第2話

 あなた――ううん。しおりが、わたしとかえで以外の想い出から消えて五年になる。わたしは大学を卒業して就職をし、かえでは高校生になった。あの生意気で女子らしからぬかえでが高校生になったなんて、信じられないでしょう。でも現実は時間の歩みがとまることなく、わたしもかえでも成長していくんだよ。

 もうひとつ大きな出来事を報告をすると、今わたしはかえでと暮らそうとしている。二人が育った福祉施設の関係者や両親からは無茶苦茶だと猛反発され、家からは勘当されそうになったんだけど、しおりが死んですぐに、かえでをわたしの家の養子にしてほしいと両親にお願いしたの。さもないと、わたしがかえでの保護者になって育てる、と。

 両親は最初わたしはどうかなってしまったのでないかと、まともに取り合わなかったけれど、わたしが施設からかえでを連れ去ろうとして、ようやく決意という名の狂気を理解したらしい。――びっくりでしょう? わたし、かえでにすら何も言わずにホントに誘拐しようとしたんだよ。

 あらゆる反対や障害を根気よく解決していった結果、両親は譲歩として、わたしが就職して一緒に暮らすのなら、ということになったの。かえでをきちんと面倒見られるのかを心配していたらしい。というよりも、こんな無鉄砲な行いを信じることができなかったんだと思う。そりゃあ、至極当然な話だよね。

 一番の難問は制度面でも経済面でもなく、かえで自身だった。かえではかえでで思う所があったようで、自分一人で生きていくことを考えていたの。あのランドセル背負ってた女の子がよ?

 だからなのか、かえでは誰にも頼ろうとはしなかった。わたしどころか、福祉や大人でさえも、彼女は自分以外、あるいは、しおり以外の何者も信じようとはしない。実際、わたしの申し出も不審そうな目をして断ってきた。あの施設では輝かしい将来など何も期待できないというのに、蜘蛛の糸であるはずのわたしの誘いに乗ろうとはしなかった。――親に捨てられ、出自がわからずにずっと苦しんで生きている、あれだけ出たがっていた施設なのに。

 それでも、わたしは何年もかけてかえでを説得した。なんでそこまでかえでの面倒をみたいのかわからなくなるくらいに。

 かなり喧嘩もした。中学生になったかえではしおりみたいな大人しい表情をしているくせに反抗期の極みに突入していて、それはもう猛獣のようで、わたしの息がかかるのが嫌とか、近寄るだけで鳥肌が立つとか、人の心を存分に抉る言葉を投げかけてくるの。すね毛の処理もロクにできないクセに、言うことだけは一丁前で、的確にわたしの嫌がるところを突いてくるわけ。

 最初はひどく傷ついたり、逆ギレなんかもしてたんだけどさ。結局、かえでの顔や言動にしおりを感じてしまうと、一緒にいたいという気持ちが消えてくれないんだよね。自分でも引くくらいにかえでをいとおしく思っているの。誰も信じない捨て犬のような目をしているかえでを見ると、しおりの心の奥底にあったものってこういう気持ちだったんだろうな、なんて勝手に思えてきて、思わずかえでを抱きしめてやったわ。そうしたら、かえでが「何すんだよババア!」なんて、どうしようもないくらいに陳腐なセリフを吐いて戸惑ってんの。おかしいよね。わたし、もう笑いながら泣いちゃってさ。逆インプリンティングみたいな状態になってしまって、かえでに、「わたし、絶対にあんたと一緒に暮らす!」ってかえでが嫌がるのも構うことなく宣言したの。かえでが中三の頃かな。そうしたらあの狂犬、「高校生になってからなら。あと、自分の部屋とスマホをもらえるなら」ってぶっきらぼうに言ってきたの。

 わたしは一人っ子だけど、姉妹って本当に似るんだね。昔しおりがさ、どうしてもカラオケに行きたくて黙っていって、施設の約束事を破ったからと𠮟られたと、翌日にわたしに見せたぶっきらぼうな顔、あれとまったく同じだったの。わたし、それを見て、なんだか色々な気持ちが吹き飛んでしまって、「とにかく、一緒に生きていこう」とかえでに言えたの。それまであった小賢しい思惑とか理屈とかそんなものがすべて取り払われた気がした。まったく、あんたたちにはかなわないわね。

 それから、色々な手続きを両親がしてくれて、福祉関係者の指導もあって「まずは生活に慣れましょう」ということになり、両親とわたしと四人で暮らすことになったの。そうしたら、かえでがウチの母に甘えること甘えること。高校受験の不安もあったのか、母の励ましやさりげない気遣いに、あの野良犬がなんと餌付けられてしまってさ。受験が終わったら、「あたし、たちと一緒に暮らすから、アンタは一人暮らしすればいい」とか言い出して。どちらかというと事態を静かに見守っていてくれた父もさすがに吹き出して、わたしも大笑いしちゃったわよ。まったく、懐きすぎだろって。

 で、まあ、わたしも就職が決まった後もなんだかんだあって、ようやく二人暮らしがはじまるんだ。約束通りの2DKを借りてスマホも買ってやった。

 だから、一通り住める環境になった今日、これからこの部屋にかえでがやってくるんだ。もちろん、しおりも連れてね。


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