3 ラピスラズリ

 眠ってしまった彼女を抱え上げた時、「お嬢様!」とメイドが飛び出してくる。どうやら、様子をうかがっていたらしい。ロレッタは未婚の女性なのだから、たしかにいきなり訪問してきた男と中庭で二人きりにして放っておくわけもない。駆け寄ってきたメイドは、「お、お嬢様に気安く触れないでいただけますか?」と警戒を露わにして睨んでくる。

「何もしてはいないさ。彼女が寝てしまったから、部屋まで運ぼうと思ってね。中庭のベンチで寝かせておくわけにはいかないだろう?」 

 何もしていない――というのは、正確ではないだろう。

(私の魔力に当てられたかな……)

 ディラン・アスターは、腕の中でスヤスヤと寝ているロレッタに視線を移す。極力魔力を抑えたつもりでいても、完全にそれを消すことは難しい。普通の人間ならば気づかないようなものだが、彼女は敏感なのだろう。「面白いな」と、アスターは口角を上げる。

「わ、私が運びますので!」

 メイドは果敢にも、眉根を寄せて言ってくる。どの屋敷でも、ディランは使用人から無礼な口をきかれたことはない。まして女性のメイドからはだ。アーチャー家は生活こそ慎ましくはあるものの、古くからある名家で、厳格な家柄だと聞いている。使用人も、なかなか真面目なようだ。それは、おべっかを言われたり、媚びるような態度を見せられたりするよりは、好ましい。


「女性には難しいと思うのだが。せめて、応接室のソファーに運ぶくらいは、手伝わせてもらいないな。君がそばについて、私が不埒な振る舞いに及ばないように気をつけていればいい。違うかな?」

「そ、それなら、すぐに他の使用人を呼んで……」

 言い終わらないうちに、彼女はハッとした顔で口を噤む。男の使用人に彼女を運ばせることも、問題があると気づいたようだ。まして、使用人の立場である彼女が主人である男爵を呼びに行くわけにもいかないのだろう。

 ディランは「やはり、私が運ぶほうが適切のようだね」とクスッと笑って、彼女を抱えたまま扉に向かう。屋敷の中に入ると、メイドは不本意そうな顔をしながらピッタリと後をついてくる。応接室の前までくると、すぐに扉を開いてくれた。中に入り、彼女を二人がけの応接椅子に横たえる。

「お、お医者様をすぐに……」

「その心配はないだろう。すぐに目を覚ますさ」

 

 昨晩の舞踏会で、他の令嬢たちと談笑していたディランは、彼女たちの会話に飽きて、その場を早々に離れようとした。その拍子に、ロレッタとぶつかってしまった。

 目が合った瞬間の、彼女の驚愕の表情が目に浮かぶ。悲鳴を上げた彼女は、そのまま気を失ってしまった。倒れた彼女を咄嗟に支えてたものの、大騒ぎになったのは言うまでもない。

 あの時、恐怖に震えていた彼女の目に映っていたのは、おそらく――他の誰も目にすることはできなかったディランの本来の姿だろう。

 

 まさか、この自分を悪魔だと見抜く人間がいようとは。それが驚きでもあった。

 特別な訓練を積んでいる教会の悪魔祓い師でも、その姿を見抜くことは難しい。というより、そんなことができる人間はほぼいない。少なくとも、自分が現世に現れてからの数百年の間に出会ったのは数えるほどだ。二人はいただろうか。

 その二人は、『聖人』に名を連ね、今は教会の地下で永久の眠りについている。

 

 その血族か、特別な神の加護によって、その特殊な能力を持ち生まれてきたのか。教会の者たちが知れば、それこそ大騒ぎになっていただろう。何の庇護も受けていないところを見ると、今のところまだ、誰にも知られてはいないようだ。

(あるいは、私が触れたせいか?)

 自分の魔力が、彼女の隠された能力を開かせるきっかけになったということも考えられる。くしくもあの日は、新月だった。新月の晩は、闇が深くなる。抑えていた自分の魔力もその影響を受けてしまっていただろう。

 なんにせよ、これはまずいなと、倒れた彼女を見舞うという名目で、屋敷を訪れた。もし、彼女が特異な能力を持っているのであれば、このまま野放しにはしておけない。その能力は、ある種の脅威だ。教会側の勢力にしても、あるいはそうでない勢力にとっても、利用価値は十分ある。消してしまおうと考える者もいるだろう。

 実は自分も、面倒事になるまでに始末してしまうほうがいいと考えなかったわけではない。後々のことを考えれば、それが一番手っ取り早いからだ。男爵家の小娘一人、密かに消すくらいは造作もない。

 数日は話題になるかもしれないが、すぐに他の事件やゴシップ記事に興味が移り、そのうちに誰も気にしなくなるだろう。世の中とはそんなものだ。だが彼女と再び会って、気が変わった。


 ようやく、見つけた――。

 そう、確信を得たからだ。

 

 彼女をおいて他にはいない。

 まして、他の誰かの手に渡るなど、許さない。

 

 彼女は〝私〟が探し求めてきた、花嫁だ。


 目を瞑っている少し青白いロレッタの頬に、そっと触れる。その胸元のラピスラズリのネックレスに気づいて手を伸ばした時、ピリッとした痛みが指先に走った。

 手を見れば、切れて血が溢れている。それが、白いシャツの袖口に染みこんでいった。

 

(護り石か……)

 悪しき者、魔からその身を護る『守護石』だ。

 ラピスラズリは高い魔力を蓄える。

 誰かが、彼女の身を案じて持たせたものか。その者は彼女の能力について、何か知っていたのだろうか。誰かは知らないが、「いい仕事をする」とディランは微笑む。この石の効力が、おそらく今まで妖魔や悪魔といった種類のものを退けていたのだろう。

 わずかに目を細めて、ディランはその手を離した。


「あの、もしや……お怪我を?」

 メイドが心配そうに尋ねてくる。「少し引っかけただけだよ」と、答えてから前屈みになっていた体を起こした。

「後は頼めるかな? 私は失礼したほうがよさそうだ」

「は、はい……お見送りはいたしませんが……」

「かまわない。それより、男爵にはまた改めてご挨拶に伺いますと、伝えておいてくれ。彼女にも……」

「承知いたしました」

 メイドは両手をエプロンの前で揃え、軽く頭を下げる。帽子掛けからトップハットを取り、深くかぶって部屋を後にした。

 玄関で待っているのは背の高い青年だ。その青年は、この男爵家の使用人ではなく、ディランが連れてきた従者だ。

 キリッとした眉の黒髪の青年の名は、エルトンという。

「終わったよ」

「馬車を表に待たせております」

 エルトンは一礼する。男爵家の若い従者が扉を開けて、二人を見送ってくれた。

 

  


  

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