第8の章「感情と、七号と、終わりの始まり」 3

「今日、朝以降も二回戦ったね?」

「うそ……」

 六号が悲痛な声を思わずらす。一号は視線を八号に向けた。

「なんで言わないんだよ……! 昼間だったから? 僕が枯渇こかつすると思った?」

「そうだ」

 あまりにも非情な一言だった。八号が瞳に怒りをにじませる。強烈な感情だった。

「そう……。もう帰ろうユズさん」

「手を離せ」

「離さない」

「離せ」

「治療するから離さない」

「だったらここで治療しろ」

 八号が一号を凝視ぎょうしし、それから六号と七号を見た。

「そんな簡単な怪我じゃないよね……二人に見られてるからって僕がひるむと思ってるの?」

「そうだな」

「…………ごめん、六号と七号は帰ってくれる?」

「おまえも帰れ」

 七号は一号を見つめる。恐ろしいほどに感情の揺れが見えない女だ。隣に立っている八号の手を、一号ががしにかかる。一号と八号では、能力的に力の差がありすぎる。しかし振りほどかれる前に八号が反対の腕をつかんだ。

「なんでそんなに頑固なんだよ……! 二人は帰って。見てても面白いものじゃないから」

 戸惑って七号と一号たちを、六号が交互に見た。どうすればいいのか迷っているのがありありとわかる。

「は、八号、ここで治療はできないの? 一号もそう言ってるし」

「できるから、二人は帰って」

 どうしてかたくなに帰そうとするのだろう。なんだろうか。おかしいと思う。感じてしまう。なにがとは説明できない。ただ漠然ばくぜんとこの二人はあえて、隠そうとしている……? 違う。明かさなくてもいいことなのか。

 枯渇こかつすると一号は言った。そして、反対に八号はしないと言った。二人は反対のことを言っている。そして、一号は確信があって、八号の治療を拒否している。枯渇するほど能力を使う……? だが、それほどの怪我を負っているようには見えない。衣服の上からではわからないだけかもしれないが。

「特殊な治療方法なのか」

 七号の問いかけに近い言葉に、八号はどこか気まずそうにする。だが一号はまったく表情の変化がない。

 なぜ一号にだけ? 怪我の状態によるのかもしれない。そういえば、率先して怪我を負っているのは一号だ。無茶をしていると五号が怒っていた。だが結果的に、八号の能力になにかあるとすればどうだろう。

 武器を出す。防具を出す。だが治癒はその両手、もしくは片手を怪我をした箇所にかざす、もしくは、全体的にかざしている。それがここでできないから、帰ろうとした? だが一号ができると言っていた。ここでも二人は反対のことを言っている。

「我々にはできない、ということか」

「清史郎にはできないだろうな」

 はっきりと一号が言い切る。八号はそこでなにかに気づいたように青ざめ、握っているこぶしに力を入れている。

「……ひどいよ、ユズさん」

「なにがだ」

「結局は僕のためにやってるんじゃないか!」

 悲痛な声に一号はまったく表情を変えない。どこまでも心に揺らぎがなく、静かな湖面のようだった。逆に八号のほうは怒りよりも深い悲しみが広がっている。先ほどまで怒りに支配にされていたとは思えないほどの、深い自己嫌悪と悲哀、罪悪感。

