8 骨董店
一週間ほど経った日の午後、ロレッタは一人で買い物にでかけていた。今日は講義もなく、クララは所属しているテニスサークルに顔を出すようだ。くじいた足も、ようやく痛まなくなり、歩くにも支障ははない。
大通りを抜けて、下り坂になっている細い脇道に入る。地図が示している場所は、この先のはずだ。腕を見れば、手首にあの模様の一部が覗いている。
腕の刻印をクララに見せた時、『なんともなっていないわよ?』と彼女は不思議そうな顔をしていた。
(クララには見えなかったみたい……私だけ、なのかしら?)
呪われた本人の目にしか映らないものなのだろうか。
今度講義の後で、グレネル先生に尋ねてみる必要があるのかもしれない。
ロレッタは不安な顔で袖を引っ張る。
悪魔に呪われた者は悲惨な末路を辿り、その魂も地獄に落ちて救われることはないと、グレネル先生が貸してくれた書物には記されていた。
(あの人に関わったから……?)
それとも、正体に気づいたからだろうか。本来なら、悪魔を召喚した者、あるいは何者が悪魔との契約を行い、呪いをかけた場合に現れるもののようだ。
(私、悪魔を召喚なんてしないのに)
ため息を吐いた時、古い小さな看板が目に入る。
青緑色の銅製の看板だ。『ハットン骨董店』と文字が刻まれている。
「グレネル先生が教えてくれたお店はここだわ……」
呟いてから、ロレッタはあたりを見回し、人が見ていないのを確かめてから扉を開いた。
店の中は埃臭い匂いがした。薄暗くて、棚には瓶や小箱がいくつも並んでいる。ショーケースの中にはさびかけた剣や斧なども並んでいた。所狭しと物が並んでいる。一言でいえば、不安になるような『うさんくささ』だ。丸眼鏡をかけた小柄な店主が出てきて、「ご用件は?」と尋ねる。
小娘がいったいこの店に何の用だと言うように不審そうな目だ。
得体の知れない生き物の標本などもあるような店だ。こちらとしてもあまり長居はしたくないが、他にあてもなかった。
ロレッタが大学で講師を務めているグレネル先生の紹介できたことを告げると、店主は「ああ、グレネル様の生徒さんでしたか」と急に態度を変えて親切に話をきいてくれた。どうやら先生はこの店のお得意様らしい。
表向きは骨董店だが、その実は魔術や魔法に関する道具を扱う店だ。だとすれば、ここで物を買う客など先生のような研究者か、物好きな収集家くらいだろう。
探しているものについて話すと、店主は少しばかり考え込んでから「少々お待ちを……」と、店の奥に引っ込んだ。時計の音を聞きながら静かな店内を眺めていると、店主が木箱を持って現れる。そして、カウンターの上で木箱の蓋を開き、中に入っているものを見せてくれた。
「こちらが、お客様のご要望に叶う品かと……」
木箱に並んでいるのは、銀の短剣だ。細いものもあれば、重そうなものもある。どれも、柄に彫刻がされていて、中には宝石がはめ込まれたものもあった。高価そうなものばかりである。
「こちらは、悪魔を祓う聖なる呪文が施されたもので、効果のほども保証されております。ですが……なぜ、このようなものをお探しで?」
「あっ、そ、それは……えーと……授業の参考資料に必要で」
本当は悪魔を追い払うためです、などと言えば、『おかしな客だな』と怪しまれてしまいそうだ。幸いにして、店主はロレッタの話を疑うことなく、「ああ、なるほど」と納得してくれたようだ。グレネル先生が魔法や魔術について授業で教えていることは知っているのだろう。
「でしたら、こちらなど軽くて手頃なお値段ですよ」
店主が勧めてくれたのは、小ぶりな短剣だ。確かに持たせてもらうと、それほど重くもない。華美な装飾もついていないから、実用向きではあるのだろう。これなら、バッグに忍ばせておけそうだし、手持ちのお金で買える。
「これにしようかな……」
剣を見ながら呟いた時、「それでは少し、頼りなくはないかな?」と声がした。
驚いて思わず剣を持ったまま振り返ると、「おっと、危ない」と覗き込んでいた彼がロレッタの手をつかんで避ける。もう少しで、頬に当たるところだった。
