第11話 警戒心

「お前の目も、腕も、筋肉も信じている。だが、その才能をこの工房のために使わなくても良いんだ。一度すべてを忘れて旅をしてこい。世界を見てこい」


 ギルドの町の子供たちは、十歳で初等教育を終えると、商業、手工業、学業いずれかのギルドに属し、組合や工房の徒弟となるのが習わしだ。そして六年間、知識・技術を修得して一人前の商人、職人、聖職者ないし教師となるのだ。


 リオニーも父親が営む鍛冶屋の徒弟となり、経験を積み、技を磨いた。そして六年目を迎える今年、リオニーは徒弟制度を終了して職人となる準備に取り掛かる。


 リオニーはもちろん父親の後を継ぎ、鍛冶屋の職人として一生を送るつもりでいたし、同じ組合に属する他の工房の親方たちも賛同して、歓迎してくれていた。しかし、父親のマクシミリアンはそうではないらしい。戦士として世界を見てきた分、他とは違う意見を持っていたのだ。


「何が、筋肉を信じるだよ、ばかばかしい。なんで素直に、娘の気持ちを受け入れてくれないんだ」


 そこらへんに転がる石をつかんでは、切り出した壁に投げつけた。隆起した部分に当たったらしく、石は勢いよく跳ね返り、地面に転がる軽い音が廃坑になった坑道の空洞に響く。


「マクシミリアンの頑固さは鋼級だよ」


 突然聞こえた男性の声に、リオニーはすぐに利き手を護身用の短剣が差してある脇にやり、声のほうにランタンを掲げた。翠色の瞳が、黒髪の男を姿をとらえる。工房の前ですれ違った男のようだ。


「誰?」


 手短に聞くと、男は所持品を床に置き、両手を広げて無抵抗を示す。男がランタンを地面に置いたにもかかわらず、不思議と男の顔は明るく照らされ、リオニーは男の挙動や表情をつぶさに見て取れることができた。


「コルト、元勇者だ。一度死んで転生したから、マックスよりも君とのほうが年は近いが、前世では一緒に旅をしたよ」


 コルトと名乗る男はリオニーの警戒を解くように、声を落とし、落ち着いた調子で話しかけてきた。しかし彼女の手が短剣から外れることはない。


「何か、証拠はないの?」


 そう聞かれて、コルトは「ふむ」と右上の暗闇を見上げると、思い出したかのように「こんなのはどうだろう」と昔話を始めた。


「この町を初めて訪れたとき、マックスは市場で掘り出し物の盾を見つけたんだ。錆びついてとても使えそうにない盾だったんだが、マックスはいたく気に入ってね。職人の感性に響くものがあったのだろう。三日三晩かけて磨き上げて、いざ装備してみたら、呪われてしまってね」


 リオニーが噴き出す。真っ青になって慌てふためく頑固親父を想像したからだ。


「しかもマックスは、知っての通り、頑固者だから。呪われたって信じてくれないんだ。調子が悪くても“気合で治す”とかなんとか言って。仲間がどんなに説得しても、頑なに浄化の儀式に応じてくれず、結局一週間後に泡を噴いて倒れたよ。倒れたらこれ幸いと儀式ができたんだがね、マックスの奴、目覚めたら“ほらな、寝たら治った”と言ったんだ」


 リオニーはたまらず声をあげて笑った。


「あるある、親父は腕を骨折したときでも、屋根の修繕をして母さんにこっぴどく怒られてたよ」


 ひとしきり笑った後、リオニーは目にたまった涙をぬぐって、短剣にかけていた右手を差し出した。


「ボク、リオニー。あんたの昔の仲間の娘で、マクシミリアン=ロイトの一番弟子だ」


「宜しく」


 ようやく警戒態勢を解いたリオニーは、コルトに少女らしい笑顔を見せてくれた。


 手を握り返すとき、コルトはさりげなく視線を差し出された右腕の内側に向けた。確かに、マクシミリアンのふくらはぎにあるのと同じ十字のような痣がそこにはあった。


 そしてコルトは紳士らしく許可を得て、リオニーの横に腰を掛けた。マックスの顔が浮かんだので、一人分の間隔を空けて。


「マックスと喧嘩したんだって?」


 リオニーが膝を抱えて、眉をしかめる。相当文句がたまっていそうな顔つきだ。


「最近多いんだ、言い合いが。徒弟の十六歳っていうのは将来を考える大切時期だからね。職人として働きだすか、まったく別の職に就くか、決めなくちゃいけない。友達ももう結構決めてて、来年から働きだす店や工房でお手伝いをさせてもらっている子もいる。だから、焦ってるのに」


