第9話 早く旅立て
魔法使いサーラの助言に従い、コルトたちは、旅の最初の目的地をギルドの町・ウェーカーに決めた。そこには、かつての仲間である戦士・マクシミリアンがいるという。
一ヵ月もの貴重な時間を費やしてまで行ったコルトのダイエットは、なんとか目標値を達成した。見た目はまだぽっちゃりとしているが、筋肉量は成人男性のそれと同等にまで鍛え上げることができたので、ユラは胸を撫でおろした。
コルトの反発もあり、ユラが到着してから月日が経っており、さすがに旅に出ないとまずい。サーラの話す「刺客」もそろそろアイゼンベルに到着する頃だろう。できれば入れ違いになってやり過ごしたい。
殺気立つまではなくとも、それなりの緊張感をもって旅に臨みたいところだが……。ユラの視線の先には、命を狙われているにもかかわらず、恋愛にうつつを抜かす男がいた。
「いってらっしゃい。ナルルンのことは忘れないでね。痩せてコッちゃん、前よりももっともっと格好良くなっちゃったから……ナルルン、心配……」
「ナルルン……!!!! 絶対にナルルンのもとに帰ってくるから。手紙も書くから!!」
涙を浮かべながら上目遣いで見つめる恋人の愛らしい姿に、コルトは旅立ちの決心がぐらつきながらも、なんとか踏みとどまり、代わりに強く抱きしめた。
「これ、コッちゃんのことを想ってつくったペンダント。これを見てナルルンを思い出してね」
半貴石を革ひもで結わいた簡単なペンダントを着けると、コルトも半貴石をあしらった指輪をナルの左手の薬指にはめ、恋人に固く誓った。
「一年で帰ってくる。そしたらアイゼンベルで式を挙げよう」
「結婚ってことぉ? 嬉しい、ナルルン、コッちゃんの無事を毎日祈りながら待ってるね」
両手でハートを形作り、ナルはコルトを見送った。後ろ髪を引かれる思いでコルトはアイゼンベルの門をくぐっていったが、ユラはまたもや見てしまった。ナルが振り返ったパールに向けて片目を瞑ったのを。
気が重くなったついでに、ユラは鞄の中に手を突っ込んではその「異物」の存在を再度確認して溜息をついた。ナルが餞別を贈ったのはコルトだけではない。ユラは「すごぉく困ったときにこれを開けてみてね」と、小さな布袋を渡されたのだ。
呪物の類かと思い、ユラがナルに疑いの眼差しを向けると、ナルはコロコロ笑い出した。
「安心して。中に入ってるのは、回復薬のようなものよ。ほらぁ、今は、昔みたいにあんまり出回ってないじゃない? この前、パンの材料を仕入れるときに偶然見つけたから買っておいたのぉ。貴重なものだからぁ、大切に使ってねって意味よ」
納得のいく説明ではあったが、どうにもこの布袋が自分の手荷物に入っていると思うと、そわそわする。しかし捨てようにも、確かに回復薬は貴重なので捨てられず、悶々としてしまうのだ。結局ユラは心からナルと相容れることはできなかった。
そんなユラの気も知らずに、コルトは相変わらず護衛の精霊を肩に載せ、ハンは穏やかにかつての仲間を話題に挙げていた。
「マクシミリアンは何をやってるんだ?」
「鍛冶屋らしい。今は、ウェーカーに家族と一緒に住んでいると聞いたよ」
コルトたちが目指すウェーカーという町は、リコから陸路で北上した内陸の地にあるため、山を越えた港町で馬を調達してから向かう。移動にシルフの風を利用することもできたが、町民のパールを連れている以上、できるだけ自力で旅をしなければいけなかったのだ。
余談だが、魔力もマナも、そしてオドも基本的なエネルギーの構造はほぼ同じである。超自然現象を源とする魔力、自然の生命力を源とするマナ、そして人間の生命力を源とするオド。どれも出元は違うが、同じエネルギーだ。
旅に出る冒険者、魔法使いや戦士などは、それらのエネルギーで余剰に生成された分を、魔法やスキルの発動に有効活用している。反対に言えば、自分でコントロールできない力は触れるだけでもその者に害をなす。
だから、善意であろうと、力を持つ僧侶や魔法使いが、修行をしていない町民などに向けて回復魔法や補助魔法をかけるのは禁忌とされている。呪術なんてもってのほかだ。
万が一、コントロールできない力が身体に宿った場合、細胞が暴走してどうなってしまうかわからない。最悪、壊死する可能性だってある。そのため、力を扱う修行をしていないパールと旅する場合は、精霊の力は使えないのだ。
