第6話

 仕事終わりには、蘭姫様の様子を見に来るようにしている。時間が合えば、夕食も共にする。


 五歳の少女が両親がいない場所で、心細く思っていると梅婆から連絡を受けたからだ。俺は父性のような気持ちが芽生えたようだ。


「タカ!」


 俺を見つけると蘭姫様が嬉しそうに廊下を走ってくる。ヤバい! うちの姫様が可愛過ぎる。


「蘭姫様、お元気そうで何よりです」

「うむ! わらわはげんきなのじゃ!」


 教育係である藤を遠ざけてから、蘭姫様はよく笑うようになった。


 どうやら厳しく教育されていたのもあるが、藤から相当に嫌な教育をされていたようだ。


 梅婆からの報告では、体にアザが出来ている箇所があったと言う。


 子供を叩いて教育していた証拠になるわけではないが、それでも蘭姫様が心穏やかに暮らせる日々を守れることが大切だ。


「本日は、勉強を私が見ようと思いますがいかがですか?」

「あい!」


 嬉しそうに返事をしてくれる姫様は最高に可愛い。

 自分に妹か娘がいたらこのような感じだろうか? 最高の淑女に育てて、絶対に幸せになってもらうんだ。


「この間の文字は書けるようになりましたか?」

「あい!」


 習字道具を持ってこさせて、一、二、三と漢数字が書かれていく。


 震えて文字は定まっていないが、それでも十分に読める範囲だ。


「素晴らしいです。蘭姫様はとても賢いですね。先がとても楽しみです」

「そっ、そんなことない。タカがおしえるのがうまいのじゃ」

「ふふ、それならば良いですね。私は努力する女性のことを、美しいと思っております。世の中には天才と呼ばれる人もいるでしょうが、自分で考え、努力できる人の方が素敵ですから」


 天才が努力をすれば凄いことができるだろう。


 だが、天才じゃなくても、努力して頑張ることが尊いと蘭姫様には学んでほしい。


「……どりょくするじょせいがうつくしい」


 何やらぶつぶつと蘭姫様が呟いているが、彼女は決して頭の悪い女性ではない。


 キチンとしたことを学べば、きっと癇癪姫になることなくどこに出しても恥ずかしくないお姫様になってくれるだろう。


「さて、お勉強はこの辺にして、今日は一緒にお菓子作りをしませんか?」

「おかしつくり?」

「はい。白玉団子を蘭姫様は食べたことがありますか?」

 

 フルフルと首を振る姿は可愛い。


 梅婆に用意して持った白玉団子の元を目の前で捏ねていく。


「うおおお、たのしそうなのじゃ」

「ふふ、楽しいですよ。どうぞこちらへ」


 俺は梅婆に作ってもらった割烹着を蘭姫様に来ていただいて膝の上で一緒に捏ねていく。ある程度の混ざるまで捏ねたら、今度は小さく一つ一つを丸くしていく。


 蘭姫様が作った物は不格好ではあったが、鼻の頭に真っ白な粉をつけて、一生懸命作る蘭姫様は楽しそうだ。


「どうじゃ!」

「はい。素晴らしい出来前です。あとは、梅婆」

「こちらで仕上げてまいります」


 白玉を持って行った梅婆が、小豆を潰して温めた白玉ぜんざいとして持ってきてくれる。


「あまくておいしいのう」

「ようございました。蘭姫様が作ってくださった白玉は最高に美味しいですよ」

「わらわが作った?」

「はい。百姓が頑張って作ってくれて、町民が加工して、我々の口に入る前に女中たちが調理や毒見をしてくれて、こうやって食べられております。皆の思いがこうして蘭姫様の手で完成して、私の口に入ると思えば幸せでなりませんな」


 じっとぜんざいを見つめていた蘭姫様は、パクッと小さな口の中に白玉を放り込む。甘さと食感が口の中に広がって幸せそうな顔を見せる。


「共に食べるのは美味しいですな」

「うむ! ビビなのじゃ!」


 嬉しそうにぜんざいを口いっぱいに入れる蘭姫様は白い粉で汚れていたけど、それを怒る者は誰もいない。


 割烹着を着ていても、どうしても口の周りや首元は汚れてしまう。


 染み抜きをする女中の者には悪いと思うが、この尊い笑みを見るためならば、許してくれるであろうと思えてしまう。


「蘭姫様、これから多くのことを学んでくだされ。多くのことを知り、多くのことを見て、多くの食事をして、幸福におなりくださいませ。私はそのためのお手伝いをさせていただきます」

「……どうしてじゃ?」

「えっ?」

「どうしてタカは、そのようにやさしくわらわにしてくれるのじゃ? ちちうえも、ははうえも、フジも、そのように……タカのようにわらうのそばにおることはなかったのじゃ」


 側にいないか、きっと蘭姫様にとってのトラウマなのかもしれないな。


「だけどタカがきてから、タカも、ウメバアも、ほかのものたちも、みな、たのしそうにわらわとはなしをするのじゃ」


 今までの生活と変わってしまったことに戸惑いを感じているのかもしれないな。


「蘭姫様はどちらが良いと思いますか?」

「えっ?」

「私が、冷たくて、いつも怒っていて、蘭姫様を嫌いなのと、今のように楽しく笑っていられるなら、どっちが良いと思うでしょうか?」

「……」


 少し意地悪で難しい質問をしたかもしれないな。


「いまじゃ」

「えっ?」

「わらわはいまがいいのじゃ! ちちうえも、ははうえも、フジもいらぬ。タカがおればそれでよい」

「ありがたきお言葉! ですが、私だけではありません。美波藩の者たち皆が蘭姫様を愛するようにしてみせましょう!」


 俺は自分でも大風呂敷を広げたと思う。


 だが、今が幸せだと言った幼女を幸せにできるなら、それぐらいはしてやろうと思える。


「タカはおもしろいのぅ」


 そう言って屈託ない笑みで笑う蘭姫様は、尊くて可愛い幼女で、守らねばらないと何度も思わせてくれる。

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