15 来客

 焼きたてのハーブ入りクッキーを口に入れたディランは、「うまいな」とポツリともらす。談話室のソファーに座るロレッタとディランに、エルトンがハーブのお茶を入れてくれる。それも、先ほどロレッタとエルトンが採取したものだ。

「お婆さまの作ってくれたクッキーと同じ味……エルトンさんが手伝ってくれたおかげです!」 

 ロレッタもクッキーを食べて、エルトンを見る。エルトンはカップをテーブルにおいて、「光栄です」と素っ気なく答えただけだったが、その口もとはほんの少し緩んでいて嬉しそうにも見えた。

「お婆さま……というと、魔女だったと君が話していた?」

 エルトンが渡したカップを受け取って口に運びながら、ディランが尋ねる。

「ええ……本当に魔女だったわけではないと思いますけど……そう呼ばれていたんです。魔女みたいな生活をしていたから……雰囲気もそう見えたのかもしれません」

 覚えている祖母の姿は、絵本に出てくる魔女のようだった。ウェーブのかかっている長い髪や、ハーブや燻製が所狭しと並んでいるキッチン。小さな屋敷のソファーやベッドは、祖母が作っていたパッチワークのクッションや上掛けで飾られていた。

「猫もたくさん飼っていて、家中を走り回っているんです。ですから、お婆さまは一人で暮らしていたけれど、あまり寂しそうには見えませんでした……私、お婆さまの暮らしに憧れていたんです。会えるのは、夏の短い間だけだったんですけど……ずっと一緒に暮らしていたくて、いつも帰り際は泣いてしまっていました」


(私、きっと、お婆さまみたいな暮らしがしたかったのね……)

 カップのハーブディーの香りを嗅ぎながら、ロレッタは懐かしい記憶を思い出して微笑む。華やかな貴族の生活ではなく、田舎の落ち着いていて静かな暮らし。それが自分にも、性に合っているだろうと思えた。

「素敵なお婆さまだったみたいだね。君と似ているのかな?」

「そうだと思います。でも、私のお父様はお婆さまがあまり好きではなかったみたいです……お父様は貴族らしい貴族で、現実主義的な頑固な人ですから……お婆さまの暮らしや、やっていることはあまり理解したくなかったのでそうね」

 祖母はハーブを育てる以外にも、占いなども行っていた。まじないをかけてほしいと近所の人に頼まれたりすることもあったようだ。誰かに危害を加えるような悪い術ではなく、子どもが無事に生まれるようにとか、作物がよくなりますようにとか、そんな種類の願いだ。父にとっては効果などない、気休めに思えたのだろう。詐欺師紛いのことをするなと、よく祖母に腹を立てていた。

「だから、私は……魔法や魔術を勉強したくなったのかも……」

 ロレッタはポツリと呟いてから、ディランを見る。彼の目は相変わらず優しくロレッタに向けられている。

「そう?」

「ええ……正しさを証明したかった……とは言いません。ただ、お婆さまのやっていらしたことを、もっと知りたかったんだわ」

 色々と教わる前に、祖母は亡くなってしまったから。その屋敷も、今は廃墟になって人手に渡ったと聞いている。父は祖母の死後、その屋敷と土地を誰かに売ってしまったようだから。きっと、見たくなかったのだろう――。

「人が知ることなどわずかだよ……だが、愚かな者は自身の知識の中でのみ、世界の理の全てを理解しようとする……それは怖れだ」

 頬杖をついたディランは脚を組みながら、カップを見つめて呟く。

(怖れ……)

 父も、祖母が怖かったのだろうか。考え込んで黙っていると、玄関のベルが来客を告げた。エルトンはポットを置くと、「失礼します」と談話室を出ていく。


「うちに客人とは……珍しいな。君の知り合いじゃないか?」

 ディランに聞かれて、「えっ」と驚く。この屋敷にいることを知っている者など、限られている。親友のクララにも簡単に事情を話したものの、屋敷の場所までは明かしていない。ここはディランの隠れ家のような屋敷だ。それをあまり人に言わない方がいいと思ったからだ。

