第31話 木造二階建てで、スピーカー

 木造二階建てだった。内廊下のつくりらしく、外観は擬洋風の、さらに偽物めいている。一見、かなり凝ったデザインに見えるが、間近で見ると、古いうえに、全体のつくりがいい加減なだけだとわかる。見様見真似の、見様見真似で誰かがつくった、コピーの、コピー。そんな存在感を発している。

 アパート名の記した表記がある。

 ねこ館、と、書かれていた。

 場所は都内だった。複雑に入り組んだ路地を、ときに、完全に方向を見失いながら、細い路地を通りぬけ、行き止まりにぶつかり、塀の上から野良猫に見降ろされながら、進む。携帯端末の位置表示機能も、なぜか、うまく表示されない。

それでも、ようやく、ヒトロはたどり着く。

 その頃には、夕方だった。

 古い住宅が、密集して立ち並ぶその場所で、その二階建てアパートはより古く、だが、古いだけではなく、全体から妖気めいたものさえ感じた。

 目的地を見つけても、ヒトロはそのあやしい外観に怯み、数分間は、疑い、独自の近辺調査をした。最終的に、アパート名である、ねこ館の文字情報をみつけるまで、ここであるという確信は得られなかった。

「………殺害されても、やむなしの精神がいる」

 さいごは巨大なあきらめを口にしたうえで、玄関扉へ手をかけた。

 アパートの玄関は、格子戸で、あけると、がらがらと音が鳴る。

 中は古いが外観ほど草臥れた様子はなく、玄関は広く、夕方にしては、自然光でも明るかった。窓の配置は上手くいっているらしく、まるで弱い外の光りを取り込んで、増幅させ、内部へ取り込んでいるように見える。

 案外、優れた造りなのかもしれない。そう思いながら、格子戸をしめると、戸の一枚が、フレームから外れた。慌ててそれを受けとめ、焦りつつ、なんとか、はめなおす。

「滅び中だ」数秒の急速な動きで、ヒトロは軽く息があがっていた。「なんの洗礼だ、これは」

 そして、視線をめぐらせると、近くに台の上に、安価なつくりの呼び鈴が置いてあった。そこに『用事がある方はこの呼び鈴を押し、呼び出したい部屋の番号を叫んでください』と、記してある。

 独自の呼び出し訪問システムに、ヒトロが警戒した。そして「おれの知ってる現代科学力が到達してないのか、ここ」と、愚弄し、呼び鈴へ手を伸ばす。それから「いや、何号室だ」と、首を傾げた。

 追加情報をさぐり、さらに玄関先を調べる。安直なつくりのアドベンチャーゲームをやっているような動きを経た後、各部屋の郵便ポストが並んでいることに気づいた。六つあるポストのうちに、五つは受け口にテープが張ってある。あいているのは、二〇二号室だけだった。

 呼び鈴を押す。きーん、と、ほとんど響きもしない金属音が鳴る。「に………二〇二!」と、遠慮がちに叫んだ。それから「なんか、囚人番号を叫んでいるみたいだ」と、感想をこぼす。

 呼び鈴を押し、三十秒ほど経った。反応はなかった。

「やっぱ、ナチュラルな廃墟なのか」

 そうヒトロがつぶやいたとき、アパートの表の方で、バイクの音がした。エンジンが止められ、ほどなくして、アパートの格子戸があけられた。

 真っ赤な髪に、革ジャンを着て、のぞける素肌には、刺青の入った二十代くらいの女性が入って来る。

 眼光は鋭く、かりに、ナイフで刺しても、動じないのではないかというほど、深刻な落ち着きを放っている。

 彼女の登場に、ヒトロは硬直した。一方で、女性は開けた格子戸へ手をかけたまま見返している。

 やがて、女性が「ああ」と、やる気なくいった。「アムだ」

 名乗られ、ヒトロは我に返った。

「あ、黒い狐の」

「お前あれだろ」アムは言って、続けた。「あれの、あれだろ」

 向こうは名乗る前にヒトロを認識した。きっと、はじめて会った仮想世界で、ヒトロは自身の姿で仮想身体を作成していたので、それでわかったのだろう。と、ヒトロは認識した。

「こん………ばんは」

 と、ヒトロがあいさつすると、アムは「孤独か」と、だけ返して来た。ヒトロがどういう意味か問い返す余裕を見いだせないうちに、アムは格子戸を閉める。すると、戸が外れた。アムはそれを慌てて対応することもなく、戸が外側へ倒れた。

 それでもアムは微塵の動揺もしない。戸を一瞥しただけで、動き出す。

 土足で玄関先へあがった。

「あの、靴ぬがないと」

 と、ヒトロが言うと、アムは舌打ちした。

「気づくなよ」

 文句をいった。しかし、気づかれたからにはしかたなし、といった様子で、ヒトロへ背を向け玄関先へ腰を下ろして、靴を脱ぎ出す。バイクを運転するための革靴なのか、脱ぎにくいらしい。

 ヒトロ側からは、アムのうなじが見えた。そこにも、びっしり刺青が彫ってある。

「ボロいアパートね」と、背を向けたままアムが言う。「くしゃみしたらぶつれそう。こんなもん、この時代にこんな建物を建てっぱなしにしてて、いっそ、なにか、有罪になればいいのに」

