第39話 見ていものを、見る

 玄関に設置した呼び鈴が鳴った。

 夕方、自宅にはヒトロしかいなかった。二階の自室へ入り、部屋に着替えるようとしていた。そこへ、ふたたび呼び鈴が鳴る。

 そこで、二階の自室を出て、階段を降りる、無人のリビングへ行き、インターホンカメラで訪問者を確認する。しかし、画面には誰も映っていない。そこで、カメラの映像を逆再生した。すると、青枝がインターホンを押して、わかりやすく、逃げるような挙動で離れてゆく映像が残っていた。

 ヒトロは停止ボタンを押し、うっとうしそうな表情を浮かべた。「ピンポンダッシュかよ」

 頭をかく。うっとうしそうな表情に、今度は、面倒さも混ざる。

「なに、うちに来てやがんだよ。B級貧乏神クラスの厄災だ」

 と、愚弄を吐き捨てていると、ふたたび、玄関に設置した呼び鈴が鳴る。

「だから、おい!」

 声をあがれ、インターホンカメラの映像へ吠える。

 すると、画面には、猫のアップになっていた。

 ヒトロは驚き、絶句して後ろへのけぞる。やがて、カメラへ向け、青枝が猫を掲げているのだと気づく。

 数秒ほどして、ヒトロは画面から視線を外す。新しい視線の先には、台所があり、包丁が収納されていた。

 直後、ヒトロの制服のポケットの中が振動する。携帯端末に着信があった、青枝だった。

 通話ボタンを押す。

『おい、少年』青枝は開口いちばん言った。

「猫のアップはやめろ。かわい過ぎて、気が狂いそうだ」

『こいつな、そこで邂逅した猫だ。はやくドアを開けてくれ。あ、ってか、この猫、ストリートキャットなんだろうが、ひどく重い。どこかで、いっぱい食い物を貰っているらしい』

「なぜ、てめぇにドアをあけてやらなきゃならねぇんだよ」

『なーに、家庭訪問だよ』

「トチ狂ったことを言い出しやがって」

『おれの賞金を狙うやつらに追われてるんだ。いまは、うまくまいたが、このままではまたみつかる。かくまってくれ。頼む』

唐突、かつ、厄介な頼み事だった。ヒトロは苦々しそうに唸ったあとで「猫は入れんなよ」と、忠告した。

『さらば、毛深い友よ』

 青枝が猫を解放しようとする最中に映像を切る。

 玄関へ向かう。だが、すぐにドアは開け、チェーンをつけてから、鍵を外し、ドアを開けた。

 すると、ドアの間に靴先が差し込まれた。

 ヒトロは「やると思ったぜ」と、いった。

 いっぽう、青枝は「しかし、これだけ隙間があれば、猫を流し込めるぜ」そう返す。

「バカな時間を過ごすのはうんざりだ」あきれた口調でヒトロはいって「足、一回ひっこめろ、あけるから」と、いった。

「信じるぜ」

 青枝はそういうと、ドアの隙間に挟んだ片足をひっこめる。ヒトロはチェーンを外し、ドアをあける。

 とたん、青枝は隙間に片足を入れてきた。実はまたチェーンをつけたまま、開けたのではないかという、疑惑を抱いたうえでの挙動。

 そこでヒトロはそのまま勢いよくドアを開け放つ。ドアは青枝の側頭部と肩に、あたって、ごん、といった。

「いたい」青枝は短い悲鳴をあげる。

 対してヒトロは「それが信じない者の痛みだ」と、伝えた。

 ドアを開き来ると、そこにはいつもの上は青いジャージ、下は黒いズボン。ボロボロのスニーカーを履いた青枝が立っていた。上着は若干、猫の毛がついている。

 ヒトロは敵対関係者へ向けるような口調で「なんだよ」と、雑に投げかけた。

「なんだろうな」青枝はそう答えた。

「ふざけんなよ。というか、ふざける以外できないのか、てめぇは」ヒトロは不機嫌さを露わにし、言う。

 そんなヒトロの態度を微塵もきにせず、青枝は言う。

「ミチカさんのこと」

不意に姉を持ち出され、ヒトロは眉間のしわを解除した。だが、すぐに眉間のしわを戻す。

「おまえ、姉さんを、雑に扱うなよ。殺すからな」

「ちょっとな。どうしても、知っておきたいことがある」

「知っておきたいこと」

「あ、いや、知りたいというか、体感しておきたい、ってことになるかな。そんな感じの用事だ」

「なんなんだよ」

「ビルの話だ」

「ビル」

「お前の姉さん件の、すべての始まりの、ビル。君の姉さんが生まれた日に、造るのをやめたまま、ずっと、この町に建っているあのビル」

 予期せぬ話だったためか、ヒトロは小さく困惑していた。

 そこへ青枝は続ける。

「お前の姉さんの部屋から見てみたい、あのビルを」

「いや、なんでだよ」

「ミチカさんが、どんなふうに、あの終わりを捨てられたビルを見ていたのか知りたいんだよ」

 青枝がそう告げるとヒトロは黙った。だが、少ししてやや反抗的な口調で「だから、なんでそんなことを」と言い返す。

「というか、追手にも追われているので、かくまっても欲しい。真剣に、お願い、少年、賞金首としての、お願い」

「へんたいが」と、ヒトロは遠慮なく、無関係とも思える種類の罵倒を行った。その後で「くそが、入れよ」と、許諾した。

「おお、わるいね。俺なりに頑張っては来たんだが、世の中には限界、ってのがあってな、ああ、なんたる理不尽―――みたいな」

「だまれよ、てめぇとしゃべると、今日学校で習った授業の内容が頭の中でゼロになりそうなんだよ………」

 ヒトロが頭を片手で抱えている間に、青枝は玄関へあがる。すると、ヒトロは履けよ、と、ばかりに、ぞんざいにスリッパを床へ投げた。

「ありがとう。あ、なあ、玄関にはちゃんと鍵かけろよ、最近の世の中、ヘンなの多いから。ずうずうしくあがりこまれたノイローゼだ」

「そういう話でいったら、てめぇが優勝だ。その大会」

「で、お前が準優勝」

「同じ大会に出れて、不名誉に思う」ヒトロはそういった。「追い駆けられてんだろ、入れよ。でも、かくまえるのは親が帰って来る前までだからな。ヤバいときに高校生なんか頼りやがって、はずかしくねえのかよ」

「なーに、さえ沈んでしまえば、闇の奥へどうとでも隠れられる」

 その詳細は述べず、青枝は玄関に設置されている棚の上へ飾られていた写真を見る。中学生くらいのヒトロを含めた家族四人の写真だった。

 笑顔のミチカも映っている。セカイに現れた、カミと同一の顔だった。

 ヒトロは青枝の視線が写真へ向けられているのに気が付いた。だが、苦言の類は言わない。

 代わりに、青枝の視線を剥がすためのように「お茶飲むか」と、訊ねた。「粗茶っぽいのなら出してやる」

 青枝はヒトロへ顔を向けて言った。

「ミチカさんが見ていたものを見せてくれ」

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