第07話 有料会員様に、横並び
「ごめんなさい」
ミチカはアップルへ謝罪した。
ふたりは仮想空間内につくられたありふれた住宅街にある、ありふれた小さな児童公園のベンチに横並びで座っていた。
「おっとっとと、あやまるなんて、とんでもねー」白いシルエットの顔を左右にふる。赤い林檎のイヤリングも同時に揺れた。「有料会員様なんだもの、こっちは金をもらってるんだもの、金のチカラは強いんだから」
そう返され、ミチカはどう反応すべきか迷い、最終的には「はあ」と、あいまいな声を出すしかできなかった。
「しかしまあ」と、アップルは顔を向けた。「まさか、そんな理由で有料会員になるなんて」
「あやまる必要はないって」
「ごめんなさい」
「ほれ、またあやまったね」
「あ、ごっ」と、三度謝りかけて、ミチカは口をあわてて閉じた。そして「すいま」と、言いかけて、またあわてて口を閉じる。
「不具合起こしてやんの」アップルはそういった。「いやいやいや、ええっスよ、そんさ、ぴかぴかに神経を尖らせてまで気にするレベルの謹厳でもないですので」
「でも」
「わたし、いつも人からほとんど相手されないからね、トーク配信しても。そのせいかな、たーまに、誰かに利用されるぐらいなら、許容範囲」
「あの、アップルさん」
「あ、そうそう、ちなみにね、わたしの呼び名は、アップルじゃなくて、林檎さん、って呼んでもいいよ」
「アップル林檎さん」
「いや、融合するのは無しのパターンで。ごはんライスみたいな」
「え、あ、えっとー…………じゃあ…………アップルさん」
ミチカは呼びかけ直し、それから、じっとアップルのただ白い顔の輪郭へ視線を向ける。
それから、なにもいわない。凝視と沈黙に対し、やがて、アップルが口をかしげると、ミチカは、くっ、と、噴き出すように笑った。
あとは、くすぐられるように笑い続ける。
「沈黙こうげきだね」
「い………いえ、いまの、わたしたち………」ミチカは目に涙が浮かんでいないのに、目元の涙をふくような仕草をする。「おもしろい会話、してたな、って思っちゃって………笑っちゃいました………」
「なに、アップル林檎が?」
アップルが問い返すと、ミチカはさらに笑った。
あまりに笑いので、アップルは「おや、そこまで笑うことかね」と、理解できかねる様子をみせた。
しかし、ミチカは笑い続けた。
アップルは「あなたが笑顔なら、いいことなのだろう」そう小さな声でつぶやく。
その笑いもおさまった頃、ミチカは言う。
「わたし、あまり、友だちとしゃべれてなくって」ほつれていない髪を直すように指であげた。「こんな、ばかみたいなこという自分も、ちょっとひさしぶり過ぎてて、たぶん、耐性がなくなってるんだと思います、おかしな発言に。だからですかね、なんか、ささいなことでも、おもしろくって、すごく笑っちゃって」
「そうなのね」
「はい」
「そんなもん、わたしのセカイ来りゃあ、いくらでも、ばぁかな話、できるよ。いつでもおいでなさいよ、わたしはずっとここにいるし、わたしはいつでも、えびす顔でまってるし」
アップルは両手を広げながら言う。
「でも」
「お金も貰ってる有料会員様だからね、くだらない話くらい、いくらでもイージーよ。まじでミチカさん以外、このセカイに有料で来る人いないし。そして、わたしには、ありあまる暇という資産がある」そういって、続けた。「ここもずっと人気がないセカイだけど、じぶんたちで造ったセカイだかんね」
「愛が、あるのですか」
「愛は、あるよ」アップルは迷わず認めた。「こんな、テンプレツールで造ったセカイだけど、あるのよねえ、愛。かんたんなりの愛が」
「おもしろい」
と、ミチカはいった。
だが、すぐに「ごめんなさい、なんか、わたし、えらそうに」と、反射的に謝罪した。
アップルは微塵も気にせず「あ、それよりさ」と、話を切り替えにかかる。「リアルの方は、どんな塩梅かね」
「リアル」
「青枝の方、あなたの弟を確保してほしいって指令」
アップルの白いシルエットの向こうから、消音マウスのかすかな操作音が聞こえた。
「青枝のやろう、さっきからぜんぜん、連絡ないぞ。ええい、音信不通のプロか、やつは」
