第08話 敵、花火

「ああ。きいていた」青枝は端末へ答えた。「で、ヘッドロックだ」

 月明かりも乏しい夜の下、青枝は自動販売機の前で、中腰だった。足元には自転車が倒れている。

 右わきで、学生服の少年をとらえている。写真の顔、ミチカの弟である、ヒトロその人物だった。青枝に強引に捕まれ歯を食いしばり、なんとか、逃れようともがく。何度か手で青枝の身体を叩くも、不安定な態勢のため、さほど力が入らず、決定的なダメージを与えられずにいた。

『ヘッドロック』青枝のポケットの中に端末からアップの声がきこえる。『なにそれ、かっこいい音楽の流れるカフェかなにか?』

「なあ、質問の仕方で、そいつの知性って、バレる気がしないか」

『いや、その、わたしの質問に対する質問の返し方で、あんたがわたしをコケにしているのはわかるわ』

「捕まえた」

 と、青枝は放り投げようにいった。この先の展開について、催促する。

『捕まえたのか、あんた、すげぇね』アップルはシンプルに褒めた。『あのさ、その子、中学生だから、未成年者だから、心も繊細な十代だからね、穏便にね』

「俺もまだ十代だ」

『そうだっけか』

「十九歳だ」

『そっか、十九年間、お疲れさまでした』

「なんの慰労だ」

『いいから、その子、傷つけないでよ』

「心の方は傷つけていない」

『めんどうくさい想像力を発動させる発言をしやがって』アップルは淡々とした言い方だった。『まあええわ、捕まえたなら』

「捕獲の手段は問わないと言われたしな」

『いってねえけどな。でも、事後承諾で、いったことにしてあげる』

「さすがデジタルならず者」

『でしょ、デジタルならず者、その最下層の手下である、三世め』言葉を返す。その後、アップルは青枝にではなく、仮想空間側にいる相手に『え? ああー、まー、だいじょうぶ、だいじょうぶよー、うん、セー………ーフだから! セーフよ! セーフ寄りだからね! 信号の色でいったら言ったら、くすんだ青? だからさ、うん!』と話しだす。

 青枝は「必死なのが流れ弾みてえにこっちまで聞こえてるぜ。しょうもないコメントで相手を言いくるめようとしている、おまえの滲んだ詭弁が」と、いった。「でも、いま、お前はお前らしく、輝いているぜ、鉛のような光沢で」

 ふいに、青枝の身体がかすかに揺れる。直後、両足が地面から剥がされる。首を青枝の小脇で抱えられたヒトロが、いまいちど歯を食いしばり、相手の胴を掴んで、抱えて、後ろへ放り投げるように、岩石落としを試みる。ところが、青枝の重量に対し、ヒトロの腕力は不足していたため、完全には持ち上げられない。

 けっきょく、仕掛けたバックドロップは達成されなかった。

 しかし、中途半端に技はかかり、結果的に青枝の後頭部を自動販売機にぶつかり、ディスプレイは短い音をたてて罅割れた。

 ヒトロは緩んだ青枝の拘束からほとんど、四つ足で逃れ、地面へ倒れ込みながら、振り返る。

 罅割れた自動販売機の光の中で、つよい眼光を放つ。

「敵!」

 と、歯をむき出しにして、青枝へ言い放つ。

 いっぽう、青枝は後頭部を抑えつつ、少年を見る。神妙な顔つきだった。まるでダメージを受けていない様子を見せた。だが、すぐに、右目から涙が流れた。そして、ひどく落ち着いた口調で言う。「いや、社会通念上、じはんきに、人をぶつけるって、泣けるからやめろよ」

「なにいってんだよ、おまえ!」

「恐ぇ、刺されるのか、俺は。あ、まさかネット通販でスタンガンとか買いそろえてないよな、ああいうのつかって、電気のチカラでなんでもなんとかなると思ってると、将来、小銭しか稼げない人間になるぞ」

「だからなにいってんだよ、さっきから!」ヒトロは激しい反発と、混乱がかかっていた。「おっさん」

「言ったろ、俺は十九歳だ。おっさんか、おっさんじゃないかのハコで言ったら、中学生のお前と、同じハコの中だ」

「バカおっさんが」

「ったく、言葉の愚弄表現が最下層の品質だな、魂から出てきてないか感じだ」青枝は涙をぬぐいながら言う。「いいか、将来、そっち方面を目指すなら、もっと屈辱発言のしがいのある知り合いでもみつけろ」

