第2話 禁欲の反動

 ――獣人には発情期というものがある。

 これは生理現象であるが故に、無視できないものだ。

 だが、通常は――一人で問題なく対処できるもの。

 一般的にはそれほど問題にはならないし、何だったら人間であっても性欲というものは存在する。

 それが、獣人は少し強い程度のもの――だが、聖女には禁欲もまた必要なもので。


「ご、ごめんなさい。急に押し倒したりして」


 急に我に返ったように、シュカはエミナの上から退いた。

 けれど、まだ呼吸は荒く――どこか視線も定まっていないように見える。


「う、うん、それは大丈夫だけど……シュカはその、平気なの?」


 思わず、エミナは心配するように声を掛けた。

 ――ここに来てすぐに、まずは騎士団長との面会があった。

 その時に、「君に護衛を任せる理由は会えば分かるだろう」と言われていたが。

 シュカはすぐに答えられなかったが、やがて小さく首を横に振り、


「……大丈夫では、ないかもしれません」


 そう、小さな声で呟くように言った。

 ――子供の頃とは、やはり随分とイメージが違う。

 聖女になったのだから、ずっと同じというわけではないのは、当然かもしれない。

 シュカから見れば、エミナだってきっと変わっているだろう――昔はよく泣き虫だと言われたが、色々な経験を経てそれもなくなった。

 ――エミナも大人になったのだ、とそう胸を張れるつもりはある。


「……いきなり顔を合わせて、押し倒すなんておかしいですよね」


 シュカは申し訳なさそうに言った。


「ちょっと驚きはしたけれど、わたしは平気だよ。シュカは――えっと、なんて言えばいいのかな」

「……発情期です。私は聖女でありながら、自身の欲を制御できない愚か者なんです」


 シュカは自虐的な物言いをしながら、ふっと嘲笑するような笑みを浮かべた。

 今の状況に負い目を感じているようだ。

 エミナもそれくらいの知識はある――獣人には発情期があるのは知っているし、それが仕方のないものであると思うが。

 ただ、エミナとシュカは同性同士――発情する相手が間違っているのでは、と考えもした。


「つい最近のことです。正式に聖女として認められ――ようやく、あなたと再会できると考えたら、その……」


 ちらりと、シュカはエミナに視線を送る。

 それは随分と煽情的で――今まで、エミナは彼女にそんな気持ちを抱いたことはない。

 親友という立場、認識――それはシュカも同じだと思っていたけれど、今は違う。

 彼女は、どうやらエミナのことを考えて、発情しているのは間違いないようだ。

 護衛を任せる理由は――会えば分かる。


「自分でも何とかしようとは思っているんですが、上手くいかなくて。それで、今日を迎えてしまったので……」


 申し訳なさそうな表情を浮かべて言うシュカ――護衛を任せる理由は会えば分かる、と言っていたのが何となく理解できてしまった。

 シュカは聖女として認められた――けれど、獣人の聖女は異例であることには違いない。

 おそらく、禁欲の反動とも言うべきか、自身ではそれを処理できないというわけだ。

 シュカが望んでいる相手はエミナであり、護衛を請け負うだけに十分な実力もある――これまた異例ではあるが、冒険者であるエミナが護衛に選ばれた理由もまた、ここに繋がるのだろう。

 つまりは――シュカの発情期を解決することもまた、望まれているわけだ。


(……まあ、本人の口以外からは説明しにくい事情ではあるよね)


 最初に会った騎士団長が言葉を濁したのは、まずは会ってみた方が早いと考えた結果だろう。

 エミナとしても、「実はシュカが発情期を迎えていて大変なので、その相手をしてほしい」などと他人に言われては、どんな反応をすればいいのか分からない。

 シュカは大きく息を吐き出して、改めてエミナに向き直ると、


「……やっぱり、私なんかの護衛なんて嫌ですよね」


 急に、そんなことを口にし始めた。


「! そんなことはないよ。呼んでもらって嬉しかったし」

「でも、再会してすぐに、幼馴染を押し倒すような聖女、ですよ?」


 またしても、視線を逸らしてシュカは暗い表情を見せる。

 ――感動の再会どころか、随分と雰囲気が悪いものとなってしまった。

 久しぶりだからこそ余所余所しいというのもあるが、それ以上に現状が現状――目の前の幼馴染が発情期を迎えている、という今まで遭遇したことのない出来事だ。


「私は、やっぱり聖女に相応しくないんです。今からでも他の人に――!」


 シュカがだんだんとよくない方向へと考えを進め始めたところで、今度は逆にエミナが彼女を押し倒す形になった。


「エ、エミナ……?」

「久々に再会したのに辛気臭いっていうか……わたしだって色々話したいことがあるのに、落ち着いて話もできないじゃん」

「ご、ごめんなさい。私のせい――」

「それで、キスすればいいの?」

「……え?」


 押し倒して、面と向かって言うのは恥ずかしいけれど――エミナは覚悟を決めた。


「さっきからずっと顔赤いし、一先ずその発情をどうにかしないといけないんでしょ? わたし、協力するから」

「でも……」

「わたしを呼んだのは、わたしにしてほしいからじゃないの?」

「っ、それは……」


 どこまでも煮え切らない――以前の彼女とは随分と印象が変わった。

 けれど、近くで見れば分かる。

 シュカは女の子らしく成長していて、再会するまでは全く考えていなかったし、はっきり言えば――エミナは全く経験もないのだけれど、彼女が悩んでいる理由が解決できるのなら。

 ――そっと、エミナはシュカと口づけを交わした。

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