しおりとかえで
犀川 よう
第1話
大好きと思うから、そのことに甘えて傷つけたり嫌いになったりするんだって、あなたがわたしによく言っていたことを思い出している。終わりの見える今だからこそ、ようやくわかったような気になれるセリフだ。
どうしてこんなに大事なことを理解できなかったのだろうかという、後悔を超えた怒りのような理不尽さがわたしの身体の中を駆け巡っている。病室のベッドで静かに硬くなっていくあなたを見ているわたしは、泣くこともできず、あなたのそばで呆然としている。うすのろなわたしの影があなたの眠るシーツにまとわりつき、ゆらりと動いている。その影はけっして悲しんではいない。ただただ、やるせなさという川に浮かぶ失意の筏が、純白の水面を黒い闇で覆いながら渡っているようだ。
わたしはあなたにつぶやく。死ぬにはまだ早いじゃない。わたしたちはまだ十七年しか生きていないんだから、と。そしてあなたの自慢である長い髪を手にする。不思議なもので、あなたはわたしからどころかこの世からすらも離れたというのに、髪だけは美しいままに保たれている。病室の蛍光灯から放たれる貧しい光すら、あなたの髪は養分として輝いている。質感はわたしがいつもブラッシングをしようと掴んでいた髪の毛そのもので、教室でわたしの手入れの荒さになんだかんだと文句を言いながらも触らせてくれた、あの艶のある黒髪と何も変わらない。――おかしなものね。昔死んだおばあちゃんのときには感じなかった、生き物のような、生命の証を掴んでいるような気になる――。なぜ死んでいるのかわからないという、不公平な健全さで満たされているのだ。
髪とは違い、あなたの唇は生花が枯れたように萎んでいる。わたしは震える手でスカートのポケットからグロスを取り出す。あなたが、その色柄は派手すぎて自分にはつけてほしくないと散々文句を言っていた、ローズピンクにラメの入ったものだ。
そのときのあなたの顔を覚えている。あなたは心底嫌そうな表情を浮かべ、グロスをへし折ろうとまでした。普段は大人しいあなたがとったその行動で、いつもは騒がしい昼休みの教室が一瞬で凍りついたのには、申し訳ないけれど笑ってしまった。あなたはそれすらも腹が立ったかのように、わたしの手からグロスを奪い、教室の窓から投げ捨ててから言った。嫌いになるよ、と。その一言でわたしの表情まで凍らせたのは見事だった。
そんなグロスをあなたの枯れ果てた唇に塗ってやる。どんなに嫌だろうと、あなたはもはや反論はできない。わたしを嫌いになることすら、もうできないのだ。わたしはあなたの唇に薔薇の花束を贈る。派手な光沢はあなたの白い顔にはミスマッチ過ぎて笑いそうになる。いい気味だ。そうつぶやいてグロスをポケットにしまうと、ようやく涙が出てきた。
深い喪失感が現実として受け入れられたとき、わたしはあなたを愛していたこと知った。大好きとか、いとおしいとか、そんなプラスな感情からの理解ではない。心をナイフで切り裂かれたような痛みや苦しみ。わたしをひとりにしてしまった事への不満や怒り。そして先の見えない戸惑い。人は愛するものを失ったとき、こんなにも不愉快でどす黒い感情の渦に飲み込まれるのだという、したくもない体験を通して、わたしはあなたが大好きだったのだと納得させられたのだ。
あなたの死を確定させるために大勢の人たちが動いている。医者や看護師、身寄りのいないあなたの唯一の肉親である歳の離れた妹。そしてわたし。医師は看護師に指示を与え、看護師たちはベッドを移動させる準備をしている。妹は姉の死という悲しみの一切を引き受けるかのように号泣し、姉の名前を呼び続けている。しおりねぇ、しおりねぇ、と。あなたらしすぎる、どこまでも慎ましく穏やかで、はかない名前だ。
この病室で機能的でないものはわたしだけだ。何の役目もない。ただ、髪にふれ、まったくもってアンバランスな死に化粧を施しただけの滑稽な存在。それでいながら、誰よりもあなたを愛していた人間。それがわたしである。この病室いる誰にも理解されないのは致し方がない。わたしですら、気がついたのが今なのだから。
次の更新予定
しおりとかえで 犀川 よう @eowpihrfoiw
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。しおりとかえでの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます