第5の章「敵と、日常と、非日常」 2

「な、なんだ!」

「やかましい!」

 コバエを追い払うようなとてつもなくゾッとするような声。

 途端とたん、いちごうが片足を地面に向けて、ドン! と蹴った。ふつうは跳躍のためのそれが、足元のそれを強烈に破壊した。男が完全に姿勢を崩した。警棒が防御のそれを叩き壊す。唖然あぜんとする男ののどをすごい勢いでつかんで、いちごうが目を細めた。

「だれが脳筋のうきんだ……。このくそひ弱坊ちゃんがよ……」

 えええ、すっごく口悪くなってる。ここまでキレてるいちごうを見るの、初めてなんだけど……。

「ぐ、ぐっ、」

「手は折っておくか」

 ぽつんとそう言うと、いちごうは男を大きく片手で持ち上げ、いた腕で藻掻もがく男の両腕に素早く手刀しゅとうをぶつける。にぶい音が同時にして、男が悲鳴をあげた。とは言っても、まともな声になっていないけど。

「おわああ、見るな見るな!」

 お兄ちゃんが目隠しをしてくる。確かに残虐ざんぎゃくと言ってもいい。でも、いちごうはまだ殺していないし、そもそも腕を使い物にならなくしただけだ。折っただけ、というのがまた、なんかいちごうらしいとか思ってしまう。だって、骨折は治るもの。あれをごごうさんがやったら、つぶれちゃう、よね……間違いなく。

「……まほう、ってやつを使ってたのか……? 四号、どうするのがいいんだ?」

「え」

 話を振られて、よんごうさんが戸惑いの声をあげた。

「えーっと、うーん。魔術って言ってたか? 詠唱えいしょうがあるなら、口をふさぐとか。そうじゃないなら、なんだろ……まあでも、腕を折ったのは正解だと思う」

「ふーん。じゃあこのまま喉掴のどつかんでれば、喋れないし、まあまあいい感じか」

「す、すごいな一号……男の足が地面についてないんだが……」

「このほうが苦しくていいと思うし。ろくなこと考えない感じ……おいおまえ、いま、蹴ったな? 足も折ってやろうか?」

「あんまり力入れるとのどつぶれるって! 一号、手加減しろ!」

「わたしが背が低いからって、この野郎……。なさけをかけてやってんのに、こっちを怒らせるような真似しやがって。

 いいこと考えた。五号、これ、おまえにやる」

「え? 私? なんで~?」

「おまえの得意分野の参考にするのはどうだ?」

「えー。三次元にはあんまりえないんだけど。まあでも、リアリティは出るかな~」

「おいぃ! 妹の前でそういう会話はやめてってばぁ!」

 お兄ちゃんの情けない声に、真っ暗な視界の向こうで話をしていたみんなが一瞬、黙ってしまう。

「四号、妹の耳をふさいでくれぇ」

「え。う、うん」

「馬鹿なことをするな。もう危険じゃないから、三号もこいつの処遇しょぐうについて考えろ」

 ぴっ、とお兄ちゃんが変な声をあげる。そして私の視界から手をどけてくれた。う、うわぁ、すごい。いちごうは軽々とのどつかんだまま男を「った大きな魚」みたいなノリで持ってる! かっこいい!

