第64話

 莫大な妖力が解き放たれて、江戸の空気が一変した。


 闇が一層濃くなり、冷たい風が吹き荒れる。ぬらりひょんにこんな力はないはずだ。


 別格の存在そのものが、この場所を異界へと変えていくかのようだった。


 俺はその圧倒的な力に一瞬たじろいだが、すぐに自らを奮い立たせた。


「此処よりは死地です。あなたは拙者を英雄と呼んでくれた。だが、ここより先は英雄への道です。進まれますか?」

「弥一殿、あなたは紛れもなく英雄だ。だが、俺はただの悪代官に過ぎない。すでに、英雄は将軍様がなられた。裏方として決着をつけるだけだ」


 彼は何も言わず、ただ静かに俺を案内してくれた。


 たどり着いた場所にいたには、一人の青年だった。


 白くて長い髪によって固めが隠れ、着物に下駄、黄色と玄野チャンチャンコを羽織る青年は、その瞳には冷酷な光が宿り、彼が一筋縄ではいかない存在であることを物語っていた。


「江戸幕府町奉行所、桜木鷹之丞である! 貴殿がこの異空間を作り出している御仁だな!」

「鷹之丞様」


 弥一さんの声を聞けば、妖怪の足元に九鬼の姿が見えた。


「うん。そうだよ。僕は夜叉丸。彼がこの世界を壊したいっていうから願いを聞いた上げたんだ」

「そうか、では、夜叉丸。俺からも願いを言ってもいいか?」

「何?」

「今から、何もしないで消えてくれ」

「はは、君、面白いね。ごめんね。それはできないんだ。願いを聞いてしまったから、君の願いは聞けない」


 夜叉丸が俺に視線を向けただけで、息ができないほどの威圧が推し寄せる。

 

 俺は息をゆっくりと吸い込んで、剣を正眼に構えた。

 

「無極流剣術をもってして、お前を斬る!」


 俺は覚悟を唱えて構えた。


 無極流剣術は、単なる剣技にとどまらない。陰陽術を応用したこの流派は、妖怪や霊的な存在に対しても有効な力を発揮する。


 俺がこの力を駆使し、夜叉丸を封じるしか道は残されていない。


「さあ、来い!」


 俺が叫ぶと、夜叉丸はその細い指を軽く動かし、まるで空気を裂くように鋭い一撃を放ってきた。


 髪の毛を飛ばして針のような強度を作り出している。

 俺はそれを切り伏せて叩き落とした。


「ふむ、やるじゃないか」


 夜叉丸は静かにそう呟き、再び攻撃を仕掛けてくる。だが、俺もここで引き下がるわけにはいかない。無極流剣術の真髄を解放し、全力で夜叉丸に挑んだ。


 全身に霊力を循環させて、刀を自分の体の一部として意識する。


「無極流・陰陽剣!」


 俺は剣に影と光を閉じ込める。


「へぇー凄いね。その方には僕を滅することができる力が含まれているわけだ」

「わかるのか?」

「だって、脅威を感じるからね」


 そのまま一閃を放った。その剣撃は霊力を帯び、妖気を切り裂く。


 夜叉丸は驚いたような表情を一瞬だけ見せたが、すぐに冷静さを取り戻し、俺の攻撃をかわして反撃に転じた。


「無駄だよ…当たらなければ意味はない」


 夜叉丸はそう言いながら、再び髪の毛を飛ばして襲いかかってくる。

 だが、俺はその言葉に動じることなく、さらなる力を解放した。


「見切り!」


 俺は霊力の結界を張って、髪の毛が俺に到達する前に君のけを切り落とす。


「遠距離ばかりだな。俺が怖いのか?」

「何? すぐに死にたいの? いいよ」


 黒い霧が噴き上げて、夜叉丸の姿をかき消した。


 だが、俺はその霧の中で気配を感じている。


「ここだ!」


 夜叉丸がいるであろう場所を、正確に剣を突き刺した。夜叉丸の目が一瞬大きく見開かれ、次の瞬間、その体が霧と共に消え去った。


「何…?」


 俺は驚愕した。確かに手応えはあった。だが、夜叉丸は消えた。まるで存在そのものが霧散したかのように、俺の前から姿を消したのだ。


「あはは、楽しいね。だけど、この程度じゃ僕は倒せないよ…」


 再び声が背後から響いた。振り返ると、そこには傷一つ負っていない夜叉丸が立っていた。彼の目には無情な光が宿り、まるで俺の努力を嘲笑うかのようだった。


 背中に下駄の蹴りが飛んできて、俺は吹き飛ばされた。


「ぐっ!?」


 強い。俺は冷静に頭を働かせる。


 無極流剣術の奥義を解放する。その時、不意に風車弥一の声が耳に入った。


「鷹之丞様! 助太刀御免」


 弥一が夜叉丸の背後に現れて、攻撃を仕掛けた。

 作中、最強の男が助太刀してくれるこれほど心強いことはない。


「決着をつける!」


 俺は弥一が示した位置に向かって無極流剣術を全開にし、陰陽術を駆使して攻撃を仕掛けた。今度は夜叉丸の本体を捉えるべく、集中力を高めた。


「無極流・極限!」


 剣に込められた霊力が爆発的に解放され、まるで光の刃となって夜叉丸に襲いかかる。夜叉丸はそれを避けようとしたが、弥一がそれを許さない。


「なっ!」


 刀は夜叉丸を貫いて、チャンチャンコを切り裂いた。


 夜叉丸の目が大きく見開かれ、苦痛に歪む。


「やったか…?」


 俺は剣を振り下ろしたまま、その場に立ち尽くした。


 夜叉丸の気配がチャンチャンコを失ったことで、さらに妖力が爆発した。


「君はやっては行けないことをしたね。もう僕でも抑えることはできないよ」


 夜叉丸の体が見る見るうちに大きな鬼へと変貌を遂げていく。

 

 一つ目の巨大な鬼が江戸を見下ろすように現れた。


「鷹之丞様!」


 風車弥一が駆け寄り、俺に声をかけてくる。


「ありがとう、弥一」

「こやつをどうすれば!?」

「大丈夫だ」

「えっ?」


 俺は港へ視線を向ける。


 そこから放たれた砲撃が、夜叉丸の体を爆撃した。


「なっ!?」


 話は江戸中央に集結する前に遡る。


 港に駆けた俺が出会ったのは、異国の人だった。

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