第2話:病院にて

 誰かの声が聞こえる。知らない人が僕のことを話しているらしい。朦朧とする意識の中、僕はその言葉を聞く。


「しばらくは安静にしていないといけないわね。まったく…どれだけやられてるんだか…」


 その声に僕の意識は覚醒する。そこは知らない天井だった。


「あら、起きたのね」


 急に声をかけられたことに僕は驚き、声の主を探す。


「そんな驚かなくてもいいわよ。私は那須辺。ここは病院よ。先生が来た時にはあなたの意識がなかったから救急車でここに運ばれてきたの」


 病院  救急車


 聞きなれない二つの単語を聞き、僕はなぜこんな場所にいるのかと疑問に思う。


「混乱しちゃったよね。ゆっくりでいいから思い出してごらん?」


 那須辺という看護師に言われるまま、僕は今日の出来事を思い出す。


 いつもと違うものを持って登校したこと…あれは確か…漫画だったはずだ。


 あれ?なんで漫画なんて学校に持ってきたんだっけ?いつもなら持っていかないのに…


 その前の日に……誰かに話しかけられて…


 田窪‼︎あいつだ。あいつに僕は脅されて知りもしない漫画を買わされ、それを持って来させられたのだ。


 全てがつながった。


 そのあと僕は田窪に蹴られ、殴られているうちに、意識を失ってしまった。


「思い出せたようかしら。今学校に連絡をしたから、もう少ししたら先生が来てくれるわよ。保護者の方とはまだ連絡が取れてないんだけど…」


 僕の両親は、夜遅くまで仕事をしていて、この時間帯に家にいることなどほとんどない。


 それでも長期休日になると家族全員で旅行に行くことができていた。


「多分…仕事で忙しいんだと思います。いつも帰りが遅いから……」


 聞いてはいけないことを聞いてしまったと彼女は謝ると、


「じゃあ、ご両親が働いている場所ってどこかわかるかな?ほら、家に帰った時にいるはずの君がいないと、すっごく心配すると思うの。だから、先に連絡をしてあげたいの」


 本当に、僕のことを心配してくれるのだろうか。僕の中に一つの疑問が生まれる。


 いつも僕が寝た後に帰ってきて、僕が起きる前にはもう家を出ている親が、僕のことを心配してくれるんだろうか。


「僕のこと…心配してくれるんでしょうか…」


 確かに、休日に遊ぶ時はとても楽しい。


 けどそれは僕が楽しいのであって、父さんや母さんが楽しんでいくれているのかというと、僕はそれを確証を持ってはいとは言えない。


「自分の子が大怪我して病院に運ばれたって言ったら、親はみんな心配するものよ」


 那須辺さんは優しく声をかけてくれるが、僕は不安で仕方がない。


「でも、迷惑じゃないかな?お仕事をしているのに、それを邪魔しちゃうみたいで…」


 僕がこのまま弱音を吐き続けてしまうと思ったのか、那須辺さんは僕の顔を両手で挟んだ。


「そんなこと、あなたが考えるんじゃありません‼︎そんなに不安なら、試してみればいいじゃないの」


 訴えかけるように迫る彼女に、僕は目が離せなくなってしまう。


「わ、分かったよ…鷺市にある黒蜜っていう会社で働いてるよ……」


 どうせ無駄なのに…


 僕のために来てくれるなんてことはないのに…


「分かったわ。じゃあ、私の方から話をしてみるわね」


 僕が白状すると、那須辺さんはパッと笑顔になり、病室を後にした。


「はぁ…くるはずないのに……」


 僕は不貞腐れたようにベッドに寝転がり、目を瞑った。


「新平‼︎」


 懐かしい声が、僕を呼んでいた。


 僕は目を開け、そしてその声の主に抱きついた。


「父さんっ‼︎父さんっ‼︎」


 父さんは僕をそっと抱きしめる。


「心配したんだぞ。よかった…本当によかった……」


 僕は父さんの体に顔を埋め、しばらくそのままでいた。


「新平‼︎」


 ドアを乱暴に開け、入ってくる女性。母だ。


 僕は埋めていた顔をひょっこりと出し、母さんを見る。


 母さんは涙ぐんでおり、その隣には那須辺さんもいた。


「母さん…」


 僕は涙が止まらなくなった。


 正直なところ、僕の存在なんてどうでもいいと思われてると思っていた。


 僕なんかより、仕事を優先するに決まっていると。


 だからこそ僕のために、病院まで来てくれたことがたまらなく嬉しかったのだ。


 母も僕のいるベッドまで来て、僕を抱きしめる。


