第7の章「虚人と、雨と、そして絶望」 2

 動くのも億劫おっくうで、あたしは座り込んでいた。

 こんな雨の中にいたら、一番年長者の五号が、一番年少者の二号が、心配そうに駆け寄って来るのに。

 傘を探してくれるであろう三号と、四号は、もういない。

 とりあえずと、自身の上着で雨避けをしそうな八号も、呆れたような顔をする一号も、みんな……もう……。

「ひぐ、うぅ、あ……」

 どうして。どうして。

 は、として顔をあげる。ぐるっと周囲を見回した。あいつの……あの、虚人の死体は……?

 血眼ちまなこになって、歩き回る。ない。どこにも、ない。ない……!

「そんな……」

 間違いなく、倒したと、思った。……でも、目の前で八号が死んだのは、あの後で……じゃあ……。

「……いちごう」

 あんなに、あんなになってまで、彼女は、戦ったのに。それなのに。

 頭に血がのぼった。激しい怒りのために、視界が真っ赤に染まる。逃がすなんて。逃げられるなんて。あたしが、気絶したのに見逃されたのは、みんなよりおとるから……。

「ふ、ふ、あはは」

 ゆがんだ笑いがこぼれた。

 仲間がしたことは、すべて無駄だった。無駄になった。こんな、役立たずを、生かすなんて。みんな、みんな……!

「うううう、いやだ……いやだいやだいやだ」

 がりがりと、片手でほおく。爪が引っかかって、皮膚が破れる。でも、痛くない。

 残るべきは、一号だった。あたしじゃない。こんなの、認めない。許せない。

 でも、でも。たぶん、最初に一号が吹っ飛ばされてなかったら……みんなをかばって、最初に、死んだはずだ。

 こんな終わり方をするために、戦ってきたわけじゃない……!

「もどれ、もどれもどれもどれもどれもどれもどれ」

 楽しかったあの時間へ、もどせ。

 みんなの残骸ざんがいを集めて、爆心地みたいになっているところに置く。離れ離れは、嫌だよね。みんな、一緒に葬るほうがいい。

 歩いて、ひろって。あるいて、置いて。あるいて、拾って。歩いて、おいて。

 うまく動かない身体を叱咤しったして、雨がざあざあと降り続ける中、作業みたいに、みんなを集めた。

 みんなを集めきった頃には、空はすっかり夜のとばりが落としていた。だが、雨がやむ様子はない。

「う、あ、あ?」

 おかしい。身体がうまく動かない。あぁ、これ、枯渇こかつ

「か、かぃ、かいじょ……」

 慌てて変身を解くと、激痛が身体を襲った。声も出せずに転倒して痙攣けいれんする。くれぐれも気をつけるようにと、一号に言われていたのに。

 雨がやまない。

 止んでくれない……。


***


 世界は大混乱におちいった。最初に滅んだのは、日本だった。小さなその島国はあっという間に、地図から消えた。

 そして世界を混乱におとしめた元凶は、数十年の間にあらゆる場所を蹂躙じゅうりんしてまわった。戦争など、紛争など、なくなっていた。それどころではなかった。

 なにせ、原因は『目に見えない』。観測できないのに、敏感びんかんな者はなにかが居ると語った。ネット怪談になり、あっという間に拡散された。恐怖に叩き落としたソレは、人々に不安を植え付け、そしてあおるように、天災のように、勢力をつけた台風のように大地とそこに生きるものたちを、ぎ払っていく。

 年齢を数えることを、あの日からしなくなった。今の自分が、どうなっているかなど、どうでもよかった。

 生き残った自分は、ひたすら考えた。どうすれば、みんなの復讐ができるのかばかり考えていた。

 右の視力は消え、五感のうちいくつかもそれにならった。一号が生きていたら、きっと睨んでくる。その想像すら、辛くて。思い出すのもしんどくて、泣いてばかりだった。片腕は使い物にならなくなって、切断するしかなくなった。壊死えししていたそうだ。

 両親はやっと離婚した。父と暮らすことになったが、結局は殺して財産を奪い、日本を去った。ろくでもない人間だから、生きていても他人に迷惑をかけるだけだ。まるで自分のようじゃないか。殺した時も、なんの感情もかなかった。大切にしてくれない、愛情も寄越よこさない親なんかより、よっぽど大事なものが奪われたのだ。ほんと、どうでもよくなった。

 ちらほらと、大きな謎の生物を見た、ひとの姿をしたものの気配を感じた、など、ネットで書き込まれることが多くなった。その匿名とくめいの人物たちは、その書き込み以降、ネットに二度と現れることはなかった。

 目に見えないのだし、防ぐことはできない。そんなものが、世界を襲っているなど誰も想像できない。なにせ、見えないどころではなく、音も、なにも、とらえることは不可能だからだ。

 そう、操者そうしゃと呼ばれる体質の者でなければ、その脅威を正確に把握することは、できない。

 誰とも相談できず、誰ともその危機を分かち合うこともできず、ひたすらに、戦うことしかできなかった。ナナサンが日本に居たのは、日本が異世界との距離が一番近かったからだということはわかった。あの国がつぶされたあと、世界中に未知の物質はあふれ出た。日本という小さな大地の上をただよっていたそれが全世界へと手を広げた結果として、当たり前だが、パニックになった。

 そして再び対峙たいじした時、あたしはもはやまともな判断がつかない状態になっていた。誰とも話すこともなく、手当たり次第に虚獣きょじゅうを破壊し、のうのうと生きてきて、やっと機会に恵まれたというのに。

 かたきつどころではなかった。圧倒的な力量の差に、絶望でおかしくなった。殺される直前、延々と貯め込んでいた『魔力』を使った。

 その爆発は目に見えず、あっという間にこの世界のことわりを書きえてしまった。もはや、こちらのほうが災害であった。

 それでやっと、相討ちになった。

 そう、あれは相討ちだろう。

 落ちていた砂時計の砂が急激に、重力に逆らって戻る奇妙な現象。蝶の羽ばたきで、どこかで竜巻が起こる理不尽さ。それは時間の巻き戻しに近いものだった。いや、進めていたのかもしれない。すごい速度でその状態は完了した。

 かち、と秒針が音をきざんだ瞬間、再び「世界」は素知らぬ顔で、始まった。

 当然のことだが、すべてが始まりに戻ったことにより、自分の記憶も戻ってしまい、なにもおぼえて……その表現は正しくない。なにも起こっていない状態になったのだから、未来に起こることを予知することは不可能だった。

 そしてあの惨劇さんげきの日がきて、思い知る。

 止められない運命を、繰り返す。馬鹿のひとつ覚えのように、繰り返す。なんども、何度も、なんども。

 何百回、何千回と繰り返していたかもしれない。だって、あたしには記憶なんてない。同じ道順をまったく間違えず、同じことをひたすら繰り返した。憶えていないのだから、それは、仕方ない。仕方ない、ことだった。都合よく、記憶を持ち越すなんてこと、起こるはずがなかった。

 過去も未来も変えるすべがなく、その道程みちのりを変えることすらできない。外から見れば、なんとも滑稽こっけいだったことだろう。なにを何度も同じことを繰り返すのだと、外野は簡単に嘲笑ちょうしょうするだろう。

 それこそ、奇跡でも起きなければ想定外のことは起こることはない。

 仲間が悲惨な結末を迎えることを、「知って」いたのに。

 手を差し伸べてくれる超常の存在はいないし、取引を持ち掛ける悪魔もいはしない。だれにも、どうにもすることができない運命だった。

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