「マックスは世界を見てこいって言っているらしいな」


 コルトの返しに、怒りが再燃したようでリオニーは顔を真っ赤にさせた。


「そう、そうなんだよ。ボクは親父の工房で働くって固い意思があるのにさ、認めてくれないんだ!! 親方の親父が認めてくれないと、来年からボク、無職になっちゃう」


「他の工房にはいかないのか?」


 するとリオニーは肩をすくめて、答えた。


「……見てみたけど、なんか違う。他の親方も、なまじっかうちの親父が市議会のひとりだから、遠慮してる部分もあるし。それに、何より、ボクは親父がつくりだすものが好きなんだ」


 怒りから転じて、リオニーは父親の頭領としての姿を思い出したのか、目を輝かせ始めた。


「あの不器用そうな太い指をしてるのに、手先は器用で、繊細で、つくるものは寸分の狂いもない、一級品なんだ。いつもは“筋肉が一番!”とか言ってるのに、いざ製品をつくるとなると“指先に魂を込めるのを忘れるな”とか精神論になるんだけどさ。なんかめちゃくちゃだよね、あのヒト」


 その後もリオニーの、父親への愚痴は止まらなかったが、傍で聞いていると誉めているのか貶しているのかわからない内容に、コルトは答えに窮して、ただ微笑むしかなかった。


 やがてリオニーは、先ほどと違って同調してくれないコルトの様子を察したのか、はたまた溜まっていた感情をすべて放出できたからか、大きな溜息をついて、口をつぐんだ。暗い坑道内でも、ランタンの炎に照らされて灼熱色の髪が輝いて見える。


「……世界ってどんななの。鉱山とこの町しか知らないから、想像できなくて」


 立てた膝に頭をもたれかけ、リオニーは美しい翠色の瞳をコルト向けた。真剣な眼差しにコルトは言葉に詰まり、一度咳払いをしてから、口を開いた。


「なんだろうな。一言では言い切れないよ。美しい自然、賑やかな町、気のいい人々にも出会えるけど、恐ろしい、醜い、悲しい場面に出会うこともある。でも……」


「でも?」


「……うん、そうだな。旅に出なければ良かったって思うことは、一度もなかったな」


 コルトは遠くの坑道の奥にある暗闇を見つめながら、前世の旅、そしてアイゼンベルからここまでの旅路を思い出していた。リオニーが不思議そうに顔を覗き込む。


「旅は楽しい?」


「そうだな。住む地域が違えば、人も違い、考えることも価値観もすべて異なる。相容れられるものも、相容れられないものもある。“知らない”を知っていく、そんな面白さをすっかり忘れていたよ」


「忘れてたって?」


「あ、ああ、実はね、俺は転生してからずっと、この旅に出るまで家で引きこもってたんだ。何もしないで、ただ家にいた。だからずっと忘れてたよ、旅の面白さを」


「なんで引きこもってたの?なんで旅に出ようって思ったの?」


 先ほどの警戒心はどこへやら、リオニーは遠慮なく質問を重ねる。しかし、コルトは不思議と素直に答えることができた。ユラとのときとは大違いだ。コルトの言葉遣いも自然と優しくなる。


「前世と今の自分が違いすぎて? 世の中に嫌気がさして? 自分でもわからない。勇者の人生とは違う人生を望んだはずなのに」


「勇者はどんな人生だったの?」


「生まれたときから、勇者として生きなければいけなかったんだ。剣技の修行、教養、皆の憧れる勇者に必要なものを、幼い頃から叩きこまれた。生き方が決められていたんだ。それでも、旅に出て、人々を助けて、感謝されて……悪い気はしなかった。でも、それが続くと万能感のようなものが自ずと芽生えてしまうんだ。奢りだよ」


「勇者を……嫌いになったの?」


 リオニーの問いに、コルトは思わず考え込んでしまった。果たして俺は、勇者業が嫌になったんだろうか。多分、違う。


「嫌になったわけじゃない。けれど、運命に翻弄されない生き方に憧れていたんだと思う。だから転生の機会をもらえたときに、“普通の人生”を願ったんだけどね。実際に歩んでみたら、色々失敗したよ」


