第32話 第一回定期試験を鼻先のニンジンで乗り越えろ




「ついに来るのか……ヤツが……」


 

 どうやらこの時期のことを暦では初夏と言うらしいが、気温はすでに夏。


 うちの喫茶店で、かき氷が爆売れするぐらいの暑さである。



 そして学生においてこの時期はというと……ついにヤツが牙を向いて襲いかかってくる時期、そう、第一回定期試験である。


 高校に入って最初の大きな試験。


 成績に直結するので手は抜けない。



「ふふ、試験だからってそう焦らなくても。毎日勉強をしていれば、その積み重ねは力となって身に付いていますから、大丈夫ですよ」


 お昼休み、黒板の横の掲示板に張り出されている『定期試験のお知らせ』の紙を呆然と見ていたら、黒髪お嬢様ミナトが余裕の笑顔で話しかけてくる。


 ミナトは子供の頃からの才女で、本来ならもっと遥か上のランクの高校に行けるレベルの女性。


 それが一緒の高校が良いと、俺に合わせてランクを落としてこの高校に来ている。


 確かこの高校の入学試験で余裕のトップだったはず。


「う、うん……これを乗り越えないと、夏休みのフェリー計画が実行出来ないしな……頑張らないと」


 俺はミナトと違って、成績は真ん中よりちょっと下。


 悪くもないが、良くもない。あまりに成績が悪いと、夏休みに行われる特別学習に呼び出されてしまう。


 高校生の貴重な夏休みを潰したくないので、それだけは避けたい。


「チッ……どうして定期試験とやらにはマラソンとか球技とか無いんだよ……! それさえあれば私だって……」


 俺たちの後ろに青い顔で現れたのは、金髪ヤンキー娘カレン。


 彼女は……本来、中学時点の学力では、この高校すら入れないレベルだった。それをミナトと同じように、俺と同じ高校に通いたいと一念発起し、努力でなんとか合格した女性。


 カレンはスポーツ少女で、運動に関してはスバ抜けた物を持っている。


 ……が、勉強はちょっと苦手。多分、平均よりちょっと下の俺よりさらに下だったはず。


「カレン、これは『学力テスト』だ。運動のテストじゃあないんだ……」


「チッ……嫌だぞ……夏休みは三人でフェリーに乗るって決まってんだ。ミ、ミナト、何とかしてくれ!」

 

 カレンが青い顔でミナトにすがりつく。


「そうですね……ではお二人には、テストで頑張ったらご褒美をあげます。というのはどうでしょう。ふふふ」


 カレンに泣きつかれ、ちょっと困った顔をしていたミナトが、名案思いつきました、といった顔でニンマリ笑う。


 ……え、なんかミナトが怖い顔なんですけど……?




「こういうキツイものを乗り越えるには、ご褒美を設定するのが一番効果的なんです。これされ乗り越えればアレが出来るとか、そういう分かりやすいご褒美さえあれば人間、頑張れてしまうものなのです。漠然と勉強しなきゃ、では意欲も湧いてきませんしね」


 放課後、俺の家の喫茶店の個室を開けてもらい、作戦会議。


 ミナト先生による試験対策講座。


 なるほど、ご褒美作戦か。確かに報酬さえあれば、頑張れてしまうかも。


「それを個人的に設け、ご褒美を手に入れるために頑張るわけです。これだと、将来のためとかいう分かりにくい目標よりは、具体的な欲求を満たす行為、まぁ鼻先のニンジン効果で思わず走ってしまうものなんです。ふふふ」


 鼻先のニンジン……分かりやすいが、想像する絵面は酷いものになるな。


「そこで重要になってくるのが、何をご褒美にするか、ですね。走り出すキッカケですし、なるべく強力なエサがいいですね……例えば……点数が良ければリュー君に抱いてもらえる、とか!」


 ミナトが付けていないメガネをクイっと上げる動作をし、ババーンという効果音が聞こえそうぐらいの大げさな動作で俺を指してくる。


「……! それいいぞ! それにしよう! 待ってろリュー、優しくしてやっからよぉ……へへへ」


 金髪ヤンキー娘カレンが、ミナトが提示したご褒美とやらに目を見開いて反応。


 ニヤァと嫌な笑顔になり、俺に向かってカマキリのように両手を構える。


 ちょ、なに、俺襲われんの?


