6 呪いの刻印

 その日、クララに誘われてオペラを観に行ったロレッタは、一足先にオペラホールを出て、外で伯爵家の馬車が来るのを待っていた。オペラを見終えた人たちが、続々とホールから出て行き、表通りに並んでいる馬車に乗り込んでいく。

 外は暗くなっていたが、夜風が頬に当たるのが心地いい。星が小さな輝きを放っているのを見ていたが、ふと見覚えのある後ろ姿に気づいて目で追う。

 ディラン・アスターの姿だ。

(あの方も、オペラを観に来ていたの?)

 だが、それならもっと噂話になっていただろう。それに彼は馬車には乗らず、道を横切っていく。あたりを見回してから、ロレッタは思わず後を追いかけていた。

 なにか、気になって、胸騒ぎがしたから――。

 彼は大通りから細い脇道に入り、暗い闇に閉ざされた通りを進んで行く。

 あまり、オペラホールから離れすぎては、クララが心配して捜すだろう。そう思うのに、彼がどこに向かうのか確かめなければいけないような気がした。

 

 けれど、途中でその姿を見失ってしまって、十字路の真ん中で立ち止まり、あたりを見回す。やっぱり引き返そうかと思った時、不意に悲鳴が上がった。

 一瞬硬直し、クララは恐る恐る足を踏み出した。悲鳴がした方角に向かって走り出す。


 その足が止まったのは、トップハットをかぶったディランの姿が見えたからだ。彼の足もとで、黒い得体の知れない影が蠢いている。それは人の形をかろうじて保っているように見えた。 

 恐怖で足が竦み、声が出ない。

(あ、あれは……なに!?)

 ディランは身をかがめると、その黒い影のちょうど胸のあたりに手を突っ込み、無造作に何かを引きずり出す。それは赤く燃えた石のようなものに見えた。それを手にして眺めるディランの表情は、微かに――笑っているように見えた。

 ゾクッとして、ロレッタは胸のラピスラズリのペンダントをつかもうとしたが、つけていないことに今さら気づく。

 ディランの手の中でその石は粉々に砕けて消えていた。その破片が夜の風に流されると、ディランがゆっくりと振り返る。

 目が遭った瞬間、ロレッタは顔を強ばらせて後ろに下がっていた。

 ディランの瞳も、石と同じ赤い色に染まっている。

 逃げようと思うのに、足がもつれてその場に尻餅をついてしまった。 

「あ……あ……の……私…………っ!!」

 必死に声を出そうとするのに、震えてしまってうまく言葉にならない。

 ディランは薄く笑ったまま、ロレッタのほうにやってくる。 

 身をかがめた彼は、座り込んだまま立てないロレッタの目に手を伸ばしてきた。

 思わず目を瞑ったロレッタの耳に聞こえたのは、彼の囁き声だ。


『この場で見たことは、忘れるほうがいい……』


 〝君〟はなにも見なかったんだ――。



 翌朝、目を覚ますと大学の寮のベッドの中だった。寝間着が汗でびっしょり濡れている。息を整えながら天井を見つめていたロレッタは、胸に手をやって深く息を吐き出し、起き上がった。体が重くて、頭が痛い。

 額に手をやろうとした時、異変に気づいて寝間着の袖を恐る恐るめくってみる。

 

 腕から肘にかけて、黒い線のようなものが浮かびあがっていた。それは、何かの刻印のような模様となっている。目を見開いたロレッタの喉から、悲鳴が迸った。

 

 その刻印がなにかを知っている。

 先日、グレネル先生が貸してくれた書物に、描かれていたものと同じものだったからだ。


 それは、悪魔に呪われた者の証だ――。

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