「マクシミリアンは市議会のメンバーにもなっているようだよ」
ハンが馬に揺られながら、コルトに話しかける。ウェーカーはギルドが集まった町で、領主の代わりに大商人たちによって組織された市議会が市政を担っている。そしてその市議会に、かつての仲間も参画しているらしい。
「脳筋のあいつがねぇ……」
「まぁ、どんな政治をしているか気になるが、かつての仲間が町のお偉いさんになっていると話が早くて助かる」
「なぜですか? 知り合いを訪ねるだけでしょう?」
パールの疑問に、ハンが「そうだな」と一言置いてから、自身の服装を指さした。
「例えば、なぜ勇者のメンバーに僧侶が必要だと思う?」
突然の質問に、パールは顔をしかめた。
「え……んん……仲間を回復する必要があるから?」
「回復だけで言ったら、教会は認めていないが、実は魔法使いもできる。回復以外に僧侶が必要な理由はね、まったく知らない町を訪ねる際に交渉役として便利だからだよ」
ハンの話を要約すると、つまりこういうことだ。暗黒時代に勇者という存在は核時代に必ず存在したが、毎回魔王を討ち損じていたために、あまり信用がなかった。加えて、魔獣に襲われやすい一般市民の警戒心は強まるばかりだ。だから、町の権威とも紐づく教会の関係者が旅に随行することで、町への立ち入り、宿泊を許可してもらっていたのだ。
暗黒時代が終わった今、(魔獣が復活しつつあるが)教会の権力はかつてよりも弱まっている。だからこそ、町に訪れるときにあらかじめ町の中心人物を知っていればば、町中で行動しやすくなる、というわけだ。
「なるほど。勇者の旅というのも大変ですね」
「まぁな。まぁ、どこまでマックスに権力があるのかはわからんが、サーラの話によると刀鍛冶の頭領もやっているらしい。少しくらいは善処してもらえるだろう」
「あまり期待しすぎないほうがいい。あいつは口よりも先に筋肉が動く奴だ。市議会の信用を勝ち得ているなんて、到底想像できない」
ハンは、旅で「鍛錬だ」と言いながら、サーラごと荷物を抱えながら歩くマクシミリアンの姿を思い出して、笑みをこぼした。
一方、パールは寂しそうな表情を浮かべた。
「前世の知り合いか。生まれたときからずっと一緒にいたのに、私のまったく知らない、兄さんの知り合いに会うというのは不思議な感覚ですね」
「確かにな。アイゼンベルでは、パールのほうが知り合いが多かったから、立場が逆転したみたいだ」
少し感傷的になっている二人の会話に、ユラが叫び声と共に割り入った。
「お尻がいたーい! はやく着いてー!!」
平地が続いているとはいえ、乗り慣れない馬に乗って長時間揺られ続けたことで、ユラの尻は限界を迎え、たまらず泣きべそをかいた。ユラの大声に、馬はピンと耳を立てながらも驚くことなく、むしろ嬉しそうにブルルッと鼻を鳴らす。
「もうそろそろだ。ほれ、お嬢さん、前のほうを見なさい。どでかいギルドホールが見えてきたろう」
ハンの指さす方向には、赤い塔の先端が見えた。ウェーカーの中心には大きなギルドホールが建ち、そこから放射線状に各ギルドが集まっている。そのギルドホールの頂上には鐘が設置されていて、風に乗ってガランガランと鐘の音が聞こえてきた。
「ウェーカーの町だ。相変わらずでかいな。ここいらにはまだ魔物は出てきていないようで安心した」
コルトが馬を下りて、馬車二台分が余裕で通りそうな石造りの市門をくぐる。どうやらそこは織物ギルドの区間に通ずる出入り口だったようで、工房の軒先には色とりどりに染められた織布や糸が干されていた。
天気が良いからか、通り沿いには女性たちが並び、おしゃべりをしながら美しい絹糸で布地に刺繍をあつらえている。そして辺りからは、人々の話し声の合間を縫うようにして、織機のリズミカルな音が聞こえてきて心地が良い。
「ウェーカーの町は、ギルドごとに区画されているんだよ。大きく商業、手工業、学業の三つに分けられている。ここは手工業の中の織物区画のようだね。少し歩いてみよう。刀鍛冶の区画があるはずだ」
ハンが一行に声を掛けると、近くの工房の女性が立ち聞きしていたようで、突然話しかけてきた。
「やぁだ、お兄さん。刀鍛冶なんてもういませんよぉ! 鍋釜か、工具か、馬具、あとは鍵屋のどれかよ」
「あら、珍しい旅人さん?」