「ごめんなさいっ‼︎僕、2人に迷惑かけちゃったよね…お仕事もあっただろうに…」


 来てくれたことはとても嬉しかった。そこは変わっていない。


 ただ、僕のところに来たら、仕事をすることができない。


 僕は迷惑な人間だ。


「そんなことないわ‼︎新平のためなら、全然そんなことないんだから」


 僕の言葉に真っ先に待ったをかけたのは、母だった。


 母さんは必死に首を振りながら訴えかけてくる。


 父さんもその言葉に賛同するように、僕に訴えかける。


「そんなこと、俺たちが言ったことあるか?新平。お前のことがどうでもいいだなんて。俺たちはな、ずっとお前を思ってるよ。今までも、これからも」


 僕はもう耐えきれなかった。


 何も喋ることができない。


 こんなに僕を思ってくれていたのに、僕は勝手に諦めていた。


 この温もりが僕にくることはないのだと。


 けれど今、そんなことを考えていた自分がバカらしく見えてきている。


 僕のことを心配してくれ、僕を抱きしめてくれる父と母がいる。


 一体いつまで、そうしていただろう。


「すみません。そろそろ診断の時間があるので…」


 那須辺さんが僕達に声をかけてきた。


「そうですか。では、新平をよろしくお願いします」


 父はそう言って、病室をさっていく。


「新平。すぐ良くなるからね」


 母もそれに続くように、病室を去った。


「あ、ご両親にお話をするべきことがあるんだった。少しお時間をいただけますか?」


 那須辺さんは2人を追いかけて、走り去っていった。


「新平君は、3日程度で、退院できますので」


 そんな声がドアの外から聞こえてくる。


 3日。そんなに学校を休むのか……


 僕の脳裏に、朧木先生と、クラスメイトの顔が思い浮かんだ。


 次会った時どうやって話そうかな。


 救急車で運ばれたのだから、多分その場はとても気まずい雰囲気が流れてたであろうことが予想できる。


 やぁみんな、元気だった?


 こんな登場の仕方でいいんだろうか。


 少し気恥ずかしいけれど……


 心配かけちゃってごめんね。


 これは絶対に言おうと心に決める。


 あとは………


「新平くん。先生が来てくれたわよ」


 那須辺さんの声に、僕は考えることを一旦やめ、先生を見る。


 案外若い人なんだな。


 年は30代前半の男性といったところだろうか。


 すらっとしていて、とてもスタイルがいい。


「新平くんだね。怪我の治り具合を見させてもらうよ」


 そういって僕の腹部や腕を観察する。


 僕はあまり自分で見ようとはしていなかったため、全身が青黒くなっているこのに初めて気づく。


「こんなことになっていたのか」


 僕は今更ながら、そんな感想をこぼした。


「全体として、内出血と打撲以外の怪我はないよ。だから、すぐに退院できるだろう」


 先生は僕に微笑むと、「次の検診がありますので」と言って、次の部屋へと向かった。


 今僕の病室には、僕と那須辺さんの2人だけになった。


「よかったわね。ご両親に来てもらえて。ね?やる前から諦めてちゃダメだったでしょ?どんなに怖くて恐ろしくても、まずは一度、試してみたらいいじゃない。そうしたら自分の気持ちに一区切りができて、次に行けるわよ」


 そういう那須辺さんは、どこか懐かしむような、遠い目をしていた。


 僕は黙って頷く。


「矛盾しているようだけど、本当に逃げなくちゃいけない時は、必ずある。その時は、迷わずに逃げなさい。君のその怪我も、逃げるときよ」


 僕は再び頷く。なぜか僕は、彼女に逆らえない。彼女の言葉が、全て正しいように聞こえてしまう。


「その判断ってどうすればいいんですか?」


 多分僕には、逃げなくちゃいけない時と逃げてはならない時の区別を、瞬時につけることは難しいだろう。


 だからこそ、それを知っておきたい。でないと、僕は全てから逃げることになってしまう。


 全てが怖くて、全てが恐ろしい。


 そんな中で誰を信じ、誰と関わらないほうがいいのか。


 命の問題なのか。はたまたそれを知ってしまった時のリスクか。


 那須辺さんは、優しく包み込むように言った。


「そうね。この基準は、自分で決めないといけないものなの。リスクと思ったものを全て避ける人もいれば、リスクよりもその向こうに見えてる何かを追い求める人もいる。だから、私からはその基準を提案することはできないわ」