「失敗?」


「……また、自分がなんでもできると思ってしまったんだ。それからは、何をどう選択したら、正しい道になるのかわからず、常に不安だった。自分の行動の先に、人の不幸が待っている気がして……それなら引きこもったほうがいいんじゃないかって」


「そんなに弱い人に見えないけどね」


 リオニーの言葉が嬉しかった。しかしコルトにはもう、自分が強く見えるのは、自分ではない他の誰かのおかげだと、もう知っていた。


「まぁ、実際のところ、強引に部屋から出されたんだが。それでも、友人が俺という存在を認めてくれなかったら、自分ひとりではこの旅に出る決心はつかなかったと思うよ」


「……旅に出たら、友達ができる?」


「俺はできた。マクシミリアンもその一人だ。……リオニーも俺の友達になってくれるかい?」


 リオニーは嬉しそうに、首を縦に振った。そして「旅か……」と呟き、ランタンをじっと見つめる。小さな炎のように、頑なに守ってきた自分の決意を揺らいでいるようだ。


 その真っすぐで純粋な目つきに、コルトはなぜかユラのことを思い出した。形は違えど、同じ痣を持つものなのに、なぜこうも印象が違うのだろうか。万が一、結婚を迫られてもユラだけは選ぶことはないだろう。コルトは神に誓った。


 

「ッッグシャンッッ」


 ユラが色気のない大きなくしゃみをすると、前を歩いていたパールが振り向いて「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。しかしユラは恥ずかしさのあまりに、くしゃみを受けた両手を顔から剥がすことができず、ただ首を縦に振って応えた。


 ハンはかつての戦友との積りに積もった話を消化するのに忙しく、マクシミリアンの妻・アンナは可愛い息子たちにとられてしまった。


 手持無沙汰になったパールとユラは二人で町を散策しているのだが、どうにもパールの機嫌がよろしくないようだ。横に並んで歩くこともなく、会話をするわけでもなく、ただなんとなく風景を見ながら歩いて時間を潰した。


(つまんない)


 パールの背中を見つめながら、ユラはよくよく観察してみる。町民にしてはよく鍛えられており、実際にここまでの道中、スライムや同程度の弱い魔獣と遭遇した際にはコルトよりも健闘していた。


 ナルとの情事を盗み聞きしてしまったせいか、白金の髪や目鼻筋の通った顔立ち、そしてしなやかな物腰が艶めかしく見えてしまう。ユラはかぶりを振って邪念を払うと、ふと目の端に何かが映った。


 パールの横顔に、女性の姿が重なって見えたのだ。女神のような端正な顔つきで、髪は長く、白い、何世紀も昔のローブを着ているようだ。


 コルトにまとわりつく精霊たちとは様子が異なり、どこか神々しさを感じる。ここまでパールの体と像が重なることができるのは、この女性がパールの魂の深い部分とつながっている証拠だ。


「貴方は誰……?」


 つい、コルトに身を寄せる精霊たちに話しかけるように、ユラは女性に向かって話しかけてしまった。それがいけなかった。


 女性がユラの声に気付いて振り向くと、ユラと目が合った。その瞬間、ユラの全身が粟立ち、何か、獰猛な獣と遭遇したような脅威を感じた。しかし、なぜそうなるのか、まるで理解が追いつかない。ただ、ユラの頭よりも先に体が、なんとか距離を取ろうと後ずさりをする。


 そのとき、市壁の向こう、町の外から魔獣の雄たけびが聞こえてきた。これまでユラが出会ったことがない、中級の魔獣のものだ。


 同じく獣に気取られて、女性の視線が外れると、その瞬間をユラは見逃さずに脱兎のごとく走り出し、門まで駆けて行った。パールには声をかけなかった。かけられなかった。


 あれはなんだったのか。


 考えると、またユラの鼓動が早くなる。得体のしれない恐怖に、自然と目から涙があふれて頬へ伝っていく。両腕をさすりながら、ユラは後ろを振り返らず、ひたすら脚を動かすしかなかった。


 一方パールは、ユラの背中を見届けると、何事もなかったようにざわめく雑踏の中に姿を消していった。まるで自分は関係ないように、その場を立ち去ったのだ。


 その後ろ姿に、女性の姿はなかった。

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