第34話 珈琲、ミルクと砂糖

 手の届かない距離位置に珈琲を置かれる。

 青枝はテーブルに座り、それを見ていた。

「ミルクと砂糖は」

 同じ国の言葉で問われる。

 デーブルの向かいに座っているのは、七十代くらいの女性だった。白髪に、まろやかな顔立ちをし、それは一見、微笑みにも見える。

 青枝は「ふたつとも大好物です」と、答えた。

 女性は「そう」といった。それから、ミルクと砂糖をひとさじずつ入れる。「ミルクと砂糖の量、はじめはわたしの好みでためしてみて」

 そう伝え、珈琲カップを青枝の前へと差し出す。

 薄緑の壁紙に包まれた室内は、奇抜な装飾の類はなく、落ち着きがあった。ところどころに家族写真が飾られている。若かりし頃の夫と妻、子どもたちと両親、犬。そして、家族写真より、はるかに多く、様々な欧州の街の写真が飾られていた。

 女性は言う。「わたしね、あなたのような人は苦手だと思うの」自身の珈琲へミルクと砂糖を入れた。「偏見があるのよ、自分ではどこかで偏見なんてしない人間だと思い込んでいるけど、意識してない偏見をもっている人間なのよ」

 自身に対し、あきれるような口調で言う女性を見返す。目が合った。女性はそらさず、表情を変えない。ふと、微笑んでいるようにも見えるし、そうではないように見える。

 青枝はカップを手にとり「すいません、俺、ぱっとみ、優雅さは皆無ですからね」と、いった。

「もうすぐ、孫が帰ってくる。お話しはその時間の限りでというお約束で」

「あの」

「なに」

「ここまで来て、しかも、こうして上質な一杯の珈琲などご馳走になっておきながらこんなことを言うのも、なんなんですが、なんで、俺のような、その、あー………いや、どうして、俺のような感じの人間を、こうして家の中まで入れてくれたんですか。あやしげでしょ」

「だって、あなた、わざわざここまで訪ねて来ていたしたし」

「ええまあ」青枝はうなずいた。

「わたしも最近、知り合いが減って来た。家を訪ねて来る人も少ない。そういう意味ではあなたは貴重なお客さんともいえる」

「なるほど」青枝はふたたびうなずいた。「これは世間話になりますけが、もし、あなたが、この住んでいなければ、おれのこんな人生では来る予定がなかった場所です、コペンハーゲンなんて。シェラン島、北欧の………北欧の………なんでしたっけ」

「パリ」

「はい、北欧のパリ。歩いてみると、パリを感じます。コペンハーゲンって、パリでいう―――まあ、パリの方は行ったことはないですがね。いやいや、ユーラシア大陸自体は、けっこう、その、馴染みがあるんですが」

「繰り返すけどね、わたしはあなたのような人は苦手だと思うの」女性はふたたびそう告げて続けた。「でもね、あなたの動画はみたことがある、猫探し。偶然ですけどね、見たは。だから、あなたのことは知っていた」

「あー、あの動画ですか。迷い猫を探しにいって、捜索のスタート地点で迷い猫を発見した」青枝は視線を外した。「あれは、その、運命にもてあそばれたというか、猫にもてあそばれたというか―――お恥ずかしい」

 珈琲を飲んで、口元をごまかす。

「あれも見たわよ、天狗探しの」

「あれについてはお恥ずかしいというより、純然たる恥じを感じる次第です」

 女性が「あなた、建築家を訪ねて来たんでしょ」そういって、部屋の時計を見る。「孫はもう帰って来る、学校から」

「お孫さんは、おいくつですか」

「十二歳。ねえ、あなたは、わたしを訪ねて来た。ここまで、この国まで」

「はい、どうしても、あなたにお願いが」青枝は珈琲カップを両手で包んだ。「あなたがセカイでつくったあれに、俺は何度も行きましたよ、そう、眠れない夜とか、ふらっとね」

「ルール違反で、つくった」と女性はいった。「でも、あれはわたしのセカイごと無くなった。はじめからなかったみたいに、一瞬で、真っ白に」

「無くなったのではなく、消されたんです、ヒシミさん」

 青枝は女性の名を呼んで伝えた。

「カミの意志によって、セカイから消された」

「そうね」

「それでまた、あれをつくっていただけませんか」

「どうしてわたしを選ぶ、他は………わからないけど、いるんでしょ、他にもああいうのをつくった人が、たくさん」

「ええ、たくさんいます」

「ありふえたアイディアよ、わたしがつくったものは」

「でも、あなたがいい。他にありましたけど。でも、おれがはじめに見たは、あなたのセカイだったんです。いや、偶然、たまたま、見ただけですけど。でも、あなたのセカイであれを見た。だから、あなたにもう一度つくってほしい。あなたがつくってくれればすべて、やり遂げられる気がする」

ヒシミは答えず、テーブルに頬杖をついた。それから、五秒を消費してから、かすかに笑んでいった。「口説かれているみたい」

「口説きに来ましたよ、そりゃあもう。その通りです。あなたに頼んでいるこの件だって、俺が、個人的に決めたんです」

 青枝がそう伝えると、ヒシミは頬杖をやめた。

「なにを証明したいの」

 漠然と問いかける。

「証明したいことは死ぬほどあります。でも、今回、やりたいことはひとつだけに決めてます。いま、女の子がひとり、捕まってるんです、彼女のすべてが持ってかれているんです。あー、いや、その子は、もう死んでる子なんですが………俺も、直接、本人には、会ったことがないし、でも、お墓にはいって、あと、声は少し聞いたかな。なんというか、その子は、俺の仲間にとっては、大事な人だったんです―――って、ああー、何言ってるか、よくわかりませんよね、俺のこの話?」

「うん、わからない」ヒシミは飄々とした様子で肩をすくめてみせる。「でも、続けて。魔界の話を聞いているようで、刺激はある」

 ヒシミは奇妙な感想を放つ。

「はい。少し前、カミがセカイに現れて、カミの管理に反するセカイの使い方をしているユーザと、そのセカイは消されました、警告もなくすべて消滅させられた。事前に言われたからといって、自由、勝手にやっていた連中なので、事前対応したかもあやしいですけどね。あなたがつくった街がセカイも消された。つくりに違反があったから。違反しなきゃ、あれはつくれなかったんでしょうが」

「そうね」

「以降、セカイでの違反を、カミは許さない」

「ええ、あのAIがゆるさない」

「でも、バクってるんですよ、壊れている」

「壊れている?」

「はい、俺のアカウントでつくったセカイだけ。どうも、バクってて、消されなかったんです、カミが現れたあの日に。かなり違反しまくってるセカイなのに。いまだにあって、しかも、俺のセカイのいる限り、いまでも違反改造した仮想身体でも消されないんです。どうも、カミでも消せない状態になってるようで、ということは、おそらく、俺のセカイなら、どんな勢いバツグンの違反建築の街を築こうとも、カミには消せない」

 青枝がそう伝えると、ヒシミは大きく目をひらき、いった。

 そして、笑顔になる。

「あなた、だめな」

 と、いって、続けた。

「最初に言いなさいよ、それ」

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