第45話

 旅装束に身を包んだ俺たちは、赤い衣装で目立つ俺と黒い衣装の新之助、そして小さな狸の妖怪、ゲンタを従えて江戸へ向かっていた。


 その旅の道中、いくつかの宿場で休憩を取りながら進んでいるのだが、いよいよ江戸が近づいてきた。


「鷹之丞様、江戸も近くなってきましたね」

「ああ、新之助。今日は温泉宿に泊まるとしよう。旅の疲れを癒すには、温泉が最適だ」

「わかりました。楽しみです」

「温泉? おいらも入っていいですか?」

「ああ、ゲンタも入って良いと思うぞ。人間の姿はしておいた方がいいがな」


 温泉宿に辿りつけば綺麗な女将さんが出迎えてくれる。


「予約はないが行けるか?」

「へぇ、大丈夫ですよ」


 温泉宿は街道の宿舎と違って、大部屋で寝るのではなく、個室が用意されており、食事もついていた。

 ただ、部屋に勝手に入る輩もいるので、荷物の見張りを交代で行うことにした。


 ゲンタに見張りを頼んで、新之助と共に温泉に入りに行く。


 その時、宿の外で喧嘩が起こっている声が聞こえてきた。


「何事だ?」


 外に出てみると、旗本の侍が旅人と揉めているところだった。

 旗本の侍だと叫びながら、酒瓶を持って粗暴な振る舞いをする侍に、旅人の女性が無理な要求をされているようだ。


「おうおう、兄さんたち、こんなところでみっともねぇことしてんじゃねぇよ」


 俺が声をかける前に、遊び人風の男が現れ、侍に向かって言い放つ。

 このご時世、旗本の侍は地位がある者と、名ばかりの者に分かれている。


 こんな温泉宿で飲んだくれているのは、そこそこに地位ある者の血筋と見受けられる。そんな男に物申すした侍はなかなかに見どころがあるな。


「あぁ? なんだお前は? 我は、旗本の四男坊! 俺様に逆らえば、親父に言って切ってくれるわ!」

「ハァ〜? そうですか? そのお父上はどちらに? お侍様も良い歳に見える。ここいらで少し冷静になられてはいかがですか?」


 遊び人の男はあしらいような振る舞いをしながら、侍の前に立ちはだかった。

 侍はその態度に怒りを募らせ、男に掴みかかろうとしたが、遊び人の男は素早く侍の腕を捉え、その動きを止めた。


「その手を離してもらおうか、お侍様。俺自身が町の平和を乱すのは、よろしくない」


 その瞬間、侍は苦痛に顔を歪めた。


「痛い、離せ!」

「おや、これは失礼。では、お引き取りください」


 遊び人の男は冷静に侍の腕を放し、侍は悔しそうにその場を去って行った。


「見事なもんだな」


 俺は感心しながら、男に話しかけた。


「ありがとうございます。ここらは平和を大切にする場所ですから、乱す者は許せません」


 男の上品な振る舞いと冷静な対応に、雅な男気を見た気がする。


「あなたは…」

「ただの遊び人です。それでは」


 彼は微笑んで一礼し、その場を去って行った。


「すごい方でしたね」

「確かにな。あの冷静さと力強さは見事だった。俺たちも、江戸で多くのことを学ばねばならんな」


 その夜、温泉に入って旅の疲れを癒しながら、俺たちは再び江戸への道を進む決意を新たにした。


 ♢


 江戸の町に入り、俺たちはその活気に圧倒されながらも、目的地へと向かっていた。江戸の町は広く、人々の笑い声や商売の掛け声が絶えず響いている。


 町の風景を楽しみつつも、目的地に向かって足を進める。


 目的地へと向かう途中、突然の騒ぎが起こった。


「おい、あれを見ろ!」


 道の向こうで、何やら揉め事が起こっている。

 侍たちが集まり、何かを取り合っているようだ。


「何が起こっているのでしょう?」


 新之助と俺は揉め事の現場に近づく。


 そこでは、何人かの侍が一人の侍を取り囲んでいた。

 一人の侍の後ろには品物を抱いた女性の姿が見える。


「お前、その品物を渡せ!」

「これは私の商売道具です!」


 女性は必死に訴えているが、侍たちは聞く耳を持たない。


「やめぬか! 私は旗本の八男、徳ノ真という。女性によってたかって侍が詰め寄るなどみっともない」

「この女が、身分に似合わずに、良き品物を持っているのが悪いのだ!」


 どうにも身勝手な話だ。

 侍という身分を傘に着て女性の商売道具を奪おうとするなんて。


「鷹之丞様、どうしますか?」

「危なくなれば加勢をしよう」

「おやおや、これは皆さん。えらく物騒な顔をされておりますな」


 そこに年配の同心が現れて、十手を片手に割り込んでいく。


「うん? 八丁堀か?」

「へい、徳ノ真様。ここはあっしに免じて」

「いや、我は止めたに過ぎない。吹っかけてきているのはあっちだ」


 どうやら旗本の八男と、同心は顔見知りのようだ。


「お前は何者だ? この問題に関係ないだろうが」

「いやいや、江戸平和を見守るのが私たちの仕事でして、八丁堀で働く者でして」


 割り込んだ男は、ペコペコと侍たちに頭を下げながら、どんどん引き離していく。

 その手際は、あまりカッコ良いという風には見えないが、十分に揉め事を鎮めていた。


「鷹之丞様、どうやら我々の出番はなさそうですね」

「そのようだ」


 俺たちは最後まで事件を見ることなく、再び目的地に向かって歩き出した。


 江戸の町並みを歩きながら、ようやく御老公の家にたどり着く。

 立派な門構えが目の前に広がり、その威厳に圧倒される。


「ここが御老公の家か…」

「はい、鷹之丞様。ここで新たな道が開かれます」


 美波藩の代官ではなくなったため、改めて幕府の勘定型として、御老公に後ろ盾と仕事を斡旋してもらわねばならぬ。


 門をくぐり、御老公の家に入ると、厳かな雰囲気が漂っていた。

 俺たちは緊張しながらも、新たな挑戦に向けて心を奮い立たせた。


「桜木鷹之丞、参りました」

「お待ちしておりました」


 御老公の家の門が開かれ、中に通された俺たちは、これからの道を歩み始める決意を新たにした。

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