第15話 ミア王女

 手つかずの自然を彷彿とさせる深い緑色の鎧兜を脱ぐと、腰まで下がる豊かな金白の髪が現れた。白い肌に映える碧眼に、すっと伸びた背筋。エルフらしいほっそりとした体つきに、エルフらしからぬ豊満な胸元に、ユラとリオニーは目が釘付けになった。


「このエルフが、女王ティタニアの第一息女・ミアだ。……しかし、昔見たときは、もっと子供だったと思うが……」


 エルフの長い耳は離れたところにいる会話まで拾えるらしい。ミアはハンの元に飛んできては、愛嬌たっぷりに片目を瞑って答える。


「今度こそは勇者様の旅に連れていってもらえるように鍛えました!今や、エルフの里で一番の魔導剣士ですよ」


 鎧兜と同じ胸当てを拳で叩くと、先ほど蛸足を斬ったクリスタルの刃の剣で風を切る。クリスタルの刃には確かに魔力が宿っており、試しにデッキブラシを斬るとたちまち燃え上り、一瞬で灰になってしまった。


「どこかの誰かさんの魔力とは桁違いだな。さすがエルフだ」


 ハンの嫌味に、ユラは悔しそうに口をつぐんだ。実際にそうなのだから、返す言葉もない。


「まずは船を停めましょう。このまま滝の右側を進んでもらえれば、滝を昇っていくので、操縦しなくても上の湖に着きます。着いたら岸に船をつけてください」


 ミアが説明してくれたものの、甲板に船長の姿はなかった。どうやら初めて見るエルフに怖気づいたようで、クラーケンを退治したやいなや、船室に鍵をかけて身を隠してしまったようだ。ユラが扉を叩いたが「出発するまでここを出ない!!」という。


 仕方なくパールが船長に代わって操縦かんを握った。たどたどしい手つきで何回か方向を間違えたものの、シルフの手伝いもあってなんとか船首を滝へ向けると、船は自然と滝へと吸い込まれるように進んでいった。


 激しく流れる滝の壁に突っ込む瞬間、反射的に誰しもが息をのんで目を瞑った。


 しかしいくら待っても船は揺らぎもせずに真っすぐ進んでいるようだ。さすがに違和感を覚えて、ユラがそうっと目を開けると眼前には宙と思わしき真っ青な空間が広がっていた。ミアのいう通り、船は垂直方向に滝を昇っているのだ。


 滝の水流に逆行していても、風の対流のせいか船は勢いよく昇っていく。反対側の正方向に流れる滝との境界線では水しぶきが上がっていた。


「こんなの見たことない……」


 リオニーが甲板の手すりにしがみつきながら、船の外を覗き込んでいる。船に乗っている人になぜ一般的な重力がかからないのかも不思議でならない。やはり、ここは異界なのだ。外の常識が一切通用しない。


 滝を昇りきると穏やかな湖に着き、船は地面と平行になり、ようやくユラは自分の体重を感じるようになった。こんなに重かったっけ。


 船はパールの操縦で、ミアの指示した通りに湖にひとつだけある桟橋に寄って、錨を下ろした。するとレオンは自然界とは異なる様相に怖気づいたのか、船長がこもる船室の扉を爪でひっかいて、中に入れるよう懇願した。どうやら船に残るようだ。


 結局五人で下船すると、湖のほとりでエルフの女王ティタニアと護衛たちが迎えてくれた。


「お久しぶりです、勇者様、ハン様。そしてマクシミリアン様とサーラ様のご息女に……勇者様のご兄弟ですね。ようこそ、エルフの里へいらっしゃいました」


「再びお会いできて光栄です、ティタニア様」


 コルトとハンが揃って膝をつき、慣れた調子でティタニアの手の甲に接吻する。それを見てパールが倣う様子を、リオニーとユラは戸惑いながら眺めていた。


「大丈夫よ。昔の礼儀作法ってだけだから、女性は“こんにちは”ってすれば良いのよ。こんな風にね」


 ミアが声を掛けて二人と並んで立つと、足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げて、背筋を伸ばしたまま実母に頭を下げた。リオニーとユラが見よう見まねでお辞儀をすると、ティタニアは嬉しそうに微笑んだ。


「エルフの里は初めてですね。良ければ宮殿まで少し歩いていきましょう。人間界にはいない生き物や植物が見られますよ」


 ティタニアに先導されてエルフの里を周ると、湖は緑豊かな森に囲まれており、地面には土よりも青々とした苔が目立つ。森を形成する大木の幹にはエルフの住居らしき建物があり、幹とほぼ同一化していた。


