさか見知らぬ女の子に頭を抱き込まれて濃厚なキスを経験することになるなんて、十五年生きてきて初めてだった。やはりもっと水が必要なのだろうかと思うが、先ほどミネラルウォーターを彼女は吐き出したのだ。

(……どうしよ)

 人助け、だ。

 ほんとうに?

 清史郎はちら、とベッドの上のユズを見遣る。少しどきどきしているのは、なぜなのだろう。さっきの戦いがかっこよかったから? でも、なにもかも、好きな人とハジメテを経験すると清史郎は決めていた。それは医者から診断された寿命と関係している。だから、願いが叶わなくても仕方ないとずっと思っていたのに。

 片手をユズの頭の横につく。

 キスくらいなら、と清史郎は覚悟を決めた。それにこれはカウントしなければいい。事故だ、事故。

 そ、っと唇を重ねた瞬間、ユズが小さく口を小さく開いた。そして清史郎の頭を両手で抱き込み、深く口づけてくる。

「んっ、んー!」

 倒れる! と慌てて清史郎は残った片方の手をついた。や、やってしまった。ぐに、と柔らかい感触が手に伝わってくる。羞恥に顔に熱がのぼってくるが、なにかをむさぼるようなユズのキスに、息継いきつぎがうまくできない。なんとか手の位置を直そうとしたが、そのままバランスを崩しておおいかぶさってしまった。かっこわるい。

 咄嗟とっさに起きようとするが、いきなりユズがまぶたを開けてから、そっと優しく離してくれた。

「…………またやったか。すまない」

 起き上がりながら本気でくやしそうにしている彼女は、呼吸こそ落ち着いたものの、汗がとまっていない。無理をしているのだ。

「知らない女にキスをされるなんて、気持ち悪いだろうに……。ここまで運んでくれたのか」

 彼女は周囲を見回しながら上半身を起き上がらせる。まだ胸を上下させているので、やはり平気なふりをしているのだ。無表情でわかりにくいだけに、なんとも、

「もう大丈夫だ。これくらいならなんとか帰れる。

 だが……さすがにキスに関してはどうにもできないな……。申し訳ないことをした」

 大丈夫じゃないのに、大丈夫と言うし。普通はキスくらいと言うところを、こちらを気遣きづかって心底から謝罪してくれている。

 なんて。

 ぐな女の子だろう。

「ぜ、全然平気そうには見えない、けど」

 思わずそう言うと、彼女は少しきょとんとしてから薄く笑った。

「平気とは言っていない。大丈夫だと言った。帰るぶんにはな」

「…………………………」

 胸をなにかで貫かれたような、落雷でも受けたような衝撃があった。この女の子は、口下手だろうが、きちんと言葉を選んでいるのだ。嘘を、つかないのだ。端的たんてきな言葉と表情ではあるし、思ったことをすぐに口にしてはいるようだが……これほどまでに不器用な女の子を清史郎は初めて見た。

 今まで出会った女性は母親似の美貌びぼうしか見ていなかった。持病があるのでどうしても細身になり、体育は大抵見学。勉強はできたほうだが、それだけだ。こそこそと噂話をする女子。女顔だと馬鹿にする男子。小学生の時はそんな者たちしかいなかったこともあり、愛想よく笑うようにはしていたが、それでも気分は最悪だった。

 とても不思議な感覚だった。あの、もやもやした感覚が一切ない。

「あ、あの」

「ん?」

貴女あなたこそ、僕とキスしたの……嫌なんじゃないの」

 彼女はぽかんとしている。互いに好きな異性がいてもおかしくはない。自分にはこれまでいたことはないが。

「嫌じゃない。ただ皮膚が接触しただけだろ」

 なにその、手と手が触れましたみたいな言い方。自分のキスはどうでもいいってこと?

 なんだか冷や汗がどっとき出る。ちかちかと脳内で警鐘けいしょうが鳴っている。

「好きな人とかいないの?」

「は? いないけど。

 あ、そうか、えっと……そうだよな。恋人がいてもおかしくはないか。もしくは好きな異性……その相手にも悪いことをしたな」

 うーんと片手で前髪をあげる彼女は本気で困っている。清史郎は、はっきりと、こわい、と感じた。

 このあまりにも感覚がズレている少女が、こわい。まともではないということではない。清史郎のことは心配するくせに、なんでこの子は自分のことを心配しないのだろうか?

「土下座して許してもらえるかあやしいな……。たたかれても仕方ないし」

「…………大丈夫だよ。そんな人、いないから」

「そうなのか。それでも、おまえには不快だったろう? どうびればいいのか……」

「あの、名前……」

「あっ、悪かった! わたしは伊波いなみユズだ。高校一年」

 同い年。

 清史郎はなんだかくすぐったいような気分になる。

「僕は有馬清史郎。同じ高校一年生」

「ベッド占領しててすまない。なんの病気かわからないが、寝ておいたほうがいい」

 立ち上がるユズが少しよろめくが、しっかりと立つ。本人の言葉通り、平気ではないが、大丈夫だと言わんばかりに。

「い、いいよ。謝らなくても。なんでキスされたのかわからないけど」

「うっ」

 途端に彼女が顔をしかめる。言いにくそうな表情をしてしまう。

「あー、あれは……わたしの能力が尽きかけてて、有馬からその力が補給できてしまったというか……」

「能力? さっきの怪獣みたいなのを倒した力? 僕から補充できたってこと?」

「えっ、あ、う、うん。そうなんだ。つ、通報していいぞ……」

 気まずいと言わんばかりの表情でいきなりそんなことを言いだすので、清史郎は思わず吹き出した。

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