「べつに」

「…………ごめん、また迷惑かけて」

 謝罪しか方法がないとでも言わんばかりの、八号の態度と言葉。

「ど、どういうこと? 七号はなにかわかったの?」

「八号は大きな治癒能力を特定の条件でしか使えない、ということだろう」

「え?」

「そして、その特定の条件を八号は、一号以外には使えない。使えるが、使いたくない、もしくは使いたくても使えないということでは」

「そうだ」

 はっきりと答えた一号の腕を、八号が強く引っ張った。けれど、一号は続けた。

「だからおまえたちはなるべく怪我をするな。ほかのやつらにわざわざ言う必要はない。いつも通りに戦うだけでいい」

「そ、そりゃ、怪我をしないほうがいいけど……。八号が入るまでは確かに怪我とか、しないようにはしてたけど……でも、虚獣は強い個体もいるし……無傷では……」

「だからわたしがやる。わたしは頑丈だし、こいつも治療を抵抗なくできるからな」

 一号が、微笑む。その瞬間、ばち、と奇妙な音がした。とてつもない強い感情。揺らぐことのなかったものが、強い感情をほんの一瞬みせた。七号の心にその感情が強く響いた。魔力が完全に可視化かしかされ、ぐらりと意識がかたむく。

 強烈すぎるそれは、七号の全身に流れる魔力に呼応こおうして、びりびりと身体をしびれさせた。

 みえる。

 一号に、八号の魔力が混じっている。それも身体の半分以上をめている。それは、ひとつのことを示唆しさしていた。なぜ八号がほかの者に強い治癒をほどこせないのか。施す相手が一号に限定されているのか。誰でもいいわけではない。八号が一号相手にしかできない、そう本人が限定している能力。

 片手でくらくらする視界をなんとかしようと、顔をおおう。呼吸が苦しくなり、言葉がうまく出てこない。感情がとてつもなく、揺れる。激しく、揺れる。この強烈な感情は、嫉妬。恋や愛と紐づいたほうの嫉妬だ。それが全身の隅々すみずみまで広がっていく。奥深くに隠していた感情と混じって、鮮明になっていく。視界がはっきりとし、七号は、薄く笑った。

 仄暗ほのぐらいどろりとした汚濁おだくのような感情が、意識をはっきりさせた。

「七号、大丈夫?」

 六号が隣で心配そうに見てくる。先ほどの強い一瞬の感情はこの女ではない。

 視線が動く。怪訝けげんそうにしている一号と、うつむいている八号の姿が目に入った。一号を見た瞬間、愛や恋と称される感情に似たものを感じた。同時に、ちかちかとまだ目の奥で可視化されている魔力と、べつのものが見えている。一号の中には八号の魔力の痕跡が、古いものから新しいものまで、ある。

「六号、帰ろう」

「え? なんで? 体調、おかしくなったの?」

 おろおろする六号に「違う」とつぶやいた。

「八号が治療できないみたいだ。一号のことを考えるなら、帰ったほうがいい」

 ここは一号のことを考えると早々に立ち去った方がいいだろう。六号をうながして帰ることにする。

 ちらりと八号を見遣みやる。八号はとてつもなく苦しそうな表情だ。ざまぁみろと少し思ってしまう。強力な治癒能力が一号に対してでしか発動しないのは、完全に欠陥能力だ。

 卑怯者め。その理由で一号と恋人になったのか。彼女を手垢てあかまみれにし、怪我をするような戦闘に向かわせている。

 先ほどまでの霧がかかったような意識が、今はかなり明瞭めいりょうだ。素早く、空を駆ける。この懐かしさ! そして、はっきりとこの世界を感じることができる。

 なによりも、あの一号がまったく

「ふふ、あはははは!」

 笑いがこみ上げた。様々な生物を渡り続け、そして人間を渡り、なかなか手に入らなかったこの身体のあるじの感情が、屈服した!

「そうか。そうか、七号、おまえは恋心を隠していたのか。秘めた愛か!」

 この男の中にもぐり込み、意識を侵食することは時間がかかった気がするが、瓦解させればあっという間だった。他人事ひとごとのように七号の内側からぼんやりと世界を見ていたが、今ははっきり見える!

 この高揚感こうようかんも、この世界の人間たちの強い感情がかてになっている。そしてこれからは、この身体の感情をすべて奪い、『自分』の身体を。もはや元の世界での名前などは忘れ去っているが、ずっと憶えていることがある。

 操者そうしゃを――――ほうむれ。

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