 しばらくして戻ってきたエルトンは、「ロレッタ様、お屋敷からお使いの方が……」と困惑気味に視線を向けてきた。


 玄関に向かうと、扉のそばで待っていたのは男爵家のメイドのアンナだった。

「アンナ! どうしたの? 屋敷で何かあった?」

「エリントン家のお屋敷からお手紙が届いております。それと……私もしばらくこのお屋敷で、お嬢様のお世話をすることにしたしました。旦那様にも、奥様にも許しをいただいております」

 そう言うと、アンナは両手に持っていた重そうなトランクを床に下ろす。談話室から出てきたエルトンが、眉を潜めていた。

「でも、あの……私なら、大丈夫よ。不自由はしていないし……。あなたは、お屋敷の仕事があるでしょう?」

「それなら、他の者に任せておきました。このお屋敷には、メイドが一人もいないようですね。お着替えを手伝う者もいないのでは、不自由でしょう」

「着替えくらいなら、一人でできるわ。髪だってちゃんと整えられるし……」

 といっても、手の込んだ髪型にはできないから、三つ編みをする程度だ。

「いくら婚約者の方のお屋敷とはいえ、メイドもつけず長く滞在するなど、人に知られれば醜聞が広まってしまいます」

 アンナはそばにやってきたエルトンにスッと鋭い目を向けて、「よろしいですね?」と尋ねる。エルトンは威圧的な目でアンナを睨み返していた。

「この屋敷の主であるディラン様の意向を無視するような振る舞いをされては困ります」

「お許しがいただけないようでしたら、私は門の外で寝起きしてもかまいませんわ」

 一歩も譲らないとばかりに、アンナは胸を張ってエルトンを見上げる。二人の間に火花でも散っているように見えて、ロレッタはオロオロする。

「アンナ……気持ちはありがたいのだけど……やっぱり、ここは帰った方がいいと思うの。私もそれほど長くここにいるわけではないと思うし……」


 それに、アンナを連れてこなかったのは、自分と一緒にいれば彼女に危害が及ぶかもしれないと思ったからだ。悪魔の呪いは、今のところロレッタに向けられたものだが、研究室の時のように巻き添えに合って怪我をするかもしれない。

「門の外で寝起きされるのは自由ですが、野犬に襲われても、当家は一切責任を負いませんがよろしいでしょうか?」

「ええ、もちろん。そのようなご心配は無用です!」

 エルトンとアンナはお互いに一歩近付いて、険悪な雰囲気で向き合っていた。

 困っていると、談話室からディランが出てくる。会話はすっかり聞こえていたらしい。

「いいじゃないか。確かに、ロレッタにメイドがいないのは不便だろう。気が利かなくて大変申し訳なかった」

 ニコッと笑ったディランを、アンナは胡散臭そうに見る。けれど、一応この屋敷の主人である彼には最低限の敬意を払うことにしたらしい。


「失礼いたしました。ご挨拶が遅れました。私、お嬢様のメイドをしておりますアンナと申します。男爵のお言いつけで、お嬢様のお世話をするためにこの屋敷でしばらくご厄介になります。部屋は屋根裏でも地下室でもどこでもかまいません」

「アンナってば!」

「エルトン。ロレッタ嬢の寝室の隣に部屋空いていたね。そこを整えておいてくれ。あと、彼女を部屋に案内してさしあげろ。その荷物もな」

 ディランに指示されたエルトンは、「かしこまりました」と不服そうにしながらも頭を下げていた。

「荷物は自分で運びます。部屋に案内していただくだけでけっこうです」

 アンナは素っ気なく答えると、両手で鞄を持ち直していた。エルトンがアンナを伴って階段を上がっていくのを見送ってから、ロレッタはディランのほうを向く。

「ありがとうございます、ディラン。ですが……大丈夫なのでしょうか……少し、心配で」

「この屋敷の中では問題ないさ。それにしても……あのエルトンを相手に少しも怯まないなんて、君のメイドはなかなか面白い人だね」

 顎に手をやったディランはそう言ってニコッと微笑んでいた。



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