2 求婚

 面倒なことが嫌いな父は、『後は若い者同士で話し合ってくれ』とぶっきらぼうに告げて書斎に逃げてしまった。人見知りな母も『私も、編み物の続きがあるから』と、早々に退室してしまったため、ロレッタはこの――公爵家子息、ディラン・アスターと二人きりで残されてしまった。

『お加減が悪くなければ、少し外に出ませんか?』

 誘われて中庭に出ることにしたのは、空気のこもった書斎に二人きりでいるよりは、風通しがよくて、いつでもアンナが窓から見張ってくれている中庭にいるほうがずっといいと思えたからだ。小さな花壇とベンチがあるだけの小さな中庭だけど、ロレッタはこの場所が気に入っている。

「いいお庭ですね」

 ディランはベンチに座って、庭の花を眺めながら爽やかな声で言った。ロレッタは少し離れて、緊張しながら「ええ……」と素っ気ない返事をする。

 顔が強ばっているのもすっかりばれているだろう。ディランは和やかにロレッタを見つめている。

 噂通りの美男子で、何も知らず出会っていれば、恋にでも落ちたかもしれない。

 けれど、あの日、彼がまとう言葉では言い表せない闇の影を見てしまったからには、とうていときめく気持ちなどわいてくるはずもなかった。

(いまは……普通……なんだけど……)

 ロレッタはこっそり彼の様子を観察する。今はあの日の黒い影は見えない。赤い瞳でもない。本当に、あれは自分が見たものだろうかと、なんだか少し疑問がわいてくる。けれど、こうして一緒にいても、怖いという気持ちが消えない。

 なんだか、彼の綺麗な、美しいとも言えるその顔立ちが、まるで偽物の仮面のようで――。

「昨晩は大変、申し訳ありませんでした。せっかくの素敵なドレスにワインをかけてしまって……あんなに、悲鳴を上げるほど驚かれるとは思っていなかった」

 彼はそう言って苦笑する。

「そ、そのせいで、悲鳴を上げたわけでは……」

 小さな声で答えて、俯いた。だが、まさか『あなたが怪物に見えて、怖くて悲鳴を上げてしまいました』とはいくらなんでも本人には言えない。

「それに、ワインをかけられたことはなんとも思っていません。お古のドレスでしたし……」

 お世辞にも、『素敵』とは言いがたいものだっただろう。あのドレスの染みは、アンナが丁寧にしみ抜きをしてくれているから、きっと消えるはずだ。

「……今日はそのことでわざわざいらっしゃったのですか?」

 恐る恐る彼に視線を向けて尋ねると、彼は「それもあります」と微笑む。

「ドレスは、お詫びに新しいものを作らせてください。お気に入りの仕立屋がいるのならば、そちらに頼んで代金は公爵家に請求してもらってください。私が懇意にしている仕立屋に頼んでもいいのですが、お気に召すかどうかわからないので……」

「いいえっ! ドレスを新調していただくような理由がありません。本当に……わざわざ来ていただいただけで、十分なので……」 

 作り笑いを作りながら、ロレッタはあわててそう答えた。この公爵家の子息にドレスを作ってもらったなんて噂が広まれば余計な憶測を生みそうだ。

「そういうわけにはいきません。私は昨晩の舞踏会で、あなたのドレスを汚した無礼者としてすっかり噂になってしまっているんです。このままお詫びの一つもしなければ、余計に評判が悪くなってしまいますよ」

「そ、そんなに噂になっているのですか!?」 

 思わず驚いて尋ねると、「ええ、すっかり」と彼は困ったように頷いた。ロレッタの顔がサッと青ざめる。

「すみませんでした……ワインがかかったくらいで……その……大きな悲鳴をあげてしまって……」

「いいえ……当然のことだと思います。ですから、実は今日はお詫びを兼ねて、あなたに結婚を申し込もうと思って来たのです」

「そうですか……それはまた、わざわざお気遣いありがとうございま……」

 言いかけて、ロレッタは仰天したようにディランを見た。

 きっと、口があんぐりと空いてしまっていた。

「今……なんとおっしゃったのですか?」

(聞き間違えよね……!?)

「ですから、結婚を申し込みにきたのです。本当ならば、もっと手順を踏むべきなのは重々承知しているのですが……そうしないとあなたの評判まで貶めてしまいそうですし、噂も沈静化しそうにありません。ですから、いっそ求婚してしまおうと」

 にこやかに微笑んだまま、ディランはサラッとそんなことを言う。


(結婚……!?) 

