第2話

 桜木家の屋敷に戻り、頭の整理を始める。


『アッパレ世直し漫遊記』では、最終的に、十年後にやってきた高貴な老人が、美波藩の劣悪な環境を見抜き。


 それを作り出した、悪徳商人、悪代官、悪役家老、魑魅魍魎、そして癇癪姫を断罪する話になっている。


 このまま代官として過ごしているだけでは、バッドエンドを迎えてしまう。


 せっかく大好きな江戸時代に転生できたんだ。

 むざむざ殺されるなど御免被る。


 だからこそ、阻止するために動く。


「それにせっかく刀を振る時代に来たんだ。剣術の訓練をして、陰陽術も使ってみたいな。どっちも学べるなら学びたい」


 そして、俺のこの世界に来て一番心を動かされるのは……。


「やっぱり蘭姫様だよな。小説の中では孤高のお姫様って感じで、それはそれで良かったが、実物の姫様は愛らしくてやっぱり可愛い! 推しは俺が護る! 絶対に蘭姫様を不幸にしない!」


 蘭姫様の様子が気になるなぁ〜。


 小説に書かれていた癇癪姫様。


 実際に会ってみれば、生まれながらにして癇癪姫だったわけじゃないようだ。


 美波藩の藩主が娘を放置して、江戸暮らしをしているから、捨てられたような状態が原因か? 今の蘭姫様がどのような方なのか知る必要があるな。


 何故、作中で癇癪姫と呼ばれるようになったのか調べないとな。


「やりたいこととか、やらなくちゃいけないことが山積みだ」


 時代劇が好きだった俺は、色々な文化の勉強をしてきた。


 その中には代官の仕事を学んだこともある。


 だが、俺の知っている江戸時代の代官は、年貢の取り立てや藩の警備などを担当する税務官や警察署、もしくは裁判所って感じだった。


 だけど、桜木鷹之丞の仕事は藩主代行ほどの権力と仕事量があった。


 美波藩の代官をしていた父親は、良くも悪くも凡人だったようだ。

 美波藩主の言いなりになって、江戸に金を送っていた。


 藩を劣悪な環境にまで落としてしまっていた。


 俺はこの美波藩を再生させる。


 そうすれば高貴な老人がやってきた際に、悪代官として断罪されることもなく、蘭姫様が死ぬ未来も訪れない。


 高貴な老人がやってくるまで約十年。


 俺は美波藩の代官として、美波藩再生計画のために策を練り始めた。


 

 歴史好きならば知っていることだが、代官の仕事は多忙だ。

 

 江戸幕府の時代では勘定方に属している代官ではあるが、美波藩では藩主代理のような存在であり、財政だけでなく、政務、司法、警察、運営などのほとんどを司っている。


「新之助!」

「はい!」


 小性を務める新之助は今年十歳になる少年で、俺の身の回りの世話と仕事を手伝ってもらっている。


 また、父の代から勤めている同心たちは残ってくれているので、仕事に戸惑うことなく自分の役割を行ってくれた。


 それでも人手不足だ。


「全然人手が足りん!」


 運営は同心たちのおかげで維持はできた。

 だが、発展させるほどの余裕がない。


 現状の劣悪な環境を改善できない。


「クソッ! 代官の仕事が忙しすぎる!」

「鷹之丞様、蘭姫様が、登城せよご命令です」

「なっ!? 姫様から呼び出しだと!?」


 給仕長をしてくれている、桜木鷹之丞の世話係をしている、うめに怒鳴り声をあげてしまう。


 だが、俺の怒鳴り声などどこ吹く風で梅婆が使いの者が来ていたと告げる。


「わかった。すぐに出る」


 推しからの呼び出しを断る俺ではない。


 登城した俺を待っていた蘭姫様は、休憩時間におやつを食べているという。


 中庭が見える廊下に向かえば怒鳴り声が聞こえてきた。


「うつけが!」


 廊下まで響く幼女の声に、癇癪姫としての本性を表したかと、嬉々として足早くなる。


 廊下の先で女中を足蹴にして、怒りを表していた。

 まさしく癇癪姫に相応しい姿に俺は笑顔になってしまう。


「蘭姫様、どうされました?」


 俺はすぐに頭を切り替えて状況を知ることに努めた。

 

