第3話
「……よろしく……お願いします」
「あんたねぇ。お母さんに諭されて仕方なく言ってる感、もう少し隠す努力しようよ」
「うっさい」
しおりよ。あんたの妹は、あんたの入った箱を胸に抱いたまま、足をブラブラさせて靴を脱いで上がってきたぞ。
「まあ、いいわ。おかえり。かえで」
「今日から暮らすんだけど。だから、おかえりじゃないんだけど」
スタスタとダイニングの一番良い場所にあるテーブルに向かうと、そっと姉を置く。そして、それいつまで履いてんのっていうくらいの、洗濯しても黒ずみの落ちない中坊白ソックスをはいているかえでは、静かに手を合わせた。窓からやってくる穏やかな春の日差しが、白い布に包まれたしおりの箱を照らしている。何でもない平和な休日の昼前。何でもあるのはわたしたちの生活の始まりがあるだけ。
わたしも手を合わようとしたけど、その前にかえでの顔を見てみた。整った顔立ち。白い肌に長い睫毛。鼻筋は姉以上に端正で、唇はおしいかなってところ。髪の毛は母からメンテを教わった成果でしおりと同等な上質で艶のある黒髪なんだけど、残念なおかっぱ。まったく化粧っ気もなく田舎娘みたいなすっぴんなのに肌ツヤすぎるという、最高のポテンシャル。これまで施設で揉まれたとは思えない上品さすらある。――これからは女として、あんまり調子に乗せないようにしないと。
「うざいんだけど」
観察タイムが長すぎたようで、かえでは目を開けてしまっていた。わたしは何事もなかったようにしおりに手を合わせる。――あんたの妹、やっぱりイイわ。
かえでに手を洗わせてから、とりあえず昼ご飯にしようということになった。かえでは冷蔵庫を開けて考え始める。
母は中学の時点でわたしの家事能力に見切りをつけてしまったけど、かえでという次女の出現により、母性本能が再発どころか大爆発したようで、炊事洗濯、掃除からお菓子作りまで、家の事のほとんどをかえでと一緒にやるようになっていった。当初は戸惑っていたかえでだったけど、母の無制限なまでのやる気と、無限大なまでの愛情にヤラれてしまい、家を出る頃にはすっかり懐いて、それなりのスキルを身に着けてしまう。
かえでは性格は馬鹿みたいに不器用なのに、手先は器用なようで、気がついたらわたしがキッチンに入るスペースどころか、資格すらなくなってしまった。わたしが茄子を水でさらさずに鍋に入れたときにかえでがした「この人、かいわいそう」みたいな表情は、ある意味、ここ数年で一番傷ついた出来事かもしれない。
「……調味料、塩と醤油しかないの、なんで?」
「なんでって、それ以外に何かいるの?」
かえではわたしを見て、頭を振り、深いため息をつく。
「インスタントラーメンにするわ」
「あ、それなら、わたしも一緒に」
「いいから。アンタはもう、いいから」
かえでは鍋を取り出すと、湯を沸かし始めた。「お母さんにちゃんと確認すればよかった」なんて、わたしにしっかりと聞かせるための独り言をつぶやきながら。
大は小を兼ねるということで、ラーメン丼だけは家から持ってきていた。これでごはんも食べられるだろう。育ち盛りのかえでなんかは山盛り食べるだろうし。
「それじゃあ、ありがたくいただきます」
「どうぞ」
かえでの作ったラーメンを黙って食べる。かえでも麺をすする。母と過ごした半年くらいの時間がこの野良犬を人に成長させたようで、箸使いも人並みどころかわたし以上に上手になっている。ダサいおかっぱのサイドをかき上げてフウフウ言っているところは姉そっくりだ。昔の事を思い出す。
しおりがほとんど食べたことがないというから、食べさせてやろうと、カップラーメンを中学校に持ちこんだ日の事だ。しっかりとしたキャンプ用のコンロとケトルも持参して、屋上の施錠を解除(方法は秘密)して上がりこみ、湯を沸かした。わたしはシーフード味で、しおりは匂いがつくからよせというのにカレー味という大胆さ。湯を入れて三分待つというところで、少し喧嘩になる。わたしはとにかく伸びるのが嫌なので二分四十五秒派。だけどしおりは、「三分と書いてあるんだから三分じゃないの」と主張する。今考えればそれぞれ互いの好みで作ればいいのに、お互いがベストを主張して譲らなかった。結局、ぶっきらぼうな顔になったしおりにわたしが折れたときには、スマホのストップウォッチは四分五十秒をゆうに超えていて……。
「……かえでの麺の茹で加減、ちょうどいいね」
「あっそう。お母さんから『二分四十五秒で作ってやって』って、頼まれているだけだし」
「あっそう、なんだし」
「まねすんなし」
二人だけの最初の食事としてはまあまあではないだろうか。どこかぎこちないけれど、これからやっていこうという気持ちだけは、このおかっぱ美人と共有できたような気がするのだ。
続
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