第2話 私のことを知らない人は、わざわざこれを読まないでほしい。

「私のことを知らない人は、わざわざこれを読まないでほしい。 」


予想通り、著者は新高昭房の大ファンで、その数々の舞台化も手がけている。

1983年初版『五島について』これは、新高昭房が自分の死生観、生家のある後藤村の因習や、秘祭「ひょうや突」について、一族と隆盛と没落を描いた奇妙な私小説である。


今すぐ読むのもいいが、読者のコメントや意見も読んでほしい。

日本におけるエンターテインメント産業の現状をかなり正確に見ているとは思う。


しかし、業界の現状を語っていないとも思う。

例えば、現在の日本の経済的な問題は、確かにエンターテインメント産業のせいではない。

日本のエンタテインメント産業は非常に奇妙な獣なのだ。

ある種の均衡やパワーバランスを持っているように見えるが、結局は野獣なのだ。


経済を安定させたければ、安定した形状を保てるエンターテインメント産業が必要だ。

しかし、そうではない。


結局、エンターテインメント産業はバランスを保つことができない獣なのだ。

業界のトップにいる人たちには、まったくと言っていいほど力がない。

それは彼らが大きすぎて足元を見られない哀れな生き物だからに他ならない。


この獣には底辺も存在する。 これが問題なのだ。 かつてはエンターテインメント業界の底辺にいる人々が社会を動かしていたのだ。


結局、現在のエンターテインメント産業は利益を得るためだけに存在する獣なのだ。

しかも頭と足は分断されて血はもはやめぐっていない。

組織ではないのでトップダウンもボトムアップもなく両方の極地の情報の共有はされない。


そのような考え方は傲慢さの表れかもしれない。


しかし私は外の人々が業界内部のボトムである自分たちを低く評価していることへの失望を乗り越えられなかった。

少なくとも新規参入するであろう若い世代はボトムからスタートする。


外の人たちは、毎日同じようなことが起こっているにもかかわらず、それを理解していない。いつでもエンターテイメントが存在し息をし続けると思い込んでいる。

理解できていないのだ。


今ここで言っておくが、これは私だけの話ではない。

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