 アドバイスめいたものを言い、大きく息を吸って吐く。

 それから。

「まあ、わかった、まずは謝るよ、俺が」

 ぽん、とそういった。

 しかし、ヒトロの表情には警戒が保持されている。

 青枝は続けた。

「自転車で駆けているところに、前説もなく飛び付いてヘッドロックをしかけた。それは俺が悪かった、犯罪だ、だが、急速な指示を受けた影響だ。粗悪な指示を出した奴が一番悪い。俺は二番目に悪い。俺は二番目に悪いが、しかし、人としては高品質なので、俺が謝ろう、ごめんよ」

「おまえそれ、つまりところ、人のせいにしてやがるだろ」

「で、どうだ、中学校はたのしいか、ええ? 不毛な恋とかしてるのか?」

「急に世間話に切り替えるなよ、不気味なんだよ、お前………」

「俺の名は青枝だ。お前はヒトロだな、君の姉さんからセカイ経由で依頼を受けた。なんでも、おまえは今夜あのビルを」いって、青枝は闇夜にとけたつくりかけのビルを指さす。「爆破しようとしているらしいな。お前の姉さんがそれを知って、お前を止めて欲しいと言われたので、こうして、止めた。つまり、愛による、暴力の完成だ」

 ヒトロは青枝が話している間に倒れていた自転車を起こし、こぎだそうとする。

青枝は「愛の再発行」と、いって、ヒトロの自転車の前へ出て、ハンドルを掴み抑止した。「愛で身動きを封じる」

「やめろ、おっさん! その愛やめろ!」

「そっちこそ、親に買ってもらった自転車で犯罪へ向かい走り出しやがって」

「なにいってんだよ、意味不明だよ、関係ねえだろ、それ」

「人と人との関係ってのは、ときにそいつの目の前へダンスしながらでも飛び出てでも、つくるもんさ」

「犯罪者め!」

「お前こそ、あのビルを爆破するつもりなんだよな、そっちの方が、犯罪ランク高いだろ。しかし、おまえも、あのビルが嫌いな、お姉さんのために、ビル爆破って、ずいぶん張り切ったな」

「お前だから誰なんだよ!」

「だから、俺の名前は青枝だ。さっき教えただろ。覚えられないなら、名札つけてやろうか」

「いや、だから、なんそのっ」ヒトロは苛立ち、もどかしそうに言い返す。「だっ、だからさ、なんなんだよ!」

「俺は一介の動画配信者だ。今夜はあのビルに幽霊が出るって話だったんで、いまから現場のレポートの生配信で世間さまのご機嫌をうかがう予定なんだ。再生回数を稼げるだけ稼ぎ、そして、己の自尊心と、承認欲求をたっぷり満たそうという趣向だ」

「誰も見ねえよそんなの!」

「貴重な生の意見ありがとう。傷つくよ、真実だし」

「こうして話している時間そのものが不愉快なんだ! つか、お前だってあのビルに入ってなにか悪さしようってんだよ、だったら、そっちも、そ、その―――」ヒトロは一瞬、言いと留まり、そして、小さな声で続けた。「やっぱ、犯罪、だろ………」

 他者に差し向けた言葉は、自身にも当てはまることだった。

「俺の方はあくまでビルの敷地には入らない、周辺をうろつくだけだ。不法侵入なんてしない、絶対安全圏内での活動し、限りなくお手軽で、手抜きして再生回数を稼ぐのが俺たちだ。そういったグレーゾーンに永住するつもりの信念がある。だからビルへは絶対に入らない。かりにに、ビルへ向かう途中で、おいしそうなパスタの店とかみつけたら、そっちに入ってみたりして動画時間を水増しすることも厭わないぜ」

「趣旨がガタガタだろ」

「俺はな、再生回数を稼ぐために犯罪はしない」

 言い切り、青枝は続けた。

「結果的に犯罪になる場合はあるが」

「どっかいけよ、オゾン層の外側まで行ってくれ!」

「その願望、言い換えると、星に願いを、って感じだな」

「いらない感想ぶっこんでくんなよ!」

「おい、そんなに自由に吠えてっと喉壊すぞ。いや、かくゆう俺も初期の配信では、大きな声を出さないといけないのかと思って、声ぇ出してたけどな、はぁぁぁあい! みなさぁぁあああああん! 今日の動画はああああああ! ってな。いや、あれやってると、なかなかたのしいんだよな、でもさ、さっこんはマイクの性能がかなりいいんで、そこまで大きな声を出さなくていいし―――」

 青枝が自転車の前へたちふさがり、ハンドルを掴で語っていると、ヒトロは無言で自転車のペダルをこぎはじめた。すると、話に集中していた青枝はそのまま前輪に腹を擦られ、それに気づいたとき、足がすべり、仰向けに後ろへこけてしまった。ヒトロはペダルを漕ぐ足をとめず、まずは前輪が、やがて、後輪が青枝の身体の上を通過する。

