断章「真実と、一回目と、恋のはじまり」 2

 あの、ちっさいくせにブンブンこっちを振り回したあの虚獣きょじゅうめ! 密度かなにかが関係でもしているのか? いまだに生態が謎なだけに、わからない。もう一度戦ってもこんな状態では負ける。せめてこれが今日の初めての戦闘ならば、力は万全ばんぜんだったはずなのに!

 この男と長時間キスをしたところで、それほど回復はしそうにない。というか、この男はなんなんだ?

 はっ、とした。虚獣の足音だ。ここも揺れている。

「えっ、えっ?」

 驚いている男など気にしているわけにはいかない。虚獣がこちらに近づいている。どれほど気を失っていたんだと焦った。ただうろうろする存在ではあるが、普通の人間の目に見えないために余計に危険だというのに。助かるのが、虚獣は出現した状態だと未知の物質をありったけ吸い込んでいる風船のようなものらしい。そして興味があるのは、生き物でも建物などでもない。ただなにかを探すように徘徊はいかいするのだ。いつか人間や、生き物を踏みつけたり、建物を破壊して前進することなど予想できた。だから無理をしてでも対処していたのに。

 内心腹立たしい気持ちではあったが、ユズはベッドを降りようとする。万全ではない状態と、変身していないことから、身体からだが悲鳴をあげる。

「いつ……」

「えっ、あ、無理に起きたら……」

「世話になった。すまないな、無理やりキスして。よくうがいとかしておけよ。責任とれって言われたら……あー、まあ、なんとかする」

 元々、自分の外見はそれほど目をくようなものではない。胸も大きいわけでもない。小柄だし、感情もあまり表情に出ない。一般男性が気にするようなものを、もっていない。

(そういえばここ病室か……? 広いな……。こんなところにぼっちなのか、こいつ)

「うぐっ」

 痛みで、ベッドから降りた途端にひざをつく。どうあってもこれではもたない。枯渇こかつを起こすという恐怖心がじわじわと広がった。

(枯渇状態になったらどうなるんだ……? 今でもこんなにしんどいのに……)

「大丈夫? やっぱり誰か呼ぼうか?」

 同じようにかがんでくれて、少年が必死に言ってくる。やはりこの男、なんだかすごく、飲料水のタンクみたいに見える。

「おい」

「は、はい?」

「ひとつ、頼みがあるんだが」

「看護士さんですか? すぐに」

「違う。もう一回キスしろ」

「…………ええーっ!」

 るのも当然だろう。だが背に腹は代えられない。

「普通のではダメみたいだから、なんだっけか……なんだかもっとすごいやつだ。それできるか?」

「??? よ、よくわからなくて……そもそも僕、女の人とそういうことしたことなくてですね」

「私もだ。でもただのキスじゃ、回復量が少なすぎる……! 口移しだと限界なのか……一か八だな。やっぱりもっとすごいの頼む!」

「…………」

 彼はぽかんとしていた。そして顔を真っ赤にする。

「す、すごいのってなに!?」

「わからないが、そういうのは男のほうが詳しいんじゃないのか?」

「えっ、えっ? 経験ないからわからないよっ!」

 揺れが部屋にまで響く。彼は今の振動に「え」とらした。

「な、なに今の。地震?」

 ユズは慌てて部屋の窓から身を乗り出して外を見る。まだ距離はあるが、この視力でも完全に姿がとらえられる。いくらのろのろしてることや、こちらの攻撃である程度、人のいる場所から離したとはいえ……。

(違う武器でなにかあったか……? 近距離のものしかなかった……。くそっ! もっとうまく力が使えていれば……)

「なにあれ」

 横から聞こえた声にユズは硬直する。ばっとそちらを見る。少年がパジャマ姿のまま、目を細めて虚獣きょじゅうを見ている。

 嘘だろ。操者そうしゃって。

(わたしだけじゃなかったのか?)

 帰ったらあの七三分けをぶん殴って話を聞き出さなくては。

「あの変なの、見えているのか?」

「え? あの……なんかおっきいやつ?」

 確実に見えている!

 だがここで戦えと言っても難しい。この男はなんらかの病気でここにいるのだ。そんな人間に無理強むりじいなどできるはずもない。結局、一人で戦うしかないのだ。

 ユズは顔をしかめ、それからこぶしを握りしめた。

「ここで静かにしていろ。わかったな!」

 そう言うなり、ユズは変身して窓枠まどわくに足をかけて外へと跳び出した。急激に身体が重くなる。

(くそっ、やっぱりか! とりあえず武器を出す……そんな力も、な……)

 ぐわん、とまた眩暈めまいがした。だめだ……これでは枯渇になる。なる前にあの虚獣だけでもなんとかしなければ。

(一撃で終わらせる一撃で終わらせる一撃で終わらせる一撃で終わらせる)

 まるで呪文のように繰り返す。そうしなければ手足が動かなくなるのだ。疲労がピーク状態とも言えた。

「うぐっ、げほっ」

 吐血した。ユズ自身、未知の物質の影響をかなり受けているせいか、こういう状態にならないようにと七三分けのボケには言われていた。だがどうしろというのだ。虚獣はこちらの事情なんてんでくれない。勝手に出てきて、うろちょろして、迷惑をかける。

 そこまで考えて、ユズはぶつん、と頭のどこかが切れた。

(そもそも、七三分しちさんわけの世界のせいだろうがっ! ふざけんなっ!)

 こういうのは日本の代表の総理大臣とかそういうのがやればいいのだ。だらだらと会議とかを繰り返して、まともな答えも出せないようなボンクラがトップにのさばっているが、そいつらこそ変身して、命懸いのちがけで戦えばいいのだ! なにひとつ、自分は悪くないし、責任をう必要もない。

 ただ。

 放置すれば自分が死ぬということだけが、問題ネックだっただけだ。

「うるせー!」

 脳内の鬱陶うっとうしい考えを怒鳴りつけ、同時にズドン、と空中からの急加速の蹴りを虚獣に直撃させる。こういった蹴りを、ユズは基本的にしない。下手をすると、地面がえぐれるからだ。まあどうせ、逃げて知らんふりをするのだが。

 虚獣の巨体が揺らぐ。吐く息が荒い。武器が出せない。もういい。もういい。

「し、ねっ!」

 着地した瞬間、右足で地面を踏んだ。案の定、力が強過ぎて埋まってしまう。そのままの状態で左足で虚獣を思い切り蹴り上げた。右足で地面を踏んだ瞬間のその出来事だったため、ふつうの蹴りよりも威力が乗り、虚獣は空中に飛ばされ、そして破裂した。空気の抜けた風船のような終わり方だったが、ユズとしてはそれでもかなり体力を消耗している。

「ぜー……ぜー……」

 目がまわる。まずい。

 せ、せめて帰ってから倒れない、と……。もうダメだと、よろよろ歩いていたら、誰かに抱き留められた。視界がうまく働いていない。なにが起こっているのかも、頭が……考えられなくて。

 肩を貸されて引きずるようにして病院に連れられていったことに、ユズは気を失ってから目を覚ますまで、気づくことはなかった。

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