12 魔女

 大学を出ると、門のあたりが騒がしかった。

(どうしたんだろう……?)

 表の通りに馬車が止まっているのが見える。集まっている女の子たちを避けて門の外に出たロレッタは、そこで待っていた人を見て驚き、「ディラン!」と思わず名前を呼んでしまった。棘のある視線を向けてきた女の子たちが、「まあ、アスター卿のことを名前で呼んでいるの!?」と小声で話しているのが聞こえてくる。


「やあ、ロレッタ。君がそろそろ出てくるところだと思ってね。迎えに来たんだ」

 ニコッと笑ったディランが、手を上げてそばにやってくる。

(迎えにって……ご自分の立場が分かっているの!?)

 これでは、大学中の噂になってしまうだろう。

「困ります。私は一人でも……」

「そうはいかないだろう。怪我をしたのか?」

 ディランはすぐに気づいて、包帯を巻いているロレッタの手を取った。

 みんなの見ている前で手を握り締められて、顔が真っ赤になってしまう。

「あのとにかく……お話は後で!」

 焦っていうと、ディランは「それじゃあ、馬車に乗ってからにしよう」とロレッタの手を当然のように引いていく。ざわついた声と悲鳴が回りから上がっていた。これでは、しばらく大学も休んだほうがいいかもしれない。

 ギュッと目を瞑りながら、押し込まれるようにして馬車に乗り込む。


「迷惑だったかな?」 

 走り出した馬車の中で、ディランが少し申し訳なさそうな顔をしてきいてきた。 

 わざわざ迎えに来てくれたのに、迷惑とは言えないだろう。

「いいえ……ですが、もうちょっと目立たない方法の方が嬉しかったです」

 そう正直に答えると、ディランは「今度は気をつけよう」と笑っていた。

 少しも悪いとは思っていない顔だ。むしろ、楽しんでいるようにも見える。ため息を吐いて、膝の上に置いた手を握る。まだ少し指先が疼いていた。


「その手の怪我……いったいどうしたんだ?」

 そう尋ねられて、ロレッタは窓に向けていた顔を彼の方に戻した。

「ああ、これは……グレネル先生の研究室で割れた窓の破片を片付いていたんです」

「切ったのか……」

 ディランはロレッタの手を取ると、包帯を解いていく。「あっ、あの……っ!」と、ロレッタは慌てた声を上げる。血はもう止まっているはずだが、包帯が汚れている。切れて赤くなっている指先を見ると、ディランは眉間に皺を寄せていた。

「大した怪我ではないんです……ほんの少し切っただけですもの」

「やはり、大学は少しのあいだ、休んでもらうほうがいいかもしれないな」


「これは悪魔の刻印とは……」

「無関係だと思うかい?」

 そう問われて、言葉に詰まる。窓に映った黒い翼のような影のことが頭を過ったからだ。あれは、まるでガーゴイルのような姿だった――。


「なにか異変があったのか?」

「いいえ……そういうわけでは」

「ロレッタ。正直に話してくれないと、私としても対処しようがない」

 手を握り締めたまま見つめられて、ロレッタは迷うよう視線を下げる。

 普通の人に話したところで、信じてはもらえないだろう。だが、この人なら――聞いてくれる。

 ロレッタは研究室であったことを、馬車の中で話した。

 その間も、ディランはロレッタの手を離そうしないままだ。


「ふむ……黒い翼か……」

「それが、悪魔の正体でしょうか?」

「いや、ただの使い魔だろう。人が悪魔だと思い込んで書物に記録しているものは、たいてい使い魔だよ。悪魔はたいてい人の姿と変わらない」

「人と……」

 ディランのことを見ていると、彼が微笑む。ハッとして、すぐに手を離そうしたが、引き留めるように彼は指先を握ってきた。ズキッとした痛みが走り、「痛っ」と小さな声を漏らす。

 ディランは「後で、治療しないと」と、ロレットの傷を負った指を、自分の唇に運んだ。傷口についた血をペロッと舐められて、びっくりして声を失う。

「あの……ディラン!!」

 あわあわしながらようやく彼の名前を呼ぶと、ディランはクスッと笑っていた。


「ほら、痛くないだろう?」

 そう問われて、指を見れば確かに痛みがスッと消えていた。

 その上、傷の痕もさっきより薄くなっている。

「癒やしの……天使みたい」

 思わずそう言うと、ディランは一瞬沈黙した後で、おかしそうに笑い出した。

「私をそんなふうに言う人には初めて会った」

「傷がよくなるなんて、不思議な力だと思ったんです!」

 引っ込めた手をもう片方の手の中に包んで、赤くなりながらそう言った。

「それは光栄なことだね。褒め言葉と受け取っておこう」

 ディランは頬杖をつきながら、目を細める。

 彼に出会ってから、そのペースにのせられて、振り回されているような気がする。


「君の抱えているその本は?」

「ああ……これは、グレネル先生に借りた本なんです。私も少しは勉強しておこうと思って」

 ロレッタは抱えていた本に視線をやる。医務室で治療してもらっていると、グレネル先生がわざわざ本を持ってきてくれた。少し責任を感じていたようだ。

「ロバート・グレネル教授か……悪魔や魔法について研究しているんだったな」

「よくご存じですね」

「研究者の間では変わり者として知られているよ。それに彼の著書は読んだことがある。まあ、大半は妄想と想像の産物のような代物だったが……君が教わっているとは知らなかった」

「私も先生の授業には興味があったんです」

「魔法や魔術について興味が?」

「魔女について……少し知りたくて」

「魔女?」

「はい……祖母が……そう呼ばれていたから」

 ポロッと話すと、ディランは軽い驚きの表情を浮かべていた。


 祖母、システィーヌは魔女だった。 

 そう呼ばれていた人だった――。

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