第7話
朝早くに新之助に来客がやってきと起こされて、機嫌が悪いまま出迎えれば、汚い浮浪者の母娘が中庭で頭を下げていた。
「うん? 浮浪者か?」
「違います。鷹之丞様が呼べと言われた陰陽術師です」
「はっ?」
陰陽術師は、侍ほどではないが、科学の発展をする前の江戸時代では、占いと天文学によって気象を読み、時の為政者たちに重宝されていたはずだ。
美波藩でも、城下町を守る結界を張るために登用され、それなりの給与をもらっているはずだが?
「どうしてそのような身なりをしている?」
「えっ?」
「こちらが書類になります」
新之助が差し出した書類を見れば、陰陽術師の扱いが記されていた。
そこには美波藩で結界を張る守護者でもある陰陽術師の扱いを最低として契約している書類だった。
これが正しいのであれば、美波藩の藩主は正気ではないな。
「陰陽術殿」
「殿!」
ボロボロの着物に幸が薄そうな女性が驚いた様子で顔を上げた。
髪は整えられることなく、何日も風呂に入っていない様子で汚い。
川で体を洗ってはいるかもしれないが、ボロボロな服を着て、髪はボサボサで、まともとは言えない。
「私は新しく美波藩の代官となった桜木鷹之丞と申す」
「はっ、はい! 代官様! 陰陽術師の
娘と呼ばれなければ、ボロボロの子供は髪が短く男の子か、女の子かわからない。
「うむ。まずは、その姿では陰陽術師として見栄えが良くないでしょう。新之助、女中に言って風呂と着物の用意を」
「えっ?!」
驚いている蛙さんを無視して、新之助に風呂へ連れて行くように指示を出す。
俺は早朝であったこともあり、自分の準備を整えて朝食の用意をさせて待った。
「あっ、あの代官様、失礼します」
朝食の用意が終わった部屋の中に、幸が薄そうだが美しい女性が現れる。
「えっと」
化粧などはしていない自然体で、それでも美しく見える女性は誰だろうか?
その後からオカッパ頭の少女も顔を出す。
「鷹之丞様、陰陽術師の蛙殿と、娘のお玉殿です」
「むっ、そうか、随分と見違えたな」
身なりを整えればとても美しい女性だった。
派手さはないが、黒髪の和風美人で、清楚な印象を受ける。歳の頃は二十歳を少し超えたぐらいだろうか?
娘の方は、蘭姫様と同い年ぐらいだろう。
どちらも痩せ細って儚さを強調している。
風呂に入れ、着物を着替えるだけで見違えたな。
「朝食を用意しました。まずは、食事をしてから仕事の話をしましょう」
「えっ!? 代官様と食事ですか?!」
「お嫌でしたか?」
俺が問いかけると、ぐ〜と可愛らしいお腹が鳴る音がした。
お玉はさっと身を隠したが、蛙も罰が悪そうな顔を見せる。
「遠慮することはありません。私と新之助も今から食事をとるところです。一緒に食べましょう」
「あっ、ありがとうございます」
朝は粥と漬物だ。
消化の良い物だが、塩味があり俺は結構好きだ。
蛙は二杯。お玉は四杯も食べていた。
「さて、本題に入ろうと思います。あなたが美波藩の結界を張ってくれている陰陽術師で間違いないですか?」
「はっ、はい!」
「では、まずは美波藩の専属陰陽術師として、環境の改善をするために再契約を行います」
「えっ? 再契約? どう言うことですか?」
俺は美波藩が交わした契約書を、蛙に見せる。
それは蛙が名前を書いているので、説明を受けているだろうが、酷い扱いだ。
1、陰陽術師、蛙は美波藩に生涯を従事して、その力を行使するものとする。これは美波藩側からしか破棄はできない。
2、美波藩は、その見返りとしてカエルに美波藩で住む権利を与える。
3、報酬は住む権利と、最小限の生活が送れる報酬を約束する。
そう、これは陰陽術師である蛙殿を美波藩に縛り付ける奴隷契約だ。
「美波藩との契約は解除します」
「えっ! そんなことをされては私は生きていく場所がありません。この子も育てることが!」
「勘違いしないでいただきたい」
「はい?」
「再契約と言ったでしょ。美波藩代官である俺と雇用契約を個人的に結んでください」
美波藩は腐っている。
だから、能力がある者を俺は自分の手元に囲い込もうと思う。
「代官様と再契約?」
「はい。本来であれば代官ほどではないにしろ、陰陽術師殿は藩主お抱えとして、それなりの碌をもらえるはずです。ですが、現在の契約では、まともな報酬を支払う契約を結べていない。そこで、私が雇う同心たちと同じ碌にはなりますが、ちゃんと給与の支払いをします」
「えっ! 同心様方と同じ給料???」
意味がわからないのか困惑した顔をされてしまう。
「それと屋敷を提供したいところではありますが、今はまともな家に空きがない。そこで、我が屋敷内の離れを提供しようと思います。どうだろうか? 朝晩の二食と、風呂もつけよう」
「なっ! そっ、それは代官様と共に暮らすと言うことでしょうか?」
「ああ。だが、勘違いしないでいただきたい。蛙殿が美しいから囲い込もうと思っているわけじゃない」
「うっ! 美しい! 私が美しいと言うのですか?」
顔を真っ赤にして慌てふためく蛙殿に、俺は首を傾げる。
「当たり前であろう? 美波藩の城下町を歩けば、すぐに男たちが寄ってくると思うぞ」
「なっ!」
「まぁ、身の危険を感じるかもしれないが、私は決して手を出さないと約束もしよう。どうだろうか?」
「どっ、どうしてそこまでして下さるのですか?」
真っ赤な顔をしていた蛙殿が、真剣な瞳で俺を見つめる。
「本来、蛙殿はもっと評価されても良いと私は思う。それを正当に評価しただけにすぎない」
「わっ、私はそこまで高名な陰陽術師ではありません。それに女性というだけで侮られ、夫にも先立たれてなんとか生きていくことしか出来ず……ううう」
涙を流す蛙殿を娘のお玉が心配そうに見つめる。
これまで相当に辛い人生を歩んでこられたのだろう。
「蛙は、陰陽術師としての名なのだろ? 本当はなんというのだ?」
「……
「そうか、ではお鶴殿。私の専属陰陽術師になってはくれまいか? 貴殿ら親子は私が守ろう」
「ありがとうございます! はい! 喜んでお受けさせていただきます」
俺は専属陰陽術師の親子を手に入れたことで内心ほくそ笑む。
陰陽術師は、一人いるだけで武士百人分の働きをするという。
同心一人分の給与で、雇い入れられるならこれほど破格の価値はない。
バカな美波藩主に礼を言いたいほどだ。
涙を流して抱き合う母娘を騙しているようで、心苦しくはあるが、彼女たちの仕事に報いる幸福な環境は与えようと思う。
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