 建物の表側には木彫りのレリーフが施されており、家々によって違うところを見ると、一族を示す紋章のようなものかもしれない。井戸はなく、湖から伸びる川がエルフたちの生命の水のようで、支流があちこちへ伸びている。


 不思議なことに日光だけは境界を隔てても、島に届いており、日中は明るい。夜間は、この自然豊かな環境において「火」は致命的になりかねないため、エルフたちは照明にクリスタルを用いているようで、街灯のごとく道々に大きな塊が置かれている。太陽が落ちると、クリスタルの結晶や、太陽の光を葉脈に蓄えて発光する木々がほのかに光り、幻想的な雰囲気になるのだという。


「アルフヘイム〈エルフの故郷〉は空にあると聞いたことがあるけれど……」


 リオニーが不思議そうに呟くと、護衛のエルフが気まずそうにそっと耳打ちした。


「王配様はそちらにいらっしゃいます。……以前より住まいを別にしておりまして…」


 数百年前に、エルフの王・オベロンとその妻ティタニアが諍いを起こし、天候が荒れに荒れたというおとぎ話を聞いたことがあったが、まさか実話だったとは。


 リオニーは両親が痴話喧嘩をした後、必ず最後には父が母を取りなす姿を思い出して、ふと息を漏らした。もしかしたらオベロンも数百年間、妻の機嫌を伺っているのかもしれない。


 宮殿までの道中、珍しい景色にユラたちは夢中になったが、一方でどうしても視界に入る光景に心がもやついていた。ミアが、コルトの腕に引っ付いて離れないのだ。


「ねぇねぇ勇者様、私に会えなくて寂しかった? 決戦のときの話を聞かせて? 転生して普通の人になってみてどうだった?」


 矢継ぎ早に繰り出される質問にコルトは答えようにも答えられず、「うん」とか「そうだな」などと適当な相槌を打つしかないようだ。ミアは気にせずに、ただその美しい瞳にただただコルトの姿を映し出して、うっとりとしている。


「勇者様、前世のハシバミ色の髪色も素敵でしたけど、今の黒曜石のような髪もとっても似合っていて、美しいわ。そしてなんと神秘的な目の色だこと。この人生においても様々な経験を重ねられたのか、表情もとても凛々しくていらしてまるで神々の彫像のようだわ」


 質問の後はコルトを褒めちぎり、愛情を最大限表現している。コルトも、これまで散々容姿については罵倒されてきた分、嬉しそうに口元を緩めている。


「……前世と同じ姿じゃなくても大丈夫なんですね……不思議」


 ユラがぽつりと呟くと、ハンは諭すように言った。


「エルフは外見よりも魂を見るからな、ティタニア女王も特に反応はなかっただろう。……もちろん、初めて出会う人が与える印象には、見た目が影響するだろう。だが、ひとたび人と人同士が心を交わして豊かな時間を過ごし、愛する心が育まれれば、容姿なんてさほど大した問題ではないのだよ。いや、むしろ愛する心がより相手を美しく見せることだってある」


「ちょっとわかるかな。ほら、うちの両親の出会いも、飲み屋での言い争いがきっかけだったらしいよ? でも、本気の拳と拳でぶつかったからかな、今やギルド一のオシドリ夫婦だよ」


 リオニーは両親の姿を思い浮かべながら納得したようだったが、ユラの表情は浮かない。ウェーカー以降、ユラは役不足だと感じているのだ。魔法使いとしても未熟で、恋愛の経験もなく、旅や世界の知識もない。


 最初は、「母親の代役」という使命感だけで動いていた。コルトを旅に出し、懸念点だった花嫁候補もリオニーが見つかり(恋愛に発展するかどうかはわからないが)、順調だった。コルトを旅に誘い込んだ本人として、途中で旅を投げ出すわけにはいかないが、果たして今後もこの旅に自分は必要なのだろうかと、時折考えてしまうのだ。


 ユラが鬱々と自問している間に、一行はティタニアの宮殿に辿り着いた。そこは、島の中央にそびえたつ、まさに「森の宮殿」で、古代の木々に囲まれ、他の住居と同じく宮殿自体が大木の幹や枝と一体化しており、屋根や壁は苔で覆われていた。しかし決して古びたような印象はなく、ガラスの代わりに埋め込まれたクリスタルが光を抱き、教会とはまた違った厳かな雰囲気に包まれている。


 宮殿の周りにも清流が伸び、丘には小さな滝が流れているが、どう見ても宮殿付近に "水が溜まる場所”がない。後から聞いてわかったことだが、どうやら島の外にある海、滝の上にある湖、そして島中を巡る川はすべてつながっており、ティタニアの気分次第で右回り、左回りどちらかで水が循環しているのだという。だから滝も逆流するのだと、ユラは合点がいった。


