14 ハーブ園
午後、温かい日差しに誘われて庭に出てみると、エルトンがエプロンを身につけ、ハーブの世話をしていた。
「エルトンさん。このお庭はエルトンさんがお世話を?」
歩み寄って声をかけると、園芸用の小さいシャベルを持ったエルトンが振り返る。
「すみません、お茶の時間になっていますね。すぐに用意いたします」
エルトンは手袋を外して、立ち上がろうとする。
ロレッタは「ああ、それはいいの」と、慌てて止めた。確かに、そろそろお茶の時間になるが、催促するために来たわけではない。
「喉は渇いていないもの」
「ディラン様はお部屋に?」
「ええ、たぶん図書室じゃないかしら?」
ディランは猫みたいだ。この屋敷で一番涼しい場所を心得ていて、時間事に移動しているように思える。だから、彼を探すのはそう難しくはなかった。
きっと、今頃本を目隠し替わりにして、ソファーで昼寝の時間を楽しんでいるだろう。
エルトンは少し考えてから、浮かせた膝を芝生に落としていた。
その隣に並んだロレッタは身をかがめる。ラベンダーに、ローズマリーなどが元気に茂っていて、いい香りを漂わせている。
「このハーブで香水を作ったら、素敵な匂いがしそう」
「香水、ですか……それは考えてもみませんでした。後で試してみましょう」
「それなら、私にも手伝わせてください。香水作りは得意なんです」
エルトンは「お嬢様がですか?」と、少し驚いた表情で尋ねてきた。
屋敷ではメイドがやっていると思ってるのだろう。確かに普通はそうだ。ロレッタも屋敷ではあまり厨房には入らない。使用人たちがいい顔をしないのを知っているからだ。
「昔、お婆さまに教わったの。屋敷ではあまり作らないのだけど……久しぶりに作ってみたくなったわ。作り方は忘れていないと思うのよ」
忘れていたとしても、この屋敷の豊富な蔵書の中には香水の作り方の本も一冊くらいあるかもしれない。
「ラベンダー水はとてもいい匂いがするの。エルトンさんは、いつもこのハーブをどうやって使っているの? 育てているだけ?」
ハーブは育てているだけで、虫避けになる。
それに、乾燥させたものを、寝所や衣装ダンス、キッチンに置いたりもする。
「……料理やお菓子に使用することはありますね」
「そういえば、昨日のお夕飯のお魚料理にもハーブが使ってあったわ。すごくおいしかったの」
「ありがとうございます」
エルトンさんはそう言うと、また黙々と作業を続ける。
雑草を抜いたり、害虫を取り除いたりする地道な作業だ。ロレッタは「私も手伝うわ」と、横で草抜きをする。
「手が汚れてしまいます」
エルトンさんがパッとロレッタの手首をつかむ。
「あら、平気よ。後で洗うもの。それに、草抜きは好きなのよ。お婆さまのお手伝いをしていたから」
「それでは、せめてこれを……」
エルトンはポケットから汚れていない綺麗な予備の手袋を出してきて、差し出してきた。これを使わないと手伝わせないぞと言うような眼力でジッと見つめてくる。
ロレッタは「わかったわ、ありがとう。使わせてもらいます」と、お礼を言って受け取り、手にはめる。男性ものだから少し大きい。
草を抜いていると、葉っぱにテントウムシが止まっているのを見つけた。
クスッと笑って葉っぱを揺らしてみると、すぐにどこかに飛んでいく。
(懐かしい……お婆さまのお庭によく似ているわ)
祖母の住んでいた小さな屋敷の庭も、ハーブや薔薇がいっぱいに植えられていて、祖母と一緒に散策したり、庭作業をしたり、お昼にはバスケットに入れられているランチを食べるのが楽しみだった。
「お婆さまは、お庭作りが趣味だったの……それに、ハーブにも詳しくて、薬草にしていたわ。近所の人たちも、お婆さまの作っている薬草はよく効くと、よくもらいにきていたのよ。腰痛や、切り傷や、頭痛なんかも治るって……だから、お婆さまの屋敷には瓶詰めの薬草がたくさん並んでいたわ。いい匂いがしていたの。私、その匂いが好きで……お婆さまの屋敷にずっといたいって、駄々をこねたりもしたわね」
黙々と仕事をしているエルトンの横で、独り言のように話す。
エルトンが寡黙だからか、ついロレッタのほうが口数が多くなっていた。それに話したくなったのは、このお庭が祖母の庭に似ていたからだろう。
「ごめんなさい。私ばかり、話しているわね……少し黙った方がいいかしら?」
「……いいえ……気になりません」
「じゃあ、もう少し話を聞いてもらってもいい? エルトンさん相手だと、私、話しやすい気がするの……」
エルトンの顔を見て、ロレッタは微笑む。エルトンは「そうですか……」と、首に提げたタオルで汗を拭ってから下を向いていた。
(照れくさそうな顔……かな?)