 僕は目に見えたように残念がった。


 なんて意地悪なんだろう。先に話をしてきたのは那須辺さんじゃないか。


 その僕の残念さを埋めるように、彼女は告げる。


「ただ、基準を決めるお手伝いくらいなら、私にもできるわ。まず、新平君が一番されて嫌なことって何?」


 僕はなんだろうと首を傾げる。


 家にある人形を壊されること?

 友達に暴力を振るわれること?

 友達にパシリをされること?


 いや、違う。


 僕がされて嫌なことは……


「友達と思ってる人に裏切られること。これだけは誰にもされたくないな……」


 一度でも僕は、田窪に信頼を置いたわけでもないが、それでも、裏切られたと思った。


 僕は昔、友達だと思っていた人に、下校中、田んぼに突き落とされたことがある。


 その日は、泣きながら家に帰り、汚れた服を洗った。


 その時の友達と、田窪を、僕の無意識のうちに、つなげていたのかもしれない。


「そっか。じゃあそこから、されてもギリギリ許すことのできることを考えてみよう」


 那須辺さんの言葉に従い、僕はまた考え込む。


「許せること……か。本を汚されることかな。汚されたとしても、文字は読めるから」


 それに最悪の場合、読めなくなっていても、その内容を僕は記憶で補える。


「随分の幅が広そうだね。そうだなぁ、じゃあいくつか質問させてちょうだい。まずひとつ目、新平君が、知らない人に突然ぶつかられた時。あなたはそれを許せる?」


 知らない人…あえて那須辺さんがそう言ったのは、僕がさっき友達に裏切られるのは絶対に許せないと言ったからだろう。


「多分僕は許すと思う。もちろん状況にもよるけれど、その人が急いでいたのかもしれないし、逆に僕が切羽詰まっていたのかもしれない。どちらにしても、僕はその人を許すと思うよ」


 それが故意的にやっていたとしても、僕はその理由を聞きたいと思うだろう。


 あえて反発するようなことはしないはずだ。


「そっか。じゃあ二つ目の質問。君の友達が、いじめを受けていたとします。その時新平君がそばにいたら、どうする?」


 いつもいじめを受けていたのは僕だった。


 今はまだ落ち着いているが、小学校に入ったばかりの時なんてひどかった。


 そんな時に優しく声をかけてくれた人もいたが、今度はいじめの対象がその人に変わってしまい、辛い思いをさせてしまった。


「多分、逃げ出したいと思う。僕まで巻き込まれるなんて、耐えられないもの」


 その答えに、那須辺さんは少なからず驚いたようだった。


「じゃあ、その時その友達はどう思うと思う?それこそ、新平君が一番されたくないことなんじゃないのかな?」


 それはどうなんだろう、と僕の中で疑問が生まれる。


 だって、僕はもういじめられたくはない。


 あの時みたいなことはもう二度とごめんだ。


「僕は…僕は、もう二度とあの時みたいな思いはしたくない。中学にもなって、また同じことを繰り返したくない」


 みていることしかできずに、友達を見過ごせるだろうか、という僕の疑問が、顔に出ていたようだ。


「そこで助けてあげることができれば、多分、友達との仲がより深いものになっていくと思うわよ。ほら、さっきも言ったでしょ?」


「「まずは一度試してみる」」


 僕たちは見事なまでにハモった。


 そして、二人してふふっと笑った。


「ちょっと意地悪だったかしら。ただ、新平くんの言葉に迷いを感じてしまったの。迷うくらいなら、まずは挑戦させたいのが私なのよ。ごめんなさいね」


「いえ。僕の方こそ、ありがとうございました。お陰で、僕の在り方っていうのを、見つけられた気がします」


「そうね。なら良かったわ。じゃあまずはその怪我、治さなくちゃね。怪我をしてちゃ、挑戦もできないもの」


 そう言って微笑んだ那須辺さんは、


「じゃあ、時間も遅くなっちゃったし、今日はもうおやすみなさい」


 と言って、ドアを開けて出ていった。


 僕も、おやすみなさいと言ってから、温かいベットの中で眠りについた。

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