第10話 伝説の剣豪
剣豪・マクシミリアン。
人間が生きる希望を失くした暗黒の時代にその名を世界に轟かせた、最強の戦士だ。
刀鍛冶職人の息子として生まれたマクシミリアンは、幼少の頃から刃物をどのように扱えば、刃を傷めずに対象を美しく斬ることができるか、肌感覚でわかっていた。そして父の背中を追いかけるために、あらゆる剣技の師事を乞い、修得し、その剣技を最高の形で成すための刀の制作に没頭した。
あらゆる技能と知見、そして力をつけると、奢ってしまうのが人間だ。マクシミリアンも例にもれず、呪いの剣に見入られては身体を操られ、故郷の町で騒動を起こす。その騒動を解決に導き、呪いを解いたのが勇者たちだった。
故郷の町に留まることができなくなったマクシミリアンは、これまで培ってきたものを活かして戦士となり、勇者の旅に加わった。魔王との決戦の後は、ウェーカーに身を寄せて、改めて刀鍛冶職人の道を歩みだしたようだ。
戦士を引退した今でも鍛錬を続けているようで、二メートル近くある巨体に隆盛期と同等の筋肉がついている。しかし赤い髪には白髪が混じり、顔も年相応に表情の皺が濃く刻まれていて、昔よりも親しみやすい柔らかな雰囲気を纏っていた。
「まぁ、魔獣がいなくなった今は、鍋釜や包丁とか調理器具を専門に扱っているがな。ハッハッハッ!! 包丁もな、肉の種類や切る野菜によって刃の厚みや長さ、柄の種類をすべて調整しているんだ。各地域から集まるような料理店からは特注も受けるんだぞ」
ようやく転生について納得したマクシミリアンは、先ほどの態度と打って変わって、コルトたちを歓迎し、工房兼住居に招き入れた。
「声がでかくて相変わらずやかましいな、マックス。しかし、旅が終わった後も人生を満喫しているようで安心したよ」
ハンが軽く頭を下げ、マックスの妻・アンナからお茶を受け取りながら、軽口を叩いた。
「転生した人なんて初めて見たわ!! 実際、どんな感じなの? 興味深いわぁ」
アンナはマクシミリアンに負けないくらいの大声で、会話に参加した。先ほどの通りの女性たちもそうだが、器具を扱う音や器械音が日常的に響く空間で話すには、やはりそれなりの音量で話さなければいけないらしい。
「いやぁ、確かにハンは若返ったな。まるで別人みたいだ」
「転生したから、実際若返ったんだ。むしろ別人だよ」
「勇者はなんだ、本当に普通の町民だな、おい。だらしねぇ腕しやがって」
「普通の町民なんだよ。そうなるように願ったんだ」
うるさそうにしながらもコルトは、口元が緩んでいて、二十一年ぶりの再会を心から楽しんでいるようだ。パールはその様子を静かに横で見守っている。
「あの、お嬢さんは、追いかけなくてもよいのですか?」
ユラが心配そうに外を指さすと、マクシミリアンは首を振った。
「ああ、いいんだ。今はお互い頭を冷やしたほうがいい。あいつも俺に似て強情な奴だからな。追いかけたところで話し合いには至らないだろう」
「もう、本当に。うちにはね、五人の子どもがいて、一番上のリオニー以外全員男なんですけど、まぁこの人の強情で、負けん気が強い性格は誰よりもあのこが色濃く受け継いだわね」
アンナがカラカラと笑って、マクシミリアンの背中を強く叩く。いつもの調子らしく、夫のほうも別に動じずに「まったくだ」とケラケラ笑っていた。
「何を揉めていたんだ?」
ハンが聞くと、目を伏せ、改まった様子でマクシミリアンは話し始めた。
「いや、まぁ、あいつの将来のことだよ。もう十六になったから、職人になるなら特定の工房に入らなきゃいけない。……リオニーは俺の工房を継ぎたいっていうんだが、俺としては、その、世界を見てほしくてな。この町のギルド以外にも色々な生き方、人生があって、必ずしも親の背中を追わなくても良いってことを教えてやりたいんだ」
「今話を聞く限り、リオニーさんにとっては有難い話だと思いますが……何にあれだけ怒っているのでしょう?」
鍋ほど大きな風穴が開いた扉をちらりと見て、パールが小首を傾げる。
「さぁな、親の言うことに反抗したくなる年頃なんだろう」
「工房を継ぐのも別に良いじゃないか。大体こういう話は、普通反対だぞ? 自由を求める子供と、継がせたい親の意思が相反するのが一般的だ」
「いいや!」
マクシミリアンの拳が食卓に地震を起こす。危うくせっかくのお茶が台無しになりかけた。
「あいつはな、俺の一番弟子で、俺よりもずっとセンスがあって、技術の飲みこみも早く、腕が良い。目も良い。すべての才能で溢れている。だからこそ小さな町よりも世界を相手にしたほうがいいに決まってる!!」
「なんだ親ばかか……」
コルトの呟きを無視して、マクシミリアンは娘自慢を続ける。
「なんせな、生まれたときからあいつの右腕にはヤットコの形をした痣があった。さすが鍛冶屋の娘だ。リオニーは炎の神・ヘーパイストスの祝福を受けているんだ。だからあいつは鍛冶の才能をもって生まれたんだ」