 そして、後輪がアスファルトの地面へ着いた時、ヒトロは振り返った。自転車へひかれ、地面へ倒れている青枝を振り返る。

 すでに立ち上がっていた。ヒトロは慄いた。月と、自動販売機の明かりに半身を照らされそこにいる様子は、命ある者とは思えない雰囲気がある。

 やがて青枝は、ヒトロを見た。目の奥に輝きがない。そこに、見られるものには、きびしい迫力がある。

 青枝が「おい」と、声を発す。

 ヒトロは身体が動けなくなっているのか、逃げない。

「自転車で俺を轢いた」

 表層的な怒りは見られない。それがつよく感情を抑止されて形成された表現であるようにも見られ、対峙する者の心を圧迫する。

「なあ、いまのやつ、もう一回頼む」青枝は言う。「ぜひ、撮影したい。自転車で奇怪にひかれる様子を、いまみたいなのは、特殊は視聴者からの動画再生回数が稼げる気がする」

 いって前のめりになって再現と撮影を求める。対して、ヒトロは微動もせず、見返していたが、黙って自転車をこぎ出した、

「逃がすか、俺のチャンスを!」

 身勝手なことを言い、青枝は自転車の荷台を掴んだ。ヒトロは自転車をこぐが、進まない。

「離せよ! 真性の変質者が!」

「しかし、お前もいずれこうなるんだ!」

「ならねえよ!」

「いいや、悲しみは乗り越えた者はすべてこうなる!」

「すべての悲しみを乗り越えた者たちに謝れよ! つか、なんの会話だんだよ、これ!」

「社会人になるとこういう会話ばかりになるんぞ」

「ちがう! 社会人未体験だけど絶対ちがうって言い切れる!」

「元気いいなぁ」青枝は褒めて、顔を左右に振る。「だけども、お遊びはこれまでだ、もうおとなしくしろ、あきらめろ、素直になれ、絶対服従しろ、不条理を受け入れろ、いや、たしかにおまえにも見どころがあるが、それでも卑劣さでは、俺には勝てないぜ」

「その見どころの提示だけで訴訟可能だろ!」

「―――と、お前が叫んでいる間に、自転車の鍵を採取」そういって、青枝は言い返しで油断しているヒトロの自転車から、鍵を抜き取り、口の中へ入れて、飲み込んだ。「これで、もう、こぎだぜまい、走り出せまい、たとえ漲る青春エネルギーがあって自転車は動かい、すなわち、いまお前にあるのは、漲っているだけの青春だ」

「おまえ、鍵、飲みやがったのか」

 ヒトロは大きくひいていた。

「これぐらい、大人はみんな出来る」

「そういうのをしないのが大人だろ」

「さあ、もう、抵抗はよせ」

 いって、青枝は嘆息した。外気が冷えているため、息が白い。

「だいたい、お前、あのでかくて硬そうビルをだ」青枝は闇の中で、かすかに輪郭が見えるビルへ視線を投げた。「いくら、お前の姉さんがあのビル嫌いだから、爆破するって。どうやって、爆破するんだ? あれを吹き飛ばせるだけ火薬なんぞ、中学生が手に入れられまい」

 腕組みをしていう。

 すると、ヒトロは「うるせぇな、妖怪人間!」と、愚弄して、自転車を乗り捨てた。そして、青枝から距離をとる。

 青枝は余裕を見せて「こわっぱが」と、いって嘲笑う。「いよいよ、説得不能と判断したぞ、俺は。よしよし、では、最近見た動画で覚えた、初心者でもできる大外刈りで抑え込んでやる」

 ぬう、青枝が間合いを詰めようと前へ進む。

 直後、ヒトロは制服のポケットから端末を取り出した。画面ロックを外し、さらに操作すると、光る端末の画面を青枝へ向けた。

 画面には、丸い赤ボタンのようなものが表示されている。

 いかにも、起動スイッチというデザインだった。

「なにさそれ」

 青枝が純朴に問いかける。

「何年もお小遣いも、お年玉で買い続けた」

「買う? どうしたよ、とつぜん」

「何年も買い続けたんだ、ずっと、ずっと買って、むちゃくちゃ買って、買いまくって、ため込んで、中から火薬を取り出して、何年もかけてあのビルに仕掛けたんだよ!」

 そう言って、ヒトロは画面のボタンを押した。

 瞬間、ビルで爆発音がなかった。青枝が驚き見ると、ビルの頂上付近か煌々と光り、瞬いていた。ひとつひとつの光はさほど大きくない、爆破も小爆発といえた。それが連続して、ビルの頂上付近で放たれる。

 そして、青枝はつぶやいた。

「花火?」

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