表情からでは、考えていることがよくわからない。迷惑そうな表情ではなかった。
「ハーブのお茶もよくいれてくれたのよ。お菓子にもたくさん使ってあって……おいしかったな。お婆さまの作ってくれたハーブ入りのクッキー」
「それなら……作れるかもしれません。同じ味になるかどうかはわかりませんが」
「本当? それなら、私にも手伝わせて。私、作り方をたぶん、覚えていると思うの」
「では、今日のお茶のお菓子は、クッキーにいたしましょう。必要なハーブはここにあるものを使ってもらってかまいません。ですが、どのハーブが必要なのか、私にはわかりかねますので、ご教授いただけますか?」
「もちろんよ! ええっと、ローズマリーが入っているものと……あっ、レモングラスもあるのね。これもお婆さまはクッキーにいれていたわ。お茶にしてもおいしいの」
エルトンからカゴを受け取り、庭園の中を歩いてハーブを採取する。
「なんだか、二人だけで楽しそうだね……」
少し不満そうな声が聞こえて、ロレッタとエルトンは振り返る。
一階の談話室のベランダに、ディランが出てきていた。
「図書室にいたのではなかったんですか?」
談話室を覗いた時には彼の姿はなかった。
「いたよ。庭から楽しそうな話し声が聞こえるまではね」
彼は寝癖のついている前髪を上げて答える。
(どうしてかしら。不機嫌に見えるけど……)
ロレッタはエルトンと顔を見合わせる。
「エルトンさんにお庭を案内していただいていたんです。これから、ハーブのクッキーを作るつもりなのですけど……後で、一緒にお茶をしませんか?」
ニコッと作り笑いを浮かべて誘うと、ディランはベランダの手摺に肘をかけてよりかかりながら、「へぇ」とエルトンを見る。
「エルトン……君はいつの間に、ロレッタと一緒にクッキー作りをするほど親しくなったんだ?」
「申し訳ありません。やはりクッキー作りは私一人で行うほうが適切のようです」
エルトンはロレッタの方を向くと、お辞儀をして丁寧な口調で言った。
ロレッタは目を丸くして、ディランとエルトンを見る。
「いいえっ、私も楽しみにしていたんですから、手伝わせてください!」
「ですが……客人に手伝っていただくわけには参りません」
「あら、私は客人ではありません! 何もかも、していただくわけにはいきませんわ」
「確かにそれもそうだ。君は婚約者で、いずれ私たちの家族になる人だからね」
ニッコリ微笑んだディランに、ロレッタは赤くなって「違います!」と突っぱねるように答えた。
「そういうことを申しているのではありません。私はただ……ご厄介になっているだけだということが言いたかったのです」
「わかっているよ。今のところ、私の一方的な片想いだということくらいはね。仕方ない。私もクッキー作りに加わりたいとおころだけど、エルトンに邪魔扱いされそうだ。大人しく、図書室で本を読みながら、君たちがお茶に招待してくれるのを待っているとしよう。それくらいは期待してもいいだろう?」
「それはもちろんです! 最初からそのつもりだったんですから……」
ディランの笑顔は魅力的で、見つめられるとドキドキしてくる。
公爵家の子息という社会的地位やその財産がなくても、彼ならばきっと多くの女性を虜にするだろう。
(悪魔というのは、みんな、魅惑的なものなのかしら……)
昔から、乙女を夜な夜な誘い出しては誘惑する姿が書物にも書かれている。
視線を逸らしていたロレッタは視線を感じてもう一度、彼を見る。
目が合うと、彼は心の中を見透かしたように楽しそうに笑っていた。ロレッタはパッと顔を逸らす。
「エルトンさん、それでは行きましょう。ハーブはもう十分採取しましたから」
ロレッタはハーブの入ったカゴを提げて、急ぎ足で屋敷の裏口に向かう。
エルトンは「はい」と返事をして、その後をついてきた。そんな二人を、ディランは目を細めてベランダで見送っていた。
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