第25話 しゅ、っとね
ドアの向こうは、赤い水で浸された海底のようだった。
テニスコート半面ほどの広さがあった。中央には寝台があり、その傍らには、歯科 医療用の器具めいたものがあるが、どれも決して、歯科医療用の器具ではない。
煙草をくわえたタンクトップを着たその女性がいた。二十代後半くらいだった。女性は道具を手入れている。首から上以外、肌のほとんど部分に刺青が彫られていた。 右側頭部の髪には刈込が入り、一方で赤く長い髪は一本に束ね。蛇のように長く垂れている。耳にも口にも、ピアスがほどこされていた。
刺青を施す店だった。店内には、刺青のサンプルイラストが飾られている。
その女性以外、店には誰もいなかった。
そして、女性は入って来た青枝を見る。
殺し屋のような眼を向けてくる。
「あれ」と、青枝はいって、自身の唇を指でさすった。「なんか、あいつが対応した電気屋さんの人と、かなり、パワー感に差が」
ぶつぶついっている間も、女性は青枝を見ていた。手入れをしていた道具を置き、かわりに、中でも最も鋭利な器具を手にする。
「いや、まてまて。話せば、案外、柔和な人のパターンが」
「首絞めるぞ」女性は殺し屋のような眼を変えていった。「勝手に入りやがって。だが、今夜はすこぶる機嫌がいいから、喉仏を握りつぶすだけで許してやる」
むき出しの殺意をぶつけてくる相手に対し、青枝は「タイムマシンがいるなぁ」と、いった。「過去に戻ってやり直す以外、生き残れる気がしない」
「どうやって入った、品祖なそこのお前。扉には鍵がかかってたはずだ」
「いや? かかってなかったが」
「嘘つきは嫌いだ、貫通させるぞ」
「どこを貫通させるのか大事な情報が欠如した発言だな」青枝は頭をかきながら言った。「しかし、扉はホントに開いていた。鍵なんて、かかってなかった」
その説明を受け、女性は微塵も殺意を解かぬまま「かけたんだが」と、つぶやいた。
「というか、やってんのか、この店」
「客なのか? うちは紹介制で、予約制だ。一見は彫らない」
「彫る? ああ、タトゥーか」言いながら青枝はあらためて店内を見た。壁にはさまざまなイラストが飾られている。荒々しい紋様など、さまざまな絵が掲げてあった。 その中に、現実には存在しない、見たこともない生物のイラストもあった。猛る竜の絵や、虎に見えるがあきらかに空想上の生き物の絵が、多数混じっている。
「生命力を感じる」
青枝は架空の生物の絵を眺めながらいった。
「警察を呼ぶ」女性はいって、片方の手で器具を握ったまま、もう片手で携帯端末を操作した。「警察とは仲良しなんだ」
「幻獣製造の、アムさん」
青枝がそう呼ぶと、手を止め、視線だけ向けて来た。これまで殺し屋のような目つきが変わる。
青枝は淡々とした口調で、露骨に言葉にする。「セカイの中で、ルール違反を無視し て、美しい生物を造りまくって、カミに追放された、アムさん」
話す、その視線の先には、店内に飾られた幻想的な架空生物のイラストがあった。
そして、タンクトップから見えている女性の腕にも、それらに属する架空の生き物の絵が彫られている。
「お前は」
「申し遅れまして、青枝と申します。動画配信を少々。で、今回、こちらへお邪魔したのは、セカイの件で、その、話があって」
「はなし」
「あのセカイのどかん、やるような、話がある」
アムと呼ばれた女性は、しばらく無反応だった。それから、器具を置き、置いてあった上着を羽織った。
「失せろ。客じゃないんだろ、彫れない肌に興味はない」
「わかった、では、ひとつ、彫ってもらおうかな」言って、青枝は近くの椅子を指さす。「腕に、その、小さなバスケットボールの絵でも」
「予約制だ」
「でも、扉はあいていた」
青枝がそう返すと、アムは眉間にシワを寄せた。その間に、青枝は無許可で椅子に座る。
アムは不機嫌な表情を浮かべつつ「鍵はしめたはずだ」と、いった。ずうずうしく椅子に座り、目が合うと、にっ、と笑う青枝を見て、不機嫌から、怪訝な表情へ移行させる。「動物め」
そういって、ため息を吐く。そこへ、あきらめがあった。
「人間だと思わないで、動物だと思うようにした。彫ったら、消えろ」
宣言し、ライトをつける。
赤い水に浸っていたような空間の一点に、光が燈る。
「こっちの腕でいいな」
アムは勝手に決めて、青枝の右の長袖をまくる。
「あ、待て待て」
と、青枝が抑止する。
「彫るからな」しかし、アムは動きをとめない。「予約なしの客には、利き手じゃない方で彫ってやる」と、いって、右の長袖をまくる。
露わになった青枝の右腕の皮膚には広範囲にわたって、火傷の後があった。滑らかな部分がない。
それを目にし、アムは手を止めた。
無表情のまま、見つめる。
「いや、これはさ、つまり」青枝は肩をすくめながらいった。「ちょっとに、まえの仕事で、その、いろいろあって、攻撃されて、炎上的なさ。ま、文字通り、あぶない橋を渡っててて、アクセル全開で乗り切ろうっていう、あー………まあ、そういうのでついた」
飄々と説明する。すると、アムは黙っていた。
「見た目たこうだけど、中身は、ぜんぜん無事なんだ」
アムは黙ったまま、青枝の右腕を見ていた。
すると、青枝は演技じみた口調で「お、黙っている、いまが発言のチャンスだな」といった。「アムさんさ、あなたをセカイから追放したカミを、俺たちと一緒に仕留めないか」
「仕留める?」
「うん、しゅ、っとね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます