応援コメント

表現することの「責任」」への応援コメント

  • 現代の創作者が直面する複雑な問題を深く考察しており、非常に考えさせられました。

    暴力的なキャラクターや非道徳的な行動が読者に悪影響を与えた場合に、作家はその影響を無視してよいのかという問いですよね。
    私が執筆している作品は、現代の道徳や規範に対して挑戦しているので、耳が痛かったです。

    私も津角夢双様に賛同します。創作者は、表現の自由を享受しつつも、その表現が社会に与える影響を常に考慮すべきだと思います。そして、自己の視点や価値観を見つめ直し、表現の「距離」を適切に保つことで、より成熟した、影響力のある作品を生み出せるでしょう。

    作者からの返信

    柿うさ様

    「暴力的なキャラクターや非道徳的な行動が読者に悪影響を与えた場合に、作家はその影響を無視してよいのか」という問いを、私はしていないつもりですが、誤解を与えかねない文章を書いたことは認めます。申し訳ない。

    結局のところ、文体には著者の人格が滲み出ざるを得ないということを、吾々書き手がどれだけ強く認識しているか、ということです。誰も彼もが判で押したような文体を用いているということは、人格も似通っている、いや、敢えて言えば“似たような人格に飼いならされている”のではないか、ということです。その画一的な文体でよしとしているということは、実のところ本気で言いたいことなど何もないのではないか、ということなのです。

    読み手も書き手も、書かれた内容ばかりに意識をふっています。建物は外観だけではただのハリボテでしょう。骨組みがいい加減では話になりません。小説もまったく同じことです。