 優しくって……絶対に嘘だ!


「ふふふふ……でも手に入るご褒美がどういうものか、分からないこともありますよね。そういうときは……お試し無料体験を実行すればいいのです! そう、リュー君に抱かれるということがどれほど気持ちの良いものなのかを事前に知っていれば、より勉学に身が入り、想定以上の効果を叩きだし、もしかしたらリュー君のほうから私たちを求めて誘ってくるようになるかもしれないという、奇跡の無料体験を先行体験んんん……!」


 黒髪お嬢様、ミナトの目が怪しく光り、大興奮で長文のセリフを一気にまくし立ててくる。半分以上聞き取れなかった。


 そして残像を残しながら身体を左右に振り、俺の制服のズボンにガッツリ手をかけてくる。


 ぶ、分身……? ちょ……外れねぇ……ミナトってこんなに握力あったっけ?


 俺が慌てて抵抗するも、俺を襲う個体がもう一体。


「あはははは……なるほど、つまりここらで一回リューを抱いといて、スッキリしてから試験に望むってことか! いいぜ、いつまでも悶々としてちゃあ勉強も出来ねぇからよぉ……私を救うと思って抱かせろリュー! 天井のシミでも数えてりゃあ終わっからよぉ。いや、明日の朝には終わってっからよぉ!」


 こっちの個体はフェイント無し、速度重視の直線アタックか。


 つかカレンさん、終わるのが明日の朝って、長くないですかね……。


「リュー兄ー、ミナトお姉ちゃんとカレンお姉ちゃん来てるんでしょー。歌を一緒に……ほぎゃあああ! お兄ちゃんが黒い二個の物体に襲われてるぅぅぅ!」


 左をミナト、右をカレンに抑えられ、俺のズボンのベルトが一気に抜き取られる。


 ……ああ、終わった……俺、強制的に大人になります……と諦めていたら、個室のドアが無造作に開けられる。


 自分専用のマイクを持って襲撃現場に現れた、俺の妹のリン。


 いつも優しい二人の変わり果てた姿、衝撃の映像が目に飛び込んで来ただろう。


 それなのに逃げずにマイクをブンブン振って、必死に黒い物体を追い払おうとしてくれている。


 ああ、俺はなんと兄想いの妹を持ったんだ……嬉しいよ……でも手遅れサ・ヨ・ウ・ナ・ラ……というのは嘘で、さすがに妹の前で格好悪い兄の姿を見せられるか!


 俺は何とか黒い物体を抑え込み、頭を撫で、二人を人の姿に戻してやった。





「やったぜ! 全部平均点超えたぞ! 見ろよリュー! あははは」


「すごいですねカレン。やれば出来るじゃないですか、ふふふ」


 その後試験の日を迎え、結果発表。


 黒髪お嬢様、ミナトは当たり前のようにトップ。


 そして金髪ヤンキー娘カレンが、俺より成績が良いとかいう状態に。


 ……ま、負けた……。


 はたしてカレンは何をご褒美に設定して頑張ったのか分からないが、結果を出せたのだから聞かなくてもいいか。



 さ、帰るか。


 なんか身の危険も感じるし。


「……なぁ待てよリュー……へへへ」


 試験も終わり、ダッシュで帰ろうとしたら何者かに肩を掴まれた。


「ま、待て……落ち着くんだカレン」


「へへ、私は落ち着いているよぉ……じゃあ行こうぜリュー、楽しい楽しい密室へなぁ!」




 ミナトとカレンに引きずられ着いた先は、俺の家。


「あー帰って来たぁ! じゃあ早く歌おうよぉ!」


 妹のリンが満面笑顔でミナトとカレンに抱きつき、二人もとても優しい笑顔。


 ……どうやらテストの結果が良かったら、妹のリンと一緒に歌う、と約束したらしい。


 

 なんだよ、身の危険と命の危険を感じていたが、健全なテスト期間の終わりで良かったよ。

 

 マジで。
















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