アップルは動きを止める。仮想身体の向こう側で、別の端末を操作している気配があった。
「弟さんの、ヒトロ……くん、だっけか」
「あ、はい」
「たいへんだねえ、青春の多感ましましゾーンに入ったトシゴロの弟とかいるとさ。暴走にも、やおらパワーとかあって」
好きなように発言して、アップルは続ける。
「しかしまあ、お姉さんのために、呪いのビルをぶっ壊そうと爆弾しかけるなんてね。なんとも、闇色な姉想い」
アップルがそういうと、ミチカは顔をふせ、また、ごめんなさい、といいかけた。
しかし、アップルは、ごめんなさい、が放たれる前「でも、青枝が止めるから大丈夫だよ」かるがるといった。「奴は、人の人生じゃまをするのが得意」
へいぜんとした口調で言う。
「青枝が、弟くん犯行が完成する前になんとかするから」
「ありがとうざいます」
ミチカは深々と頭をさげた。ふたたび、ほつれていない髪の毛を指で戻す仕草をする。
「というかー、もう一回聞いていい?」アップルがそういった。「さっきは、いきなりの話だったし、わたしも興奮の上の興奮で、あまり話の要点を掴めないまま弟くんの確保を青枝へ投下した。じつは、ちゃんと背景を理解していない」
「あ、はい」
再度、事情説明を頼まれ、ミチカはアップルへ顔を向けた。
「あの、さきほどお話しましたけど、わたし、十七歳で」自分の胸に片手をそえつつ話す。「あの、それで、生まれたときから、ずっと同じ町に住んでて」
「あの造りかけビルのある町ね」
「はい」
返事をして、ミチカは語る。
「あのビルは、わたしが生まれる前からつくり始めたそうなんです。でも、わたしが生まれた日に、つくるのを完全にやめてしまいました」
「うん、そんな話だったねえ」アップルは、ふわりと聞いていた情報をなぞりながら口を開く。「つくりかけビルが、あなたの家から見えるって」
「はい、十七年間、わたしの部屋の窓から見えています」
仮想空間のベンチに座りながら、まるで、そこにビルが建っているかのように、顔をあげる。とうぜん、視線の先には、つくられた青い空があるだけだった。
「ビルは、わたしが小さい頃から町にありました。町で一番高い建物で、わたしの部屋からも、町のどこにても見えます。あの町の中では、どこにいても、つくりかけのまま時間の止ったビルが見えるんです。てっぺんの方はギザギザなんです。とくに、朝と夕方とかだと、てっぺんの方は、大きな怪物が齧ったみたいに見えます」
そこまで話し、息継ぎをした。
「町にずっと在り続けているんです。学校に行くときにも見えて、学校の帰りにも見えて、友だちの家からも見えます。駅のホームからも見えます。電車にのって、町から離れて行く間も見える。電車で町へ戻っていくときは、どんどん近づいて来る感じるで見えます」
「嫌いなの、あのビルね」
ミチカは何か反射的に言いかけた。
だが、一度、飲み込んで続けた。
「時々、あのビルでは、ひどい事件も起こるんです。ひどい事件が。そういうことが起こるたびに。どうしても思ってしまうんです、もしも、あのビルがこの町になければ、あんな事件は起こらなかったのかな、って。わたしだけじゃなく、みんな言っていました。あのビルがこの町によくないものを引き寄せるんだって。町に悲しいことを起こさせるんだって」
「わかる気がする」アップルはそういった。
「わたしが生まれた日から、あのビルはつくるのをやめてしまって、それでも、ずっと町にはあります。どんな青く晴れた空の日でも、わたしの生きている場所からはあのビルが見えました。目に入ります。あの、怪物に齧れたみたいな、その、塔みたいなビルが」
「それはイラつく」アップルはそういった。「で、つらそうなあなたを見て、弟くんはビル破壊という蛮行計画実施に至る、それが今夜」
「その、なんといいますか………」
「お姉さんが嫌いなビルを、爆破しようって趣向か。パンチ効いてんねえ、弟くんは。ヒトロくん、だっけ? ヒトロ氏」
そういったアップルは呼びかける。
「へい、三世。いまの、きいてたでしょ」
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