「風の噂で、魔王が復活しそうだと聞きました。今回の旅もやはり魔王討伐が目的なのでしょうか」


 宮殿に着き、客間で腰を落ち着けるとティタニアが切り出した。もちろん、ミアはコルトから一秒たりとも離れず、客間でもべったりくっついて長椅子に座っている。


 ユラが本来の目的を言うか迷ったところ、ハンが目で制して、代わりに答える。


「端的に言えば、コルトの結婚相手を探しています」


 その言葉を聞いてミアが立ち上がりそうになったので、今度はティタニアが娘を制して、話の続きをハンに促した。リオニーも驚きのあまりにユラの顔を見たが、ユラは敢えて無視を決め込んだ。


 要点に絞ってハンが話し終えると、ミアが耐えきれずにコルトに抱きついた。


「ようやく、ミアと結婚してくれるのですね!! ミアは嬉しいです!!」


 そのまま接吻を求めてきたので、コルトは必死に腕を伸ばしてミアの唇から逃れようとする。


 ミアの大胆な行動の背後では、リオニーが自分の右腕にある痣を指さしては、顔を真っ赤にさせてユラを揺さぶり、事情を聞こうとしている。ユラは「面倒なことになった」と徹底して沈黙を貫いた。


「いやいや、肝心の痣がないじゃないか!!」


 するとミアは目を丸くして、自分の胸元を躊躇なくさらけ出した。右胸の丘陵に確かに薔薇色の痣がくっきりと刻まれている。しかし形は、十字にも槍にも見える。リオニーの十字の痣は同じ長さの線が真ん中で交差しているが、ミアのものは長い線の先のほうに、短い線が交差しているのだ。


 コルトが予想外の展開に言葉を詰まらせていると、パールが我慢できずに口を出してきた。


「例え、痣があったとしても結婚の資格があるだけです。人間とエルフとでは寿命が違いすぎるでしょう。永遠の伴侶としては不適切です」


 うるさい小舅の登場に、ミアは臨戦態勢に入る。


「新参者は黙ってて。いくら現世での実弟とはいえ、兄上である勇者様の恋路を邪魔するなんておこがましい」


「おこがましい? 大切な家族が不適切な相手にたぶらかされそうになっているのだから、止めるべきでしょう。先ほどからはしたない格好で、ベタベタと異性にひっついて。エルフの王女としての品格はどこへやったのですか」


「それは、ママもそう思うわ。嬉しいのはわかるけど、少しは自重なさい」


 ティタニアの賛同があり、ミアは恥ずかしそうに胸元を両手で隠した。しかし、強い彼女は負けない。


「でも、私はここにいる女性の中で誰よりも昔から勇者様のことを知っているし、愛しているわ。寿命が違くても、私は勇者様と歩む時間を大切にします。そしておそらくそれ以降誰とも婚姻を結ばないでしょう」


「それでは困るのだ」


 ミアの恋路を邪魔する、新たな刺客が現れたようだ。客間の扉を開けて入ってきたのは、『光のエルフ』と呼ばれる一族の長老で、年齢はもう忘れてしまったようだが、エルフの始祖と言われている。


 ティタニアとミアが跪き、長老を迎え入れると、人間たちもそれに倣った。


「よいよい、客人も面を上げてくれ。ミアよ、今は好き勝手しているが、もうそろそろエルフの長になる心構えをもってくれ」


「長老様……でも考えてみてください。エルフの女王に、勇者の夫がいて、その子供も勇者で魔王を倒すんですよ。世に語り継がれる伝説になると思わない?」


 長老は深いため息を吐くと、パールを真っすぐ見据えてこういった。


「どうだい。そろそろ、本当のことを話したほうがよいと思うぞ。パール、いや、アフロディーテ。そのためにここへ連れてきたのだろう?」


「アフロディーテ?」


 コルトが振り返ると、パールは戸惑いの表情を見せた。しかし次の瞬間、パールの肉体から白い煙がふわりと浮き出て、ひとりの美しい女性が姿を現したのだ。


「あなたは……」


 ユラはウェーカーの町で見た女性がまた目の前に現れて、すぐにリオニーの影に隠れた。もうあんな怖い目に遭いたくない。


 コルトも、その女性に見覚えがあった。前世で魂が解放されたとき、光の中で見た顔だった。コルトは彼女に転生の話を持ち掛けられたのだ。


 パールの分身として現れたのは、アフロディーテ、正真正銘の「神様」だった。

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