第40話 明かりをつけるため、ボタンへ

 ミチカの自室は二階の西側だった。その向かいが、ヒトロの自室だった。

 ヒトロが先に部屋へ入り、青枝が続いた。

 廊下の明かりが見える主を失った、ミチカの部屋は机もベッドもそのままにされているが、片付いていた。床には埃もない。よく掃除され、空気もこもっていなかった。ヒトロは部屋の明りはつけず、カーテンをあけた。

「部屋の明かりをつけない方が、あれの正体がよくわかる」

 そう告げる。

 青枝は窓へ近づいた。

 窓ガラス一枚向こうに、夕方の赤い空を背景に、ビルは聳えていた。ありふれた住宅街の屋根の向こうに黒い長方形が存在している。最上部は建設途中状態も露わで、ぎざぎざの歯のようだった。

「姉さんは生まれてから、いなくなるまでこの部屋であれを見ていなくちゃいけなかった」

 ヒトロはビルを睨みながらそういった。

「この町に捨てられたあれを、姉さんは、生きている間、見させられていた。病気がわかって、もう、よくならないってわかっても、この世界であれを見せられていた。この町に、誰かが身勝手に捨てたあれを」

 青枝は無表情に近いものを保ち、ビルを見ていた。一年前、ミチカは言っていた。自分が生まれた十七年前に、あのビルはつくるのをやめて止まっている。ミチカがセカイを訪ねてきて、一年経っている。合計すると、誕生を放棄されたあのビルは十八年間、この町に在り続けている。

「おれはむかしから、姉さんの見えている世界から、あれを無くしたかった。おれも好きじゃないし、あのビル。この町から、空が見えるようにしたかった。町の空がほしかった。だから、一年前、花火の火薬で爆弾つくって。超無駄だったけど、でも、なんかさ、いっぱい花火買って、火薬をいっぱい詰めて爆弾つくれば、もしかしたら、あのビルの上の方くらいは吹き飛ばせるかと思った」

 青枝は沈黙のまま窓からビルを見続けた。

 ヒトロはその背中と、窓の向こうに建つビルを見ていたが、やがて、問いかけた。

「どう思う」漠然といい、一呼吸挟み、続ける。「お前は」

 青枝は何も答えない。

 そこへヒトロは続ける。

「姉さんは、この世界に生まれて、いなくなるまで、あんなもののあるこの世界にいた。姉さんはいなくたっても、あのビルはありがやる」

 今度は問いかけではなく、独り言のようだった。だが、そこには、これまで幾度となく沸き上がっては、どうすることもできず、無力さを感じるままにしかできなかった悔しさが含有されてみえる。

 そして、あらためて「どう思う」と、問う。

 青枝はかすれた気道から放つように「この窓には似合わないね」と、言って、鼻をすする。

 ヒトロは黙っていた。姉の部屋の窓から、ビルを見る、青枝の背中を見ている。

「予定通り、二日後にやる。俺の世界を出禁ユーザ設定にしてるカミのブロックの解除を外す。そうすりゃ、カミはすぐ来るさ。で、予定通り迎え打つよ」

「予定通りやるんだな」

「ああ、お前の土曜の授業が終わって、放課後な」

「なんでだよそれ、おれに妙な恩を売る気か」

「そのへんの時間帯の方がライヴ配信の再生回数が伸びるだとさ。アップルが言っていた」

「そんな気しねえが」

「俺もしねえ」

 ふと、意見が合う。すると、ヒトロは少しだけ、笑ってしまった。だが、すぐに笑みはかき消す。

 青枝の方は、ビルを見ていた。夕陽はまだ固定されたように、空にある。

「ヒトロ」

「気安く呼び捨てするな」言い返して、さらに「お前に呼び捨てされると運気がさがる気がする」と、言いがかりもつける。

「お前は、カミとは戦うな」

そう言われ、ヒトロは一瞬、理解がおいつかず、やがて、理解は追いつき「おい、なに言い出してんだよ」不快な様子で言った。

「戦う練習はした。キラヒラさんに教えてもらった。何百回も死んだんだよ、ま、別のゲームん中だけど、死んでまた戦って、戦い方はおぼえたぞ。つか、こっち向けよ、目を見ていいやがれ」

「いいよ」

 答えて、青枝は振り向く。そこへヒトロは、さらに続けて言い放とうとした。

 だが、青枝が先に言った。

「配信する映像の方を、お前に頼みたい」

「映像」

「お前の目線で見えたセカイを、世界にみせたい」

 放たれた提案を前に、ヒトロはうまく反応できず、動きも言葉も止めてしまう。

「このドンパチの配信で、俺たちは再生回数を稼ぎ、お前はカミと決着をつける。まあ、いくら集中して戦う練習したからといって、すぐに強くはなるまい。お前はカメラになって、カミと戦いを撮れ。お前がどういうふうに、セカイを見ているのか、見せてしまえ」

「ばかか、それこそ、やったことなんてねえよ」ヒトロは言って、続けた。「それに、おれが見ているものが退屈だったら、どうするんだよ」

「それは、自分は、他の人間が見るに絶えないほど、つまらないセカイの見方をしてるか―――て、心配か、それ」

「そうだよ、いちいち、言語かするなよ。むかつく」

「はは」

 と、青枝は笑った。

「そういうわけで、その件、全面的によろしく。丸投げする」

「話を聞けよ、お前、年上だろ」

「俺は二十だ、お前とそう歳も変わらんし、中身はお前とそう変わらん。成熟とはほど遠く、その場しのぎと、未検証のアイディア実行でやって来た。天狗探しとかしてたし」

「………天狗探し?」

「セカイをみんなに見せるのが、お前の役目ってことで、頼むよ」

 繰り返し言われ、ヒトロは「ばかが」と、だけ言った。

「結末まで撮れよ、最後をみんなに見せるんだ」

 そう言って、青枝は部屋を歩く。

「そのために、最後まで生き残れ」

 部屋の明かりをつけるため、ボタンへ手を伸ばす。

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