ロレッタはハッとして、「ご、ごめんなさい」と短剣を引っ込た。
「でも……どうしてここに!?」
ドアが開く音も聞こえなかった。ディラン・アスターは当然のように隣に立ち、カウンターに置かれている木箱を「ふむ」と眺めている。
「君がこちらに歩いていくのが見えたんだ。どこに向かうんだろうと思って……後をつけてきた」
ディランはロレッタのほうを向くと、イタズラっぽい魅力的な笑みを浮かべる。
猫のように瞳が輝いていた。そんな表情にドキッとしない女の子など、そういないだろう。ロレッタは焦って前を向き、木箱に短剣を戻す。
「あなたが……そんなにお暇な方だとは知りませんでした」
「婚約者のことを常に考えてしまうのは、自然なことだろう?」
彼はルビーのついた短剣を手に取ってみながら言う。「私はまだ婚約をお、お受けしていませんよ!」と、ロレッタは赤くなって焦って言った。
メガネをかけた店主は目を白黒させながら、二人の会話を聞いている。
「断られるとは、考えていないんだけどね。それはそうと……短剣だと、相手の不意をつくことはできるけど、懐に飛び込まなければ剣は届かないよ。それには俊敏性が要求されるから、君向きではないな」
「それは……つまり、私が鈍くさいとおっしゃりたいのですか?」
ロレッタは恥ずかしくなって声を小さくする。だが、ディランの言う通り、俊敏性には自信がなく、動きはおっとりして遅いほうだ。護身術だって習っていない。フェンシングの授業はあるけれど、選択制で必須単位というわけではなかった。
クララは授業を受けているが、ロレッタは受けていない。そんな自分がいきなり短剣を扱えるとは確かに思えない。そもそも、これは持っているだけで、多少は不安からも逃れられると考えてのことだった。使う機会など訪れないほうがいい。
「いいや。だが、いきなりの攻撃にこれで対処するのは、訓練を受けたものでも難しいという話だよ」
そう言いながら、ディランは慣れた手つきで短剣をクルッと回してみている。
「それよりは……店主、銃はあるかな? できれば女性が扱いやすそうな」
彼に言われて「は、はい、少々お待ちを」と、店主は急いで店の奥に入っていった。「銃!」と、ロレッタは驚いてディランを見る。店主はすぐにケースをいくつか運んできて、カウンターに並べた。それらの蓋を開くと銀の短銃が入っているが、どれも高価そうだ。
「こちらのものなどいかがでございましょう。ただ……かなりお値段が張るものになりますが」
「ああ、かまわないよ。私が彼女にプレゼントするからね」
ディランは銃を取ると、弾をこめる。
ロレッタはギョッとして、慌ててその腕をつかんだ。
「プレゼントなどしてもらうわけにはいきません! それに、私は銃の扱いなどわかりませんし……短剣で十分です!」
ディランは銃口を床に向けて構えていたが、「そう?」とロレッタの顔を見る。構える姿も様になっているところを見ると、銃の扱いにも慣れているのだろう。
「銃の扱いなら、私がいくらでも教えられる。それに、短剣よりこれのほうが、遠距離からでも狙えるし、殺傷力も高い。短剣で相手の急所を……例えば、そうだな。心臓のあたりを狙おうと思ったところで、腕の力がなければ深くは刺さらないよ。まあ……本気でアレを相手にしようと思ったら、こんな武器ではとうてい無理だろうけれどね」
そう言われて、ロレッタは息を呑む。ディランの目が笑っていた。
ロレッタは自分の手首を密かにつかみながら、顔をそらす。
「私は……授業の参考資料にほしかっただけです!」
「そうだったの?」
ディランは目を丸くして、ロレッタから店主に視線を移す。
店主は二人を交互に見て、小さく頷いていた。
「なるほど。君はてっきり……」
その先の言葉を続けず、ディランは「店主、やはりこの短銃は彼女にプレゼントしたいから、包んでくれるかな?」と笑って注文していた。
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