 独り言にも聞こえ、だが、話しかけられているにも聞こえる。いずれにしろ、ヒトロは、コメントしづらそうに、その場に立ち尽くしているのみだった。

「こっちは消防法とか、クリアすんの大変だったのに。店始めるとき、地下だったし」

 愚痴らしい。しかし、何の流れで、何の愚痴を言っているのがわからないらしく、ヒトロの精神を不安定にさせていくようだった。

「君、高校性」

 と、今度は確実に話かけらたことがわかる内容だったので、ヒトロは「あ、はい」と、返事をした。「まあ………」

「仮想身体そのまんまでいったのね」

「はい、その………はい………」

「私も三年ぐらい前は現役で着てたな、学生服。ああ、雌用のヤツだけどね」

「三年前、ですか」

「そう、三年前」

「なら、姉さんと同い年かな」

「姉さん?」

 アムは靴を脱ぐ終わらせ、振り返りつつ、訊き返す。だが、ヒトロが答える前に、台の上の呼び鈴をみつけた。

「これで呼ぶのか」

「呼んだけど、誰も出て来ません」ヒトロは答えた。「いや、結果的にアムさんが来ましたけど」

「知らん、全面的に」

 そっけなく言った。その直後、ヒトロの携帯端末が振動した。手に取り、通話ボタンを押す。スピーカーモードにもした。

『おっまたせぇー』はじけるようなアップルの声が聞こえた。『さあ、ふたりとも二階へあがってきてー』

「お前がここに降りてこい」

 と、アムが言ったが、アップルは『いいからさぁ、いいからさぁ』と、軽薄な様子でいって返す。会話をかみ合わせる意志はなさそうだった。

 アムは「青枝はどうした」と、続けた。

『気になる?』

「目障りな男だ」

アムはまず、ただ愚弄していった。

『同意』アップルは向こうで、頬付けをつくような気配を見せた。『というか、うちの玄関戸、破壊したよね?』

「壊れる方が悪い」

『そうだね』アップルは認めた。『壊れる方が悪い。あとで三世が直すから、そのままにしておいて、ありのままでいいから。自然淘汰の思想で』

 ヒトロは傍からやり取りを聞きながら「世代のせいかなぁ、流れがわかないんだよなぁ」と、つぶやいた。

 そして、ふたりは階段をあがる。先頭はヒトロだった。階段をあがると、二階の内廊下についた。廊下は自然光のままでも、まだ、見えるが、かなり薄暗かった。どの部屋も使われている気配がない。二〇二号室は一番奥だった。

 ここでもヒトロが先頭に行く。二〇二号室の前に行くと、明りが自動的についた。扉を叩こうとすると『ようこそ、我が家へ』と、天井のスピーカーからアップルが先んじて言い放つ。

 とりあえず、ヒトロは携帯端末の通話状態を切り「あの、つきましたよ」と、うったえかけた。

『この扉はあけられない』

 アップルが断言すると、アムが「引きこもってるのか」と訊ねた。

『うん、たった三年ほど』

 アップルがすぐに認めると、アムは「なら、しかたない」と、あっさり受け入れた。

『ありがとう。扉の向こうから、もう一度送る、ありがとう』アップルはそう言って続けた。『扉ごしとはいえ、でも、一度くらい、こうしてリアルで会っておかないとね、アムさんとも』

「アムでいい。どうせ、思い入れのない名前だ、呼び捨てでいい」

『そこのソファに座って』

 アップルにそう言われ、ヒトロが「ソファ」と、つぶやきながら周囲を見た。すると、廊下に草臥れた二人掛けソファと、草臥れた一人掛けソファが設置してある。

『飲み物も好きに飲んで』

 さらにそう言われ、視線を巡らせると、廊下に小型冷蔵庫もあった。ヒトロが中をあけると、エナジードリンクと、大量の未開封のミニ羊羹が入れてあった。

「羊羹って、冷蔵保存するんだっけ」と、アムが後ろからのぞき込みながら言う。口には、煙草がくわえられていた。「味のため? 羊羹って、冷えたらおしくなるって、ルールの食料だっけか」

『あ、ここ、禁煙だ。アム』

「時代に迎合しているのか。こんなボロ屋の分際で」

『いえ、シンプルに、煙草の火が床に落ちただけでも超燃えるポテンシャルがあるの、しょぼい木造建築だから、ここ』

「いやだわ」アムはいって、火をつける前の煙草を口から外した。それから、二人掛けソファの端に座る。

 ヒトロも慌てて、一人掛けソファへ座った。

「青枝は」

『いる、聞いてる』と、スピーカーから青枝の声がした。『いつも言っているだろ、たとえ、どんなに遠くに離れていようとも、聞いてると』

 アムは渇いた口調で「そっちから誘っといて、あなたが生身で私を出迎えないとか、どう了見だ」と、いった。

『え、ああ、どうしてもいうなら、いまから君のもとへ行くさ。たとえ、君がどこにいようとも、かりにスカンジナビア半島にいたとしても、必ず居場所を突き止めて、たどり着こう』

「今日はいいや」アムが跳ね返す。「あなた、いらん」

 ヒトロはそばで聞かされたアムのその返しの発言に対し、どういう解釈をすればいいんだろうか、というような戸惑った表情を浮かべていた。

『あの………わたしも、いますから』

 キラヒラの声がスピーカーから聞こえた。

『すいません………仕事が………どうしても………抜けにくく』しゃべりなら、だんだん声は小さくなってゆく。『あの、というのも、まだ、入社したてで、わたし………かくべつな権力がなくって、いろいろ………』

『でーはー、全員がそろったので、はじめます』アップルが言う。

 青枝が『なにするんだっけ』と、問いかけた。

「きのうのアレについての話に決まってるだろ、記憶喪失か」

 ヒトロは青枝に対してだけは、強くいった。

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