4 大学の講義

 休暇が終わり、大学の寮に戻ったのは三日後だ。この女子大学に、クララと共に入学したのは去年のことである。クララが女子大学に入学することを決めたため、彼女の付き添いでロレッタも一緒に入学することになった――ということになっているが、実は女子大学に入りたがったのは、ロレッタのほうだった。

 クララはそんなロレッタに付き合う形で、一緒に入学してくれた。彼女は経済学に興味があったから、大学で勉強することは望むところでもあったのだろう。ロレッタだけでは、父は大学に入ることを許してくれなかった。それよりも、早く誰かに嫁ぐことが大事だと考えている古風な考えの人だから。それに、大学では寮生活だから、一人で行かせることには不安もあったはずだ。クララと一緒だから、父も心配することなく許してくれたのだろう。


 ロレッタは、子どもの頃から魔術や魔法といったことについて学びたいと思っていた。だが、父は『そんなものを学んだところで役にも立たない』といつも言っていて、あまり理解してくれなかった。それはそうだろう。魔術や魔法を学んだところで、使えるわけでもない。それに、大学でそれらを教えているのは、魔法使いや魔女を育成するためではなく、文化、民俗学、歴史の分野の教養を深めるためである。

 ロレッタが学びたいと思ったのは、祖母の影響があるだろう。

 祖母は魔女――そう呼ばれている人だった。


 階段状に椅子と机が並ぶ講義室で、ノートとテキストを開きながら講義を聴く。ボソボソとした低い声で説明をしているのは、メガネをかけた三十代の男性の先生で、ロバート・グレネルという。先生が担当しているのは、『文化史概論Ⅱ』とういう授業だ。この授業で、先生は魔術や魔法、錬金術の研究や歴史について教えていた。それが先生の専門分野だからだ。

「つまり、魔術とは召喚した悪魔と契約を行うことにより、その悪魔に自分の願いを代行してもらうものであります。その願いを叶えるために必要な能力を持つ悪魔を召喚しなければならず、それには必ず代償が伴います。願いが大きければ大きいほどに代償も相応に大きくなります。それは例えば、契約した者の生命、身体で支払われることになるのです」

 黒板に向かってチョークを走らせながら、先生が話を続ける。それを、ロレッタはぼんやりと聴いていた。クララは今頃、別の講義室で経営学の講義を受けているだろう。この講義を取っている生徒は少なく、大きな講義室なのに、座っている生徒は数人だ。離れた席に座っている女の子は、すっかり眠くなったようで、机に突っ伏している。 グレネル先生は、それもあまり気にしていない。いつものことと思っているのだろう。あるいは説明に夢中で、生徒など見ていないのかもしれない。

(悪魔との契約……)

 あの人自身が、悪魔と契約を行ったのだろうか。

 それとも、別の誰かが行ったのか。それとも――。

 

 講義の終わりを知らせる鐘の音が聞こえてきて、ぼんやりしていたロレッタは急に授業に意識を引っ張り戻された。

「来週の講義は、休みにします。代講についてのお知らせは掲示板に貼っておくので、見ておいてください」

 グレネル先生は黒板の文字を大雑把に消し、テキストと出席簿を抱えて講義室を出ていった。ロレッタは急いでノートやテキストを片づけ、階段を降りて先生の後を追う。


「グレネル先生」 

 廊下で呼び止めると、グレネル先生が「ん?」と足を止めた。

「ああ、アーチャー君。質問かな?」

「ええ……あの、少し教えていただきたいことがあって……先生は、その……悪魔が憑いている人が見える……ことはありますか?」

 おずおずと尋ねると、グレネル先生はメガネを指であげて瞬きする。驚いているような表情だった。

「うーん……それについては……少し難しい問題だね。よければ、研究室で話をしよう。長くなりそうだ。アーチャー君、次の講義は取っているのかな?」

「いいえ、今日の講義は終わりです」

「そうか、では行こうか。紅茶をいれよう。ああ、だけど、茶葉があったかな……」

 顎に手を添えながら、グレネル先生はブツブツと独り言を漏らして歩き出した。



 グレネル先生の研究室に入ると、足の踏み場もないほど古くてかび臭い本が積み上げられていた。窓は閉め切られている。開いて風を通している間、先生は「茶葉は……茶葉は……」と棚のまわりを探していた。