「あっ、タカ」


 俺の姿を見ると罰が悪そうに顔を伏せてしまわれる。

 どうやら自分が酷いことをしている自覚はあるようだ。


「もっ、申し訳ありません。私めが姫様のお着物を汚してしまったのです」


 女中が俺に向かって頭を下げながら、事情を説明してくれる。


 蘭姫様の着物を見れば、確かに白い粉のような物がついていた。

 そして、蘭姫様の手には饅頭が握られていた。


 俺が饅頭に気づいたのを知って、蘭姫様が饅頭を後に隠す。


 その仕草が可愛くて抱きしめたくなるが、グッと我慢する。


「……」

「蘭姫様? どうされたのですか?」


 蘭姫様が話してくれるのをじっと待った。


「このものがまんじゅうをもってきたから、きものがよごれたのじゃ」

「そうでしたか」


 蘭姫様の発言に女中は平伏してガタガタと震えている。


 俺の体は十五歳という年齢にしては高身長で、目鼻立ちがハッキリした顔をしている。切れ長の瞳は幼さよりも鋭く威圧感を含んでいるのだろう。


 涼やかなイケメンとも言えるが、少し冷たい印象を相手に与える。


 女中は俺を怯えた目で見て、蘭姫様も俺に怒られると思っているのだろう。


「それは申し訳ございませんでした」

「ふぇ?」

「へっ?」


 俺が頭を下げて蘭姫様に謝ったことで、二人が驚いた声を出す。


「どうしてタカがあやまるのじゃ?」

「蘭姫様の代官として、不届きを働く女中を蘭姫様につけてしまったこと。そして、蘭姫様をお守りできなかった不徳の家臣として謝罪をしております」


 部下の責任は上司の責任。


 女中の責任を俺が取るといって謝罪を口にした。


 本来なら、女中の首を刎ねるか、やめさせるのがこの時代では主流かもしれない。

 だが、そんな姿を蘭姫様に見せてしまえば、癇癪姫として肯定してしまう。


 せっかく今の可愛い蘭姫様が目の前にいるのに、わざわざ癇癪姫として育てなくてもいいよね。常識を教えて、どんな風に成長するのか見てみたい。


「たっ、タカはわるくないであろう?」

「それでもです。家臣として蘭姫様をご不快にさせてしまって申し訳ない」


 俺は蘭姫様の着物についた白い粉を払って綺麗にする。

 本来はシミ取りなど綺麗にしなければいけないだろうが、この着物は幼少期に着る用で、使い捨てのような物だ。


 この程度でも十分だろう。


「ふっ、ふじは、わらわはなにもわるくないというたのじゃ! いやなことがあれば、あいてがわるいから、おこってよいといっておった」


 ふむ、どうやら蘭姫様に変なことを教えるクズがいるらしい。


「そうでしたか、蘭姫様、確かに嫌なことがあれば怒られるのは正しいでしょう。ですが、姫様は藩主の娘として、人々を導く立場にあります。私は姫様の代官です。何か困ったことがあれば、怒る前に私に相談ください」


 藤とかいう名前に聞き覚えがない。

 小説の記憶を思い出そうとするが、全く思い出せない。


「して、藤殿とは誰のことでございましょう?」

「ふじはわらわのきょういくかかりじゃ」


 ハァーそういうことか。


 藩主がいないことを良いことに蘭姫様を裏で操る教育係がいるってことか、全ての元凶は教育係の藤ってやつだな。


 こんな幼女を悪の道に進ませるとは、覚悟してもらう必要がありそうだな。


「そうでしたか、それでは藤殿にも謝らなければいけませんな」

「タカがあやまるひつようはない」

「いえ、私が藤殿の教育とは違うことを言ってしまったのです。それを私の口からお伝えしたいのですよ」

「そうなのか?」


 元凶様よ! 貴様がいるから癇癪姫になるなら、わかってんだろうな。


 五歳の子供にとって行動原理なんて、近くにいる大人が影響を与えているに決まっている。

 その一番可能性が高い相手が、藤と呼ばれる教育係だ。


 とりあえず、藤とかいう教育係と距離を離す必要があるな。


「この者の責は私の謝罪にて許してはいただけませんか?」

「……いいよ」

「ありがとうございます。蘭姫様のお優しさは私だけでなく、民を救うことでしょう」

「やさしい?」

「はい! 蘭姫様はとても優しくて素敵な女性ですね」

「ふふ」


 初めてみせる笑顔はその可愛らしい容姿に相応しくとても愛らしいものだった。


 小説では、すでに性格が崩壊して癇癪姫になっていたが、今の蘭姫様なら教育次第で癇癪姫になる前に改善できるはずだ。

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