第7の章「虚人と、雨と、そして絶望」 4

「オネーサン」

 ぼそぼそと声をかけられて、あたしは足を止めて振り向く。ビニール袋を片手に持つ彼は、黒縁くろぶちのやぼったい眼鏡をかけてこちらを見ていた。どう見てもあたしと同い年くらいの男の子だった。

「この先のコンビニ、たむろしてるやつらいるから……その、気をつけてクダサイ」

「…………」

 硬直してしまった。懸命けんめいに走っている自分が、コンビニを目指しているのだと勘違かんちがいをされた。確かにこんな時分じふんに手ぶらのスーツ姿の女がけているなど、あやしいことこのうえない。だけど、あたしは別のことに気をとられた。自分の能力のせいもあって、他の仲間に比べると身体能力が劣っているのだ。こうして走ることも、意識をしなければ普通の人間と同じ速度になってしまう。

 変身しているのに、こうして自信が少しずつなくなる。

 肩をつい、落としてしまいそうになったがハッとした。もろに見られたうえ、声までかけられた!

 まずい……。一号は初めて変身した時、ネットに動画を挙げられている。いや、落ち着け。気をつけろなんてわざわざ言ってくれる人に、変なふうに見えているわけはない。普通の社会人をよそおえばきっと切り抜けられる。と、思う。だが二十代の社会人が、高校生に親切に声をかけられてどう返せばいいのか、思いつかなかった。

 早く去りたいだろうに、変な反応をしてしまったために彼は怪訝けげんそうにしている。どうしよう……。

「……立花たちばな?」

 目を軽く見開く。なんで苗字を……そもそも変身した後の姿は、元の姿とは違うのに。それにここには初めて来た。知り合いがいるはずがない。

 彼はそっと視線をせる。

「スイマセン……なんか、知り合いに似てる気がして」

 ナンパとかじゃないんで……と、ぼそぼそしゃべっている。こちらはどうすればいいのかわからず、困り果てていた。

 は、として視線をあげる。虚獣きょじゅうの影が視界に広がる。確か今日は、一号は体調不良で来られないから……五号が遅れて来るってメッセージが来ていた。珍しく一号がいないので心配になったが、病院に行くということだった。最初こそ、病院に行ったあとに行くというメッセージが届いたが、五号がすごい勢いで「休め」のメッセージを連打していて、一号が根負けしてしまった。一号が返信を打つ前にすごい勢いで表示されていたので、あたしも思わず無言になってしまった。

 能力的に難しいかもしれないが、足止めくらいはできると踏んで来たのだが……そこまで大きくない。これなら頑張れば……いい練習台になりそう!

「なんだ、アレ……」

 能力を発動させるために瞳に力を込めていた時に聞こえた声に、思わず視線を向ける。彼は虚獣のほうを見上げている。この人、見えてる……!

「あ、あの!」

「?」

「あとでお話があるので、ここで待っててもらっていいですか! え、えっと、あたし、立花たちばなゆかりって言います」

「…………いいケド」

「よ、良かった……。あの、じゃあちょっと行ってくるので」

「…………」

 彼が小さくうなずいたのを見て安堵し、あたしは息を深く吸い込む。

 足止めをしていると五号が駆けつけてくれて、その虚獣を倒すことはできた。だけど、緊張しっぱなしだったせいで途中で変身を解く羽目になった。帰りのぶんの力は残しておかなければいけないので情けなくなりながらも元の姿に戻って、五号を案内する。

 さっきの彼はあたしが「お待たせしました」と言って駆け寄ると、少しだけ目を細めた。

 五号からの説明を黙って聞いたあと、彼は勧誘にしばらく押し黙っていたけれど、ちらりとこちらを見てから小さくうなずいた。了承ということで、嬉しくなったが終始ほぼ黙っていたし、変身前と後のあたしの姿に驚いた様子はなかったけど、態度に出ないだけで絶対にびっくりしていると感じた。二号と三号を見た時、あたしは情けないことに腰を抜かした。小学生と中学生が双子みたいな外見になっているなんて誰も思わないはずだ。

 五号が帰ったあと、改めてお礼を言う。

「ありがとう。こ、怖くないので。それにみんなは強いですから、心配しなくてもいいです」

「…………タメで」

「え?」

「同い年だし……タメ口でいい」

「同い年?」

 小首をかしげると彼は少しだけ眉をひそめる。なにか気まずそうに後頭部をいている。

「ぃや……立花、だろ。同じ小学校だった……んだけど、おぼえて……は、ないよな」

「…………」

「おれ……小学校卒業して引っ越したから今ココに住んでンだけど……。立花?」

「憶えてなくてごめんなさい……」

「…………いいヨ、五年も前だし……。でも、ま…………元気そうで、安心した」

「?」

「ぇ、と…………あー……気ィつけて帰って」

 自分が勧誘したというのに、自分のことで手一杯で彼になにが起こっていたか気づくことはなかった。私生活ではずっと仲の悪い両親の喧噪けんそうにうんざりしていたし、彼は無口でなにを考えているのかまったくわからなかった。みんなに追いつきたくて、力になりたくて、足を引っ張りたくなくて。

 必死過ぎて、まわりが見えなくなっていた。だから。

 彼だった肉体が、無慈悲に踏みつぶされた刹那せつな、あたしは強い後悔も感じていたのだ。

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