「痣……?」
思わずハンが身を乗り出して、聞き返す。するとアンナが引き継いだ。
「やぁねぇ、ヤットコだの金槌だの、この人は大袈裟に言ってますけどね。単に十字の痣よ」
「三日月ではなく、十字ですか?」
ユラが念を押して尋ねると、「そうそう、こんな痣だ」とマクシミリアンは下衣の裾を上げて、左脚のふくらはぎの内側にある痣を見せた。確かに、そこにはミミズ腫れのように盛り上がった薔薇色の十字の痣があった。
生まれつきの痣は、“勇者の遺伝子を持つ者”の証である。丸い三日月の痣ではないが、その痣はコルトがユラの首元に見たものと似ていた。
まさかマクシミリアンも勇者の系譜のものなのだろうか。ユラにもあったということは、サーラにも似たような痣がある可能性がある。コルトは最果ての地で確認すればよかったと、心の中で舌打ちした。
「そんな痣、見たことないぞ……」
「まぁ、俺は年がら年中鎧をつけていたからな。そりゃ、見えないだろう。風呂でもわざわざこんなところを人には見せんよ」
マクシミリアンがぶっきらぼうに頭を掻く。それもそうだ。
ユラとハンが顔を見合わせていると、沈黙を破るかのように勢いよく扉が開き、少年たちが転がるようにして次々と工房の中に入ってきた。
リオニー以外の四人の子供たちが学校から帰ってきたのだろう。顔と背丈から察するに全員年子のようだ。職人が振るう金槌の音が響いていた工房は、瞬く間に少年たちの声によって支配されてしまった。
「ただいまー腹減ったーなにかないのー?」
「お前さっき買い食いしたばっかじゃん、それで腹減るとかビョーキじゃないの?」
「母さーん、なんか服が破れたー」
「これからヨウタの家に行ってくるけどーいーい?もう行っていいー?」
餌を欲しがるひな鳥のように、次から次へと口を開いて話し出す少年たちに、先ほどまでにこやかに笑っていたアンナが般若の形相で返す。
「あんたたち!帰ってきてそうそう何ですか!! まずはお客さんに挨拶!はい、一列に並んで頭を下げる!右から順に、カン、ケン、レン、リンです」
母の怒号にすぐに反応して背筋を伸ばすあたり、どうやら毎日激しい雷が落ちているようだ。見るからにやんちゃな少年たちの顔や腕、脚には、治りかけの傷と生傷がいくつもある。
「あ、そうだ、姉ちゃんがなんか奥山のほうに向かってったよ」
「また、喧嘩したのかよ、親父」
「母さん、服……お尻のところ……」
「ねぇ、もうヨウタの家に行っていい?ねぇ、いい?」
「奥山のほう?洞窟のほうかしら? レンはすぐ服を脱ぎなさい、着替えは自分で取ってきて。どうしたら、そんなところが破けるのよ。リンは、夕飯までに帰ってきてね。向こうのおうちにご迷惑かけないように」
奥山はウェーカーの裏にある鉱山で、ギルドにとっては今も昔も大切な資源の調達地だ。そして暗黒時代には魔獣が住み着いて、勇者一行によって平定されたところだった。
「廃坑になったほうかな。……俺が行ってみていいか? 話をしてみたい」
コルトの思いがけない申し出に、卓についた皆が驚いて、振り返った。思わず、ユラが「ナルは?」と尋ねそうになったが、急いで手で口を塞ぐ。
「おお、勇者が行ってくれるならありがたい。ついでに、うまーく説得してきてくれ、なんてな」
マクシミリアンの返答を待たずにコルトは、自分の唯一の装備である「ツキタツフナトノカミの杖」を持って、リンと呼ばれる息子と通りへと出て行った。
「あ、私が……」
「あ、私も……」
ユラとパールがコルトを追いかけようと、慌てて腰を浮かすと、二人ともハンに腕をつかまれ、「君たちはゆっくりしていなさい」と、椅子に戻された。
「そうよ、市場で美味しい茶菓子を手に入れたばっかりなのよ。食べて行って」
「えー!母さん、俺らには?!」
「いっつも、そうやって市場で甘いもん買ってさー俺らには食わせないんだもんなー」
「ずるーずるーずるっこー!!」
「あんたたちは黙ってなさい!!! ちゃんとあなたたちのもあるわよ! リンの分も残しておくのよ」
元気な親子のやりとりに圧倒され、反論する機会を失ったユラに、そっとハンに耳打ちする。
「形状は違えど、リオニーは遺伝子を持つ者かもしれない。ここはコルトに任せよう。……どうやら、“やる気”になったみたいだしな」
ハンの言うことはもっともだった。ユラは痣の真偽については気になるところだが、まずはコルトがリオニーに興味を持ち、追いかけて行ったことが大切なのだ。
ユラが座り直して顔を上げると、パールはしかめっ面とも泣きっ面ともつかない顔をして扉を見つめていた。その気持ちの先には、コルトがあるのだろうか。
ユラはマクシミリアンとハンの会話を聞き流しながら、兄を想う弟の切ない顔を見つめた。
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