第27話
蘭姫様の成長を見守ることは俺にとって何よりも至福の時間と言えるだろう。
そのためにも美波藩の発展は不可欠であり、三年でやっと様々な事案に対して着手できるまでに辿り着いた。
遊郭は美波藩を訪れる商人や旅人、武士や運送業者など男たちの心を癒してくれる。
「お代官様、なんや姫様に嫉妬されとるらしいけど、ええのこんなところおって」
長い夜の終わりを告げる鐘の音を背に、俺は豪華絢爛な遊郭「鳳凰楼」の一室で茶を楽しんでいた。
部屋の中には甘いお香の匂いとともに、窓の外からは賑やかな笑い声が漏れ聞こえてくる。
「お前がいうのか? アゲハ?」
狐介が手に入れた小さな遊郭の芸妓であったお蝶は、鳳凰楼の看板遊女なっている。三年前まで見習い芸妓だった頃から、今では一人前として名を与えられた。
部屋の中では豪華な装飾と絢爛たる灯りが目に飛び込んでくる。
そこには美しい着物に身を包んだアゲハが待っているのが、俺の遊郭だ。
彼女の艶やかな姿は、まさに鳳凰の名にふさわしい姿に成長を遂げた。
「贔屓にしてもろて嬉しゅうおもてます、鷹様」
アゲハが柔らかな声で言う。
彼女は他藩の大物商人や、旗本の武士などが口説きにやってくるほど江戸にも名が届いていた。
だが、水揚げをした俺の名を出すことでお気に入りとなり、美波藩で知れ渡っているため、泣く泣くお帰りいただく客が増えているそうだ。
「誰か良い相手がいるならば、身請けされれば良いものを」
「イケズなこと言いますなぁ〜。それなら鷹様が身請けしてくれたらええやん」
「俺はダメだ。俺の推しは蘭姫様一択だからな」
「ホンマに姫様一筋やねんね。妬けてまうわ」
彼女は軽くうなずき、茶を差し出す。
軽口を言い合う程度に気心が知れる仲になって、俺にとっては茶飲み友達としてくつろげる場所である。
見た目は美しく、誰も入ってこない。
金はそこそこ高くはあるが、アゲハを盛り上げることで、他の遊女たちもアゲハを目標に頑張ってくれるようになる。
そう思えば必要経費だと思えてくる。
「この店は随分と高級志向になったな。いつ来ても華やかだ」
「ありがとうございます。これも狐介の旦那と、鷹様のお陰どす。私たちはお客様に心地よい時間を過ごしていただくために、日々努力しておりますだけや」
アゲハはそう言って、優雅に微笑んだ。
少女の頃から優雅な雰囲気を持つ奴だったが、その微笑みに妖艶さが増して、世の男たちはアゲハの虜になってしまうのだろうな。
「そうか、アゲハが笑えば、どんな男もコロリと参ってしまいそうだな」
「せやけど、不思議やねんな。一番落としたいお人はコロリと落ちてはくれはらへんねのや」
「うん?」
潤んだ瞳でこちらを見上げる顔は、本当に美しくて見惚れてしまう。
蘭姫様の美しさを知らなければ、俺も落ちてしまっていただろう。
彼女の笑顔と声は、俺の心を和ませ、疲れを忘れさせてくれる。
「鷹様、今夜はどのようなご用件で?」
俺は一瞬迷ったが、正直に答えることにした。
「実は、少し相談したいことがあってな」
「私にどすか?」
「ああ、お前だから知っているじゃないかって思ってな」
「面白そうやね。何が知りたいんどすか?」
アゲハは裏の事情にも情報通な一面を持つ。
これは彼女が死ぬきっかけにも関係することだ。
この情報を知っているとしたら俺ぐらいだろう。
「忍びを手に入れたいと思っている」
「忍びどすか?」
「ああ、お前の情報でそれらしい話はないか?」
アゲハに最初に聞きに来たのは、彼女がその筋から送り込まれた間者であることを俺が知っているからだ。
遊郭は華やかな表と、薄暗い裏の両方を併せ持つ場所だ。
ここで話されることは外に漏れることはなく、だからこそ裏で話す者たちも酒と女に気が緩んで話をしてしまう。
くノ一を幼い頃から育て上げ、草として潜入させておくのは常套手段の一つなのだ。
そして、俺は彼女に寝返る気はないかという誘いをしにきた。
「どうしてウチにそないなことを聞くんどす?」
アゲハは微笑みながら、優雅に扇を広げた。
何かを隠すように表情が読めなくなる。
「ここは遊郭、女の園だ。そして、男は皆ここでは口が軽くなる」
「悪い人やわ。ホンマに悪代官どすなぁ〜鷹様は」
「悪いか?」
「いいえ、女子は悪い男や強い男に惹かれるもんどす。悪ければ悪いほど惹かれてまうわ」
彼女はフッと蝋燭の明かりを消してしまう。
月明かりだけが部屋を照らして、男と女が二人きり。
「こんな商人はんたちの間で広まっている噂話なんか、どうどす?」
アゲハはにこりと笑みを浮かべる。
「この美波藩に出入りする商人はんたちは、色んな土地の情報を持ち寄ってはる。特に、影の世界に関わる話は、商人同士の間で秘密裏に交わされることが多いんどすへ」
「それは面白い噂だな。どんな商人がその手の話を知っているんだ?」
暗くしたのは、情事を楽しんでいると聞き耳を立てさせないため。
この部屋に近づく者がいれば、俺は気配を感じてすぐに悟れる。
「そうどすな…。名前を出すのは控えますけども、藩内で唐物を扱ってる商人はんなんかが、その手の情報を持ってはることが多いどす。あと、大きな船で行き来してはる商人はんも、話の引き出しが多いそうどなぁ〜」
唐物は中国製の商品を扱う商人で、大きな船を操っているのは堺方面からきている商人が美波藩では多い。
どちらも間者として送っているが、俺が欲しい言葉ではない。
「なるほどな。確かに、そういう商人なら色々と耳にしていそうだ」
「それなら、早速訪ねてみてはどうどすか? きっと何か掴めるはずやと思いますよって」
アゲハは微笑みながら、蝋燭の火をつけた。
密談は終わりということだ。
茶碗に茶を注いでいく。
俺は感謝の気持ちを込めて微笑み返した。
「ありがとう、アゲハ。お前のおかげでまた一歩前進できそうだ」
「どういたしまして、鷹様。いつでもお力になれるよう、ここでお待ちしております」
「ならば、もう一つ。お前は俺のモノになる気はないのだな?」
これは直接的に、お前が俺の忍びにになる気はないのかと問いかけている。
「いややわ。そういうお誘いならいくらでも応じますよって、鷹様は特別なお方ですから」
そう言って着物を緩めるアゲハに俺は首を横にふる。
「興が逸れたな。今日はこの辺で帰ろう」
「なんや連れへんお人やな」
ムッとした顔を見せるが、アゲハがその気ではないことを俺は知っている。
「また来る」
「心よりお待ち申し上げております」
三つ指突いて見送られた俺は鳳凰楼を後にした。
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