「私がかわりにさがしましょうか? お茶をいれるのは得意なんです」

「ああ、そうしてくれると助かるよ。今、手伝いの子が休暇を取っていてね。その子がいないとなにもわからないんだ……まったく困ったものだよ。ええっと、それで……なんの話だったかな。ああっ、そうだ。悪魔が憑いている人が人の眼には識別できるか、という問題だったね。それについては、色々事例があるんだが……」

 先生は狭い研究室の中をうろつきまわり、崩れそうなほど積まれた本の中から数冊を引っ張り出してきた。案の定、本の山が崩れて足下に散らばっている。研究者だから、細かい身の回りのことにはあまり気にしないのだろう。

 コンロに火をつけてお湯を沸かし、カップを準備して紅茶をいれる。見つけた缶の中には茶葉があまり残っていなかったけれど、二人分くらいはあるだろう。しけっていて、あまりいい茶葉ではないが仕方ない。

 ロレッタとグレネル先生は向き合って椅子に座った。

「悪魔が持つ魔力を感じ取れる人間はいるらしいが、極めて稀だね。だが悪魔に憑かれている人間には共通した身体的特徴が現れる。あるいはその行動や、話し方などにも変化が見られるため、悪魔祓い師と言われる人たちは、それらをつぶさに判断し、悪魔が憑いているかどうかを判断するとあるね……私が悪魔祓い師について、その事例を観察した時には……」

 説明が長くなりそうなので、ロレッタは「あの、先生!」と少し強く遮る。

「悪魔そのものを視ることができるのかどうかを知りたくて……」

「それは極めて難しいが、必ずしも不可能ではないようだ。過去、聖人と呼ばれる人の中にはそのような神秘の目を持つ者がいたと記述があるが、実際にはそれが事実かどうかは今のところわかってはいないようだよ。それは教会の専売特許で、極秘にしていたいところだから僕らのような研究者にも教えてはもらえないんだ」

「神秘の目……ですか?」

 戸惑って尋ねると、グレネル先生は「ああ、教会ではそう呼ばれている」と紅茶を飲みながら頷いた。

 わかったのは、それが極めて稀な事例だということだった。


 十分に話を聞いた後、ロレッタは立ち上がって部屋を出ようとした。その時、棚に飾られていた銀色のナイフが目に入る。先生は各地で探してきた、こうした呪物的なものを多く収集し、棚に飾っていた。ナイフは古いものなのか、刃の部分に細かな文字が彫られている。

「先生、このナイフ……」

「ああ、それは魔除けのナイフだよ。古い墓地で見つかったものでね……どうやら、吸血鬼除けのようだ。手に取ってみるかね?」

 先生が棚を開けようとするので、「いいえ、けっこうです!」と慌てて手を振って断った。

「こういったものって、どこか……売っているお店があるのでしょうか?」

「もちろん、あるとも! 古物商でも取り扱っているが、こういった呪物専門に扱う店もあるからね」 

「その場所を、教えてもらえませんか? あっ、えーと……あの、私も収集してみたいと思っているんです!」

(本当は、違うんだけど……身を護るものは必要な気がするし……)

 ロレッタはぎこちなく笑みを作る。グレネル先生は「そうか! それじゃあ、場所を教えよう。今、地図を描くよ」と、嬉しそうに言って本や書類だらけの机をかき分ける。上に乗っていた本の山が、また崩れていた。

 

 グレネル先生は、『悪魔憑きに関する事例を集めた本だから、興味があるなら読んで見るといい』と部屋を出る時に古い本を貸してくれた。「ありがとうございます!」とお礼を言って退室し、テキストやノートと一緒に本を抱えて廊下を引き返す。


(でも……あの時、見たあの人の黒い影は……)

 悪魔に憑かれているというより、悪魔そのものに見えた――。

 だが、そんなことはあるのだろうか。

 グレネル先生も『悪魔を視ることができる人間など稀』と話していたのに。


 数日前、屋敷を訪れて、いきなり求婚されたことを思い出してす。あれはきっと、なにかの冗談に違いない。その証拠に、あれから彼は屋敷を訪れていないし、手紙も届けられてはいなかった。

 それに、舞踏会で見た時のあの人とは印象がまるで違っていて、近寄りがたいほどの怖れは感じなかった。

 

「悪魔ってああいうものなのかな……」

 人の心の油断と隙をついて入り込み、魅了していくものと聞いたから。

 ロレッタは頭を小さく振って、小走りに廊下を走っていった。もうすぐお昼休みの時間だ。クララも講義が終わったら、食堂で待っているだろう。

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