「鍛冶ギルドはここの一本道を行けばたどり着くわよ。迷っても大丈夫。ギルドホールを中心に円状に工房が配置されているから、グルグル回っていればいずれ辿り着くわよ!」
「まぁまぁ、用事が終わったら市場に行ってみなさいな。うちの織物も置いてあるわよ。ここのは品質が良いからね。お土産に買っていっても損はないわよ」
女性に誘発されて次々にほかの女性たちが会話を始め、さすがのハンも手に負えなくなったようだ。笑顔を崩さずに何度も会釈しながら後ずさりしていく。
ようやく距離を取ったところで、女性たちがお互いに顔を向け合い、井戸端会議に転じたので、ハンを先頭に一目散に鍛冶ギルドへと向かった。
「ふぅ……しかし、そうか刀鍛冶、武器屋や防具屋はもうないのか。時代だな」
コルトが息をついて見上げると、工房の看板が別の紋章に変わったのを発見した。織物工房が、糸を紡ぐ糸車を描いた紋章だったが、こちらに描かれているのは「靴と斧」。
どうやら製靴のギルドの区画に入ったようだ。気が付けば、周りから聞こえてくる音も、金槌を革に打ち付ける鈍い音へと変わっている。
「リコの町とはまた違った光景で面白いですね。場所によって聞こえてくる作業音も違うし、こんな風に物ってできてるんですねぇ……面白い……」
ユラが少女らしい好奇心を目に宿らせて、あちこちを見回している。視線をいつもどこかに飛ばしているせいで石畳に足を取られてこけそうになり、隣にいたコルトは急いで腕をつかんだ。
コルトに腕をつかまれ、体勢を戻されると、ユラは「はしゃぐな」と注意されているように感じて、恥ずかしそうにはにかんだ。今は使命感に燃えて乱暴な振る舞いをするユラだが、元々は年齢相応の素直さをもつ、愛嬌のある少女なのだろう。そのはにかんだ表情には、そんな愛くるしさがあった。
「兄さん、ここから鍛冶屋の区画じゃないか?」
後ろから、パールがコルトに話しかける。振り返ると、パールが「金槌と蛇、ヤットコ」の紋章が描かれた看板を指さしていた。
「そうらしいな。ここらへんにマクシミリアンがいるのか……」
コルトが答え、辺りを見回そうと左を振り向くと、何者かがコルトの服の裾を引いた。足を止めて視線を足元に落とすと、コルトの鼻先をかすめて工房の壁に激突して石畳の通りに落ちた。金床だ。本来、投げるものではない、鍛冶屋の相棒ともいえる金床がなぜ宙を飛んでくるのだろうか。
壁の漆喰がぱらぱらと落ちていく様子を見ながら、コルトはようやく自分の身に起こったことを自覚し、足先から頭のてっぺんまで震えが駆け巡っていった。
「に、兄さん、大丈夫……?」
パールが慌てて駆け寄ると、後方で怒鳴り声が聞こえてきた。
「親父が勇者の仲間とか、魔王を倒したとかなんだってんだ!! あんたの方針にはもう従わない!!」
「待てっ、リオニー!! 話を聞け!!!」
男性の声と同時に、大きな穴の開いた木製の扉が勢いよく開き、中から少女が出てきた。
太陽の光に当たり、炎のように真っ赤に輝く髪が獅子のたてがみのようになびく。見知らぬ顔に少女は驚いて翠色の瞳を一行に向けると、コルトはその美しい色合いに、前世で訪れた東の国の宝石・翡翠を思い出した。
しかし少女は挨拶することなく、すぐさま体の向きを変えて疾風のように一行の横を通り抜けていった。すれ違いざまに、纏っていた衣から太陽の香りがコルトの鼻腔をくすぐる。
ほんの数秒の出会いにもかかわらず、少女はコルトに強烈な印象を与えた。だからコルトの目は、無意識に少女の後ろ姿を追いかけ、町の雑踏に消えていくまで目を離すことができなかった。
やがて同じ入口から遅れて、一人の白髪まじりの屈強な男性がしかめっつらを顔を覗かせた。その姿を見て、ハンはにやりと口角を上げる。
「マックス、久しいな」
ハンの声掛けに、男性が「は?」と一行に視線を向ける。
「リオニーの友人か? すまんな、今あいつと喧嘩しちまって……」
普段あまり接しないのか、若者たちへの対応に困って頭を搔くマクシミリアンに、今度はコルトが声をかけた。
「マクシミリアン、俺だ、勇者だ」
「あ?」
マクシミリアンはコルトの全身を舐めるように下から上まで眺めて、ややぁと笑顔で大きく頷くと、もう一度口を開いてこう言った。
「誰だお前」
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