 その様子をスケッチブックにいているごごうさん。よんごうさんは溜息ためいきをつきながらうんざりした顔をしている。

「ナナサン、こいつ、おまえの仲間なのか?」

 明らかに違うのに、わざわざいてる……。ナナサンを見ると、ぶんぶんと左右に首を振っている。

「敵対勢力だ。操者そうしゃを排除する宗教みたいなのがある。そこの魔術師だろう」

「魔術の世界なんだ……」

 よんごうさんが「へぇ」となにか感心していた。まほう、じゃないの? なにが違うのかな。

「宗教? なるほど……いわゆる、そういうやつこそ悪っていう思想ってことか?」

「そうだ。操者の存在は、我々の世界をいずれ脅かすことになるとか、ほかにも色々と物騒な思想がある」

「…………へぇ、そうなのか」

 うっすらと怖い笑みを浮かべるいちごうが、ゴーグルをしているせいで表情がよくわからないけど、横目で見ていたよんごうさんが無言で青くなってる。

「ほんとだー! よく見ると褐色系のマハラジャ系だー!」

 なぜかごごうさんが興奮している。その様子にお兄ちゃんはなんだか泣きそうだった。

「身に着けているのは、術を増幅するアーティファクトだ。外しておいたほうがいいぞ」

 ナナサンの言葉に、「え」とお兄ちゃんとよんごうさんが同時に声をあげた。途端、いちごうが容赦なく男の襟元えりもとに残っているほうの手をかけて、力任せに下へおろした。びりりり、とか、ぶちぶちぶち、とか、金属と衣服が破壊される音がして、みんな唖然あぜんとしてしまう。

「きゃーっっ! ユズちゃん、い、今のもう一回! 超絶かっこいい! もう一回!」

「はあ? もう服とか装飾品壊したから無理に決まってだろ」

「そこじゃない! 破廉恥はれんちだから!」

 慌てていちごうを止めようと、よんごうさんが彼女の腕をつかむ。

「ち、ちょっとおい!」

「だめだって! まだ小学生がいるんだから!」

「は? 何歳がいようと関係ないだろ。素っ裸にしなかっただけ良かったと思え」

「いやいや、ユズちゃん今したほうがいいって! 素っ裸で正座させたほうがきっと言うこときくんじゃない?」

「悪魔かおまえら!」

 悲痛なよんごうさんの声に、いちごうは思案している。ちら、と男のほうを見遣みやった。なぜか顔を真っ赤にしている男がぷるぷると震えていた。やっぱり骨折するのって、痛いみたい……。

「とりあえず五号はスケッチブックをしまえ! 一号は手を放せって」

「いや、それは無理だな。こいつ、わたしのこと馬鹿にしたから、許さん」

「じゃあオレが捕まえておくから」

「ダメだ。なにをするかわからないから、このままにする」

 ぶらんぶらんと片手で男の人を振り回す。す、すごい! いちごうって、やっぱり予想外のことをしてくれる! ヒーローじゃなくて魔法少女に変身して、怪物をぼこぼこにしてもらいたい! ついでに朝礼で話の長い校長先生も!

 あれ? なんか男の人、あわふいてる。

「気絶してる! ほら、一号、オレが代わるから!」

「……親切で渡さないのに」

 ぼそりといちごうがそう言ったので、よんごうさんの動きが止まった。そして視線を、ごごうさんにびた機械みたいな動きで向けている。彼はのけり、いちごうに素早くしがみついた。

「あのな……」

「ひっ! ち、ちが、そういうつもりはなくて、五号がすごい目で見てるから……!」

 と、よんごうさんは赤くなったり青くなったりと繰り返して説明しつつ、それでもいちごうを背後から抱きしめるようにしがみついている。そんなにごごうさんが怖いのかな。

「わあああ! な、五号! 頼むからスケッチブックしまえって!」

「……めっちゃおもしろ……」

 ぶくく、と笑いをこらえながらごごうさんがにやにやと見ている。

「あーあ……パニックでなにしてるのかわかんなくなってるな、これは……」

 お兄ちゃんが呆れたように言うけれど、そそくさと私を連れて距離をとった。

「よんごうさん、いちごうが好きなの?」

「いや? あれは、反射的に抱きついただけ。ほら、時々パニックになると、四号は身振り手振りが混じるだろ?」

「そういえば、そうだね」

「それで、一号に抱き着いたままその癖が出てる感じだな。一号もまったくどうじてないから、シュールな光景だな」

 男を吊り下げてるポーズがやばかったか、とお兄ちゃんが言っている。よんごうさんは、とうとういちごうの肩に顔をうずめてしまった。なんだか可哀想……。

 あ、なんか……。

「お兄ちゃん!」

「ああ! 戦闘の音が派手にしたからな、人が集まってきてる!

 一号! ここから撤退てったいだ!」

 声をかけると、一号がうなずいた。

「なんか四号がセミみたいにくっついてるし、どこか人目につかないところに移動するべきか。二号、三号、誘導しろ」

「うん!」

「おう!」

 二人同時に返事をする。

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