断章「真実と、一回目と、恋のはじまり」

断章「真実と、一回目と、恋のはじまり」 1


 違和感があった。初めて変身して一か月した頃だ。

 たった一人で虚獣きょじゅうとかいうワケのわからんものと戦い続けて、なるべく表面上はいつも通りにと過ごしていた。しかしどうあっても一人では限界だった。

 授業中にぼや~っと疲労を感じながら外を見ていた時、急にピィンと糸を張ったような感覚が脳裏にぎる。

(くそがぁぁぁ!)

 素早くスマホを取り出したが、怒りにまかせて思わず、ワイヤレスイヤホンを握りつぶしてしまった!

(あーっ! これで何個目……)

 ぐてっと机に頭を乗せる。いい加減にして欲しい。

 机の下でスマホの地図アプリを素早く起動させた。視線を動かし、場所を特定する。途端に脱力した。

(おい……沖縄……だと)

 どんだけ移動させるんだ!

 ユズがキレ気味になりながら歯をきしませる。しかし怒ったところで好転することはない。早々にあきらめ、立ち上がった。

「先生、体調が悪いので保健室行ってもいいですか」

 ありがたいことに、それまで誰ともつるまず、同調もしていなかったこと、そして平均値以上の成績を保持していたために教師はユズを疑わなかった。

 もういっそ早退したほうが早い気がする。変身してからどうも、身体からだの調子がおかしい。ワイヤレスイヤホンを片手で握りつぶせるなど、さすがに異常だろう。これも、未知の物質の影響だとすれば、あの異世界人をどうやって殺してやろうかと思ってしまう。


 1日にどんだけタダ働きをさせられればいいのか。

 ユズの体力も限界だった。

 頭がくらくらする。意識が朦朧もうろうとする。

操者そうしゃ、次の虚獣が出たぞ」

 カッと頭に血がのぼり、ユズは異世界人を容赦なく殴った。庭の物置小屋に置いているこいつは、そこらの雑草でなんとかなるので絶対に人間の外見をしたなにかべつのものなのだろう。しかし、やはり他人を殴ってもそれほど痛くない。

(筋肉がついたわけじゃない……どうなってる……?)

 この身体に蓄積されている未知の物質の影響なのは明らかだった。

「出たぞ、じゃない。たまにはおまえが始末してこい」

「それができれば操者はいらない」

 ゴッ! とまた拳を振り下ろす。へぶっと声をらして七三分しちさんわけは気絶した。目立つからと、整髪剤でびっちり七三分けにし、祖父が生きていた頃に使っていた瓶底びんぞこ眼鏡をつけさせている。スーツは、普段使わない父親のところから持ってきた。家族はユズにそこまで興味があるわけではないので、不審ふしんに思われることはなかった。

 バン! と庭の物置の引き戸を閉めて、ユズは片眉を吊り上げる。

「チッ、行くか」

 こんな夜まで、と思いながらユズは手早く姿を変身させた。目的地をスマホで確認する。とはいえ、気配のするほうへ跳べばいいだけだ。街中なのが多少気になるが、なんとかなるだろう。さすがに最初のように、山にぶつけるなどと乱暴なことはしていないのだから。



 壁に背中がめり込んだ。痛みで意識が飛ぶ。

 だから、ユズは気づかなかった。

(ねむ……)

 身体もだるい。さすがに一人でひたすら戦うのはやはり問題だ。なにが選ばれた、だ。厄介ごとの尻拭しりぬぐいをさせられているにすぎない。

 なんだか背中が柔らかいなと思って、とうとう死んだか……破裂死はれつしでないならもういいやと考えていると、「あの」と真上から声が降ってきた。

 驚いてまぶたをあげたそこに、同い年くらいのひょろっとした男がいた。一瞬思考がうまく働かず、「ん?」と洩らす。

「大丈夫ですか?」

 おずおずとうかがってくる男の前で、ハッとする。衣服がぼろぼろな上、顔も隠せていない! なにがどうなったんだと愕然としていると、思い出した。そう、珍しくこちらの武器であるバットをつかまれて振り回されたのだ。遠心力が加わって、ユズはかなり吹っ飛び、どこかにぶつかって……。

「う……」

 やばい。身体に力が入らない……。枯渇こかつに近いのか、そうでないのかもわからない。しかし明らかに意識はぐわんぐわんと回っているし、吐き気もする。痛いし、苦しいし、なんなんだほんとに。

「あの、誰か呼んだほうが」

「よせ!」

 咄嗟とっさに少年の手をつかんだ。刹那、掴んだ箇所から清涼な水が流れ込んで来たような奇妙な感覚になる。かわいていたのどうるおすようなその感覚に驚きのあまり、停止してしまった。

「な、なん……?」

 そっと少年を見遣みやると、困惑したようなそれで手を振りほどかない。お人好ひとよしか、こいつ。

 さわさわと手を触るが、やはり水がこちらにめぐるような状態が続いている。「なにしてるんですかぁ」と男はなにか言っていたが無視した。

みる……疲れが癒される……もっと欲しい)

 ぐらっ、と意識が回った。ユズは体勢を保てずにそのままその場に倒れ込んだ。なんと、重ねられた毛布の上だった。どうりで柔らかい。

 ぼすんと音をたてて、ユズは意識を失うと同時に、限界だったのか元の姿に戻ってしまった。


 選ばれたんだ操者に、とナナサンの声がする。コロスコロスコロス。まだ役に立つから生かしているが、とっととなんとかしたいとは思っていた。

 そもそも一人で活動するとか無理だろう。なんの嫌がらせだ。ああ、しんどい眠い。疲れた、だるい。喉がずっとかわいている。能力を使えば使うほど、それはひどくなってくる。しかも時間しか解決法がない。薬もない。くそっ、これじゃ本当に病気だ!

 なぜ勝手に選ばれて、戦わなくてはいけないのか。こんな体質になど、好きでなったわけではない。水をくれ。お願いだから少しでいいから水を。

 口に小さく水が流し込まれる。ごくんと喉を鳴らすが、渇望が増しただけだった。

 これじゃない。身体をめぐっているほうの『水』だ!

「んんぅ、むっ」

 なにか聞こえた気がするがどうでもよかった。この苦しさをなんとかしたくてたまらない。水を飲んでいるだけだ。なにも迷惑をかけることはない。もっともっと、もっとよこせ。全然足りない。こっちは朝から晩まで、虚獣相手に一人で大立ち回りをしているのだ。べつに天ぷら食わせろとか言ってるわけじゃない。水でいいんだ。

「んっ、ふ……」

 ああ、水が離れる。待て。待て!

「んっ! あ、んむ」

「…………?」

 うっすらまぶたを開けると、目の前に少年の顔がある。二人の唇の間にあった銀の糸がぷつん、と途切れる。

 なにを、した?

 唖然としてしまう。ユズは彼の首に手を回して、逃げられないようにしている。そしてこの体勢。こちらはベッドに寝かされていて、彼はこちらを見下ろしてきていて……。

「…………もう一回いいか」

「はっ? えっ、ん!」

 唇を重ねると、そこから清涼な空気に似たようななにかが流れ込んでくる。ユズはすぐにキスをするのをやめて、考え込む。

「あ、う」

 少年は顔を真っ赤にさせてなにか言いかけているが、気にかけている暇はない。起き上がって、右のてのひらを開けたり閉じたりする。手のしびれが薄まっている。だがこれでは足りない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る