第12話 一番弟子

 空を見上げると陽は傾いており、そろそろ魔獣の活動時間である逢魔が時に入る。ユラは一番乗りだったようで、急ぎ、市門の影に身を潜めて、様子を伺った。


 どうやら魔獣は一匹ではなく、群れのようだ。草原のほうから黒い影がやってきては、町を囲もうとしている。ウェーカーの繁華街から漏れる賑やかな音楽や、各工房で出されるまかない飯が炊ける匂いに誘われてきたらしい。


 影が近づいたことで、町壁の上に灯る松明の火で照らされて、ユラはようやく獣の姿を視認できた。


(フェンリルだ)


 フェンリルの起源は神と巨人の間に生まれた怪物にあり、狼の姿形をしているが、通常の狼よりも一回り大きいのが特徴だ。狼との間に子をなしてフェンリルは数を増やし、精霊(怪物も精霊の一種)と獣の中間的存在となり、自然界に生きている。魔法は使えないが、俊敏な脚と鋭い爪、そして人間を丸飲みできる大きな口こそが武器だ。


 群れの奥にはひときわ大きなフェンリルがいて、松明の光に反射して光る眼が市門を睨んでいる。あれがこの群れの首領なのだろうか。

 

「この数、ひとりじゃ太刀打ちできない」


 ユラはまず、フェンリルに飛び込まれても対応できるように、背負っていた盾を前に構えた。そして冷静に、盾の後ろで詠唱しながら、足元に陣を描いていく。


(失敗は許されない……いけ、私の炎)


 詠唱の終わりと合うように陣の円を完結させると、地面から勢いよく炎が飛び出し、フェンリルの前衛隊をあっという間に包み込んだ。魔獣の断末魔が赤紫の空に響く。


「成功したっっ!! ってあれ……」


 後衛部隊がすかさず炎の出元を特定したようで、複数のフェンリルたちがユラに気付き、一斉に涎まみれの口を大きく開けて、襲いかかってきた。


「き……キャーーーーーッッ!!!」


 ユラは次の詠唱もすっ飛び、なすすべもなくただ必死で盾を握りしめると、突然頭の上で風が巻き起こった。そしてフェンリルたちが情けない鳴き声をあげる。


「待たせたなっ!!」


 声のしたほうを見上げると、大剣を肩に載せたマクシミリアンが仁王立ちで立っていた。刃先には赤い血がついているところから察するに、フェンリルたちを薙ぎ払って、ユラのピンチを救ってくれたようだ。


「あ、ありがとうございますっ」


「懐かしいな、その盾。俺がずっと使ってた呪いの盾だ」


「へ、え??!!」


 ユラは母から受け継いだ盾を見下ろした。確かに長年使い込んだような風格があったが、まさか剣豪マクシミリアンの相棒であったとは想像しなかった。


 しかし、呪い? なぜ、母はこの盾を譲ってもらったのだろうか。ふと疑問が浮かんだが、そんな悠長に謎解きをしている場合ではない。より殺気だったフェンリルたちが牙を向け、唸り声をあげてこちらを睨んでいる。


「お嬢ちゃんは下がってな。本物の魔法使いになりたいならな、そこで見ていなさい、本物の戦闘というものを……」


 先ほどの朗らかな表情も、父親らしい表情も消え、マクシミリアンの目には殺気が宿る。そして目から全身、大剣へと伝わり、オドが漲っていく。


 人間が持つオドは普段見えないものだと思っていたが、マクシミリアンのような闘いを極めた者は、オドが身体の外側まで漏れだし、まるで光の羽衣を纏っているかのようだ。


「やれやれ……五十も過ぎているのに、血気盛んなことで」


 遅れてハンがやってきて、ユラに声をかけて安心させた。


「到着したとき、この辺に魔獣がいなかっただろう。どうやら、マックスが“身体ならし”で討伐をしているらしい。だからウェーカーの市民も安心して普段通りの生活を続けているよ」


 確かにアイゼンベルとは違って、背後では呑気な音楽が流れ続けているし、人々が逃げ惑う様子もない。門と壁を隔てて、まるで内と外は別世界のようにさえ思えてくる。ユラは肩の力が抜け、膝の力が抜け、その場に座り込んでしまった。


「で、でもあの数……」


「まぁ、安心して見ていなさい。あれが、勇者が背中を預けた剣豪マクシミリアンの姿だ」


 確かにマクシミリアンは大剣をまるで棒切れのように自由自在に振り回し、四方八方から飛び掛かってくるフェンリルたちを払っている。運よく、マクシミリアンの太い腕に噛みつくことができたとしても、大男はまるで猫を扱うかのように首根っこをつかんでは、剣で薙ぎ払ってしまうのだ。


 ユラにはあれだけ脅威に見えたフェンリルたちだが、圧倒的な力の差に、もはや可哀相に思えてならない。


「こんなこと言ったらアレだけどね!! 魔獣が戻ってきて良かった面もあるのよ。ちょっと前まで、うちの旦那ったら市議会に、やれ闘技場をつくれ、やれ鍛錬場をつくれだの提案してうるさくってまぁ。他の議員からも文句を言われて大変だったのよ。今、魔獣たちのおかげであの人が発散できるから本当に助かるわぁ」


 いつの間にか横に立っていたマクシミリアンの妻・アンナが、大きな溜息を漏らす。確かに初対面のユラにも、マクシミリアンが喜々として大剣を振り回しているのだとわかる。


 適わないと察したのか、仲間が次々と倒れていくさまを見て、フェンリルたちは耳を下げ、尻尾を下げ、首領が待つ丘まで前線を下げようと引き返した。しかし首領はそれを許さない。背後からの遠吠えで、喝を入れる。


 フェンリルたちは仕方なく、決死の覚悟で唸り声をあげて、マクシミリアンと睨み合う。


 ちょうどそこへ、コルトとリオニーが到着した。マクシミリアンが仁王立ちする姿と、目の前に広がる惨状にコルトはすべてを察したようだった。


「母さん、いくら大丈夫だからといって、ここまで来ちゃだめだよ」


 リオニーが母親に声をかけると、「何言ってんのよ」と言って、背後から巨大な戦斧を出してリオニーに手渡した。


「忘れ物を届けに来ただけよ。あんたも行くんでしょ?」


「わっ!! ありがとう、じゃあ、ボク行ってくるね」


 コルトとユラは目を丸くして、二人のやりとりをただ茫然と見ていた。ただ圧倒されたのだ。その巨大な戦斧は、柄の長さ、両刃どちらも人の背丈ほどあり、これを軽々しくアンナが持ってきたことにも驚きだが、リオニーも戦斧を左右に振り回して準備運動をしながら父の元へ向かっていく姿に、ユラは言葉を失った。


「マクシミリアン=ロイトの一番弟子……か」


 コルトが先ほどのリオニーの言葉を思い出しては声をあげて笑った。自分が違和感を覚えなかったのが、可笑しかったのだ。


 十六歳の少女にいきなり「世界を旅しろ」なんて、普通の親なら提案しない。特に魔獣が復活してきた世ならなおさらだ。しかし、かつての旧友は、鍛冶屋としても、一人の戦士としても自分のすべてを伝授し、鍛え上げた自慢の一番弟子だからこそ、世の中に送り出したかったのだろう。


 新たな敵の出現に、さすがに首領も重い腰を上げたようだ。他のフェンリルよりも二倍もの大きさのある、片目が潰れた雄のフェンリルが丘を厳かに下りてくる。


「あ、あれ、『ファーター』じゃない?」


 リオニーは見覚えのある顔に、父に話しかけた。片目を潰した首領は、まだフェンリルが魔獣の心に侵されずに、精霊と獣の中間的存在だったときから、見知った存在だった。


 フェンリルもリオニーも幼い頃、付近の森で出会い、じゃれ合って喧嘩しながら育っていた。やがて育ったフェンリルは家族をつくり、森の奥へと住処を移したが、時折ウェーカーの町にやってきては、マクシミリアンとリオニーと手を合わせていたのだ。


 悪意もなく、ただ互いに、力試しをしていた。だからこそリオニーは、手強いライバルに敬意を評して『ファーター』とつけた。


「そうみたいだな。俺がつけた傷がある」


 そしてつい先日、魔王の復活に際して魔力を得たファーターは魔獣となり、群れをなして、とうとう町を襲ってきたのだ。そのときに対峙してマクシミリアンがつけた傷が、左目の切創だ。


「今日で何戦目かな?」


「リオニーが小さかった頃だから……わからんな!100くらいじゃないか」


「そっか、じゃあ、切りがよくていいね。ボクがやるよ。もう明日から旅立っちゃうし。けじめをつけたい」


「ああ、良い思い出だな……って、リオニー?お前、まさか…」


 リオニーは父親の問いかけに応えずに、戦斧を背中から振り下ろして構えた。


 魔獣化してしまった精霊や獣はもうかつての記憶を失い、ただ獰猛に、本能のままに闘い、領地を広げ、人間の血肉を狙う。だから、いくら一緒に過ごした時間が長かろうと、人間は魔獣化した獣の命を絶たなければいけない。


 わかっていたけれども、前回の闘いでリオニーは最後の一太刀を躊躇ってしまった。結果、今また町は襲われている。

 

「ファーター、今までありがとう。もう、さよならの時間だ」


 ファーターは狙いを定めると、地面を力強く蹴りだし、その牙と鋭い爪をリオニーに向け、襲いかかった。口の端に泡を溜め、目を赤く光らせたファーターに、共に遊んだ子狼の面影はもうない。


 勝負は一瞬でついた。


 ファーターがリオニーに被さるようにして飛び掛かった瞬間、彼女は左脇まで下げた斧を斜めに振り上げ、その巨体を真っ二つに切り裂いたのだ。赤い、生臭い血しぶきを頭からかぶり、リオニーは目と口を拭った。そして足元に転がる二つの生肉に向かうと、リオニーは手を組んで安らかに眠るよう祈った。


「大したもんだ。さすがマックスの娘だな」


 安全を確認したうえでハンが拍手をしながら、生肉を覗き込む。そしてリオニーと同じように手を組んで、僧侶としての役目を果たした。


 頭を失ったフェンリルの群れは、いつの間にか姿を消していた。また新たな頭を担ぎ上げて、飽きずに弔い合戦にやってくるだろう。


 リオニーは改めてマクシミリアンに向かい、高らかに旅立ちを宣言した。あくまで自分で決めた意思のように、リオニーは伝えたかったのだ。


「ボク、世界を見てくるよ。良いことも悪いこともあるけど、面白いらしいよ」


「そうか、うん、そうか」


 目に涙を滲ませて、マクシミリアンは娘の成長を噛みしめるように何度も頷いた。


「それでね」


 リオニーはフェンリルの残骸を見に来たコルトの腕を抱き、今度は上目遣いに猫なで声で父親に懇願する。


「コルトたちと一緒に旅してみたいんだ!いいでしょ?安心でしょ」


 リオニーが勇者の遺伝子をもつ女性とわかった以上、申し出は願ったり叶ったりだが、突然の宣言に、コルトはただ戸惑う。


「え、え」


 しかしリオニーのそれは逆効果だったようだ。マクシミリアンはわなわなと血管を浮かび上がらせて、先ほどよりも強いオドを発出しながら、怒号を上げた。


「ならーーーーーん!! パパは許さんぞ!!!!」

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