 頭が真っ白になってしまって、思考停止したままロレッタは彼を凝視していた。

 結婚といえば――結婚だ。

 つまりは病める時も健やかなる時も共に生きることを神に誓い、そのうえに子どもなども作らなければならず、家族となるという誓約のことだ。


「アーチャー嬢……アーチャー嬢、大丈夫ですか? ロレッタ」

 名前を呼ばれて、ハッと我に返る。

 ディランがすぐそばに寄ってきて、目の前で手を振っていた。

「結婚なんて……どうしてそんなお話になるんですか!」

 ロレットは思わず後ろに下がって、いつもは上げないような大きな声でききかえした。この公爵家の子息と、男爵家の令嬢である自分が結婚するなんて、あまりにも現実離れしている。

「そうすれば、誰もドレスにワインをこぼしたせいで、あなたが気を失ってしまったなんて噂を気にしなくなるでしょう? そう思って、こうして婚約指輪も用意してきたんです」

 彼はポケットから取り出した指輪のケースを、「ほら」と開いて見せてきた。その中には、とんでもない大きさのダイヤがついた指輪が入っている。ロレッタは目を見開いて、「婚約指輪という大きさではありませんよ!」と驚きの声を上げた。

「実はこのダイヤ、メアリー王妃の王冠についていたものなんです」

「メアリー王女って……あの首なしメアリーのこと……ですか!?」

 二百年ほど前にいた悲運の王妃で、不倫の疑惑をかけられ首を切られて処刑されてしまったのだ。今でも王宮の塔からは、メアリー王妃の幽霊のすすり泣く声が聞こえてくるという怪談話もある。それは、以前クララが教えてくれた。

「ええ、あの首なしメアリーです。先日、オークションに出されていたので、面白そうだと思い、落札してみたんです。呪われたダイヤといわく付きの代物だったものですから。興味深いでしょう?」

 面白そうに話すディランに、ロレットは「そんな不吉なダイヤを婚約指輪にしないでください!」と怒って言う。

(なにを考えているのか、さっぱりわからない人だわ……)

 「これは、気に入りませんでしたか……それでは、今度、宝石店に行って、お好きな指輪を選んでください。どんな指輪でも私はかまいませんよ。きっと、あなたなら、どの指輪でも似合うはずですから」

 そう言うと、ディランは意味深に微笑んでロレッタの手を取る。一瞬、見つめ合っていた気がする。ロレッタはすぐにハッとして、その手を引っ込めた。顔が熱くて真っ赤になっている気がした。

「お断りします! そんな話、すぐに受けられません」

 本気で言っているのか、からかわれているだけなのかすらもわからなくなりそうだ。もしかして、仲間内の罰ゲームかなにかで、婚約を申し込んでくるように言われたのかもしれない。

(きっと、そうよ……つ!!)

 本気にして受けたりしたら、大恥を掻くようになっているのだ。


「私では不足ですか? それとも、他に誰か意中の相手が?」

「いいえ、とんでもありません! そんな方いません……ただ、あなたは……っ!!」

 悪魔――。

 その言葉が、頭を過る。

 悪魔はこんなふうに田舎者で、男性になれていない初心な娘を誘惑するものなのだろうか。

(もしかして、目的は……生贄にするつもりとか……生き血を啜るつもりとか!)

 クララと一緒に夜中に上掛けの中に潜り込んで一緒に読んだ怪談小説の内容が次々に浮かんでくる。


「私の正体を知っている、から……ですか?」

 その言葉に、ドキッとしてロレッタは目を開いた。彼を見ると頬杖をつきながら、微笑んでこっちを見つめている。その瞳がゾクッとするほど冷たく見えた。

 あの日見た黒い影と同じ。その手に、その瞳に捕らわれば、逃れることもできず、魂まで深い闇に引きずり込まれてしまいそうな――。


 息を呑んで、彼を見つめていたロレッタは、首につけているラピスラズリのネックレスを握り締め、勇気を振り絞るように唇を開く。


「あなたは……人では……ないの?」


 彼は笑っていた。イエスとも、ノーとも答えない。

 この状況を、ロレッタの反応を、まるで楽しんでいる。


 伸ばされた手が、頬に触れた瞬間ビクッとした。

 冷たい手だった。


「君は、君自身が、本当に人であることを証明できる?」

「え……?」

「なにを根拠に、人とそうでないものとを、君は……そう、人は……区別するんだろうね。姿形? だとしたら、今の私は人であると言えるだろう。魂の質? そうであれば違うとも言えるかもしれない。だが、魂の質をどうやって量る? 己が人だと思っているだけで、実はそうではないかもしれない……鏡に映る姿が本当の自分の姿だと、どうしてわかるのだろう?」

 静かに、淡々と、彼は話を続ける。その声は、まるで子守歌のように聴き心地がよく、眠りに誘われそうになる。伏せようとする瞼を、必死に押し開けた。

「わ……からないわ……でも、あなたは人ではないと思うの……」


「そうだね。それに気づいた君だから、迎えにきたんだよ。私の花嫁」

  

 そんな声が聞こえた気がしたけれど、もう一度目を開けて彼を見る前